1週間ほど前のことですが、gooのホームページを見ていたらこんな見出しがありました。
①入院中の人を見舞いに来た親族が本人が寝ていたからと勝手に写真を撮り、本人の許可を得ずにSNSにアップした。
②①の入院されていた方が亡くなられた後、葬儀の際にその親族が遺族そっちのけで記念写真を撮ったり棺の中写真を撮ったりしていた。
③恩師が亡くなられた後、奥様が遺体の顔写真を教え子に送り、受け取った側は困惑している。
④ペットが亡くなった後、遺体の周りを飾って映えを良くした画像をSNSにアップしているのは本当にペットが亡くなったことを悲しんでいるのか。
というような話でした。
①は本人の許可を得ずに顔の写っている画像を公開した場合、肖像権侵害で訴えられたら勝ち目はありません。
②~④は多くの人と感じ方の違う人が行っているような気がします。
常識が無い人たちが増えたと言いたいところですが、「常識とは何か?」という疑問が生じました。
記事が出る前日、別のことで家内と「常識」の話をしていました。
「常識」というと「人々の共通の認識」と思いたくなりますが、「人々の共通の認識」というのは明文化されているわけではなく非常にあいまいなものだという結論になりました。
「常識」は人それぞれで違っているのです。
「人々の共通の認識」と呼べるものがあるとすればそれは法律以外にないのではないかという話しをしていました。
法律に違反すれば訴えられたり警察に逮捕されたりして裁判で判断されることになります。
訴えられたり逮捕されたりしたくないから皆が法律を守るようになるわけです。
身近な法律の一つに道路交通法があります。
車やバイクを運転する人は道路交通法に違反して警察に捕まると最悪の場合、運転免許証を失効してしまうことになります。
多くの人はそうならないように道路交通法をある程度守って運転するわけです。
(ある程度という表現は厳密にはスピード違反をしている人がほとんどだからです)
車やバイクの運転に関しては「常識」と呼べる共通認識があるように思います。
(中には変な運転をする人がいますが周りのほとんどの人が危険運転や迷惑運転と感じるでしょう)
これ以外では、「人の物を盗んではいけない」とか「人に暴力をふるってはいけない」というようなことが「常識」として共通認識がありそうですが、これらは上記の法律で刑罰が決められている犯罪行為です。
法律で規定されていない日常生活の中の細かいことで共通認識を持つのは難しいと思いました。
戦前は周囲の人と違ったことをしていると生活しにくかったといいます。
いいか悪いかは別にして、周りの人と違う変なことばかりしていれば「村八分」にされてうまく生活できなかったと聞いています。
田舎では今でも共通で利用する場所があるので集団行動をする機会があり、昔よりは少なくなって来ているとは言うものの、近所の目を気にしているところがあります。
しかし、都会では他人の目を気にする機会がほとんどないと思います。
私は中古の一軒家を購入して住んでいるので隣近所の方とのお付き合いがありますが田舎ほどの関係性はありません。
マンションやアパート暮らしの場合は隣にどんな人が住んでいるのか知らないという話もよく聞きます。
こういう社会状況になっているから他人の目を気にしない人が増えているのでしょうね。
昔は「日本は恥の文化」と言われていました。
今は「恥を知らない文化」になりつつあるように思います。
「映え」を気にするばかり周りの事を考え無い人が増えているように思います。
このままでいいのかなぁ。