さまよう人よここに集まれ。君の周囲の水かさが増してきていることを知れ。まもなく骨までずぶぬれになるとわかるだろう。君にとって時間が節約する価値のあるものならば泳ぎ始めた方がいい。さもなきゃ石のように沈んでしまうだろう。時代は変わりつつあるものだから。
ヴァチカン美術館に4K3Dカメラが入った 大迫力の天井画と「最後の審判」(画像集) huff.to/1wu1rul すごい。
よく思い返すと、中学1年生の冬は分岐点だった。小学校の頃に仲が良かった子たちの一部のわるい噂は親の耳にも入っていたようだった。門限を破った初日のオヤジのかみなりが効いたと思う。一日3交代制で働く父がその晩たまたま家にいたのだけど。
担任の男性教諭に楯突くこともあった。担任の美術の授業中にかいた絵を丸めて提出したこともあった。丸めた絵を先生は丁寧に広げて、ほかの生徒たちの絵と同じように台紙にはって教室の後ろの壁に張った。
小学生の頃仲のよかった一つ上のSちゃんが、同級生の友達のYちゃんを蹴ってあばら骨を折っていた。週1回1コマだけあるクラブ活動の担当がたまたま生活指導教諭で、職員室で何かのついでで会ったときに「先生は、みほちゃんはそういう子じゃないと思っている。」と言われた。
Sちゃんも、Yちゃんも、学力でトップのMちゃんも、毎回県大会に行く陸上部のMちゃんも、毎朝いっしょに登校するのにしょっちゅう待たせていたHちゃんも、今も忘れない友達だ。彼女たちとの関わりも今の自分をつくってくれた。見守ってくれたたくさんの大人たちがいた。今の子たちも同じだろうか。
分岐点で、困る/困らせるほうへ行かなかったのは、わたしがすぐに弱音を吐いたり顔に出してしまうタイプであったことと、それを察知してくれる子どもも大人もたくさんいてくれたからだとおもう。いろんな人や、いろんな物事との接点があったからだと思う。人と人の多様な接点があったからだ。
意外に効果があったのは、同性のいじめや上司のパワハラに苦戦していたとき、まわりの男子が小声で言う「おまえも苦労するよな…」。1回でも充分。
男子が育つ過程は女子よりも困難なのではないかと思う。わたしが育った地区では、兄が荒れていると、弟だけ別の中学へ転校させる、という措置を取っている場合があった。引き離すしかなかったようだ。隣の席に来た子がそうだった。
さんすうの教科書で知った「同じ年に生まれた子どもの51%が男の子、49%が女の子」という事実、平均寿命が女性の方が高いことを持ち出すまでもなく、同じ世界に生まれ暮らしていながら男女は、違う世界を経験している。
身近な男の子のサンプルとして、これまでに知らされている範囲で私には5人の大叔父と、4人のおじ(伯父2、叔父2)、1人の父がおり、自分が大人になった今見ると皆すてきな人たちなのだが、若い頃どうたっだかと言えばいろいろであった。幼稚園、小学校…と一緒に育った友もいろいろであった。
…などということを、しれっと言えるだけ女性はお得なのだけど、誰かを追いつめてしまっているかも知れないね。
現状女性がかがやいていない、と言わんばかりの首相の言いっぷりも、全女性のこころのなかにうっすらと残念な何かを積もらせました。でも、ここで冷めたら負けだということもみんなわかっています。女性たちは、今後ますますかがやいてしまうことでしょう。まぶしくてめがつぶれてもしらないぞ。