年寄りがしばしば、若いと見れば近寄っていく姿勢が気になる。彼らはまるでべったりひっついて若い人の気を奪っている。相手が小学生くらいならまだしも、通勤で疲れている若い人から気を奪うようなことをして平気でいられる神経が知れない。
年寄りが近づいてくると、さっと逃げていく通勤者がいるけれど、もっともである。わたしも年寄りの多いバスに乗るとげっそり疲れる。まだ朝の通勤だというのに。
だから、
「ああなるほど自分だけじゃなくて年寄りの被害を受けている人はたくさんいるのだな」と思った。「年寄りと見れば逃げるのが健康のためである」
さてそういうことが積み重なっていく社会はどうだろうか。年金問題にしても、健康保険制度にしても。
年寄りが金持ちというのはわたしは、人は誰しも老後の不労所得を得るためには当然のことで、彼ら年寄りが大金持ちであったり資産家であったりしても、それは許せるし彼らの倹約とか努力とか勤勉とかの結果であって、尊敬に値する。だから資産課税なんていうつもりはまったくないけれど、いやこういうお年よりはむしろ若者を避けることはあってもあえて近寄って行って気を奪うなんていうことはしないだろうと思う。むしろ低所得で、無教養のお年寄りがそういうことをしているのではないかと思うが。
社会の現状を見れば年金生活でこのインフレ下、いままでどおり暮らせない貧困とも言いえるお年寄りが増えているがゆえに、若者にとっては不健康な通勤などの社会になっているのである。
こうしたことは、決して望ましい社会とはいえないだろう。若者も必死で働いている。必死にならざるを得ないといえる社会情勢である。よく若い人の元気をもらうというけれど、昔と今ではちがう側面があるのである。
年寄りが寄って来るほどに若者は
避けて社会の分断を生み