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京都でのBCL、小物釣り、野菜作り等趣味の活動状況 ©COL
Photo: Sézanne, France

2019年 フランス・シャンパーニュ地方のヴァカンス(その6)

2019-09-21 18:31:53 | フランス
8月12日(月)

 7時、起床したら快晴。15℃とひんやりしているが、バルコニーに出てみると、ここは最上階の屋根裏部屋であることが分かった。わざわざこの部屋を予約してくれたのだろうか。窓際の天井が斜めになっている。左方にはパンテオン、右方にはノートル・ダム大聖堂が見え、なかなかよい場所である。
 9時、地下1階の食堂にて朝食。スモーク・サーモンがおいしかった。
 10時過ぎにホテルを出発。妻の希望で「不思議のメダイの聖母の聖堂」Chapelle Notre Dame de la Médaille Miraculeuseへ。歩いていくという。書店«Gibert Joseph»、チョコレート店«Patrick Roger»とクリスチアヌの行きつけの店の前を通る。彼女は服飾店など歩きながら気になった店にふらっと入ってみるのが好きなので、なかなか目的地に到達しない。ジャンも私もそれを分かっている。彼女を置いて先に歩いていくこともよくある。
 サン=シュルピス教会の前に人だかりができ、テレビカメラが集まっていたので、関係者らしき人に何があるのかと尋ねると、8日に亡くなった映画監督・俳優のジャン=ピエール・モッキーの葬儀であった。俳優のジェラール・ドパルデューが参列するので出てくるのを待っているとのこと。
 歩きながら彼女は、「子供の頃、水泳でフランス全国の学年記録を出したことがあって、それ以来、父は知り合いに私の自慢ばかり。妹ジョエルは勉強があまり好きでなかったし。」姉妹同士とその父との関係は国は違っても難しい。そして、私のその姉妹への気の遣い方は異なる。

 12時、ようやく目的地に到着。メダイとはメダルのこと。ご利益があるとされるメダルの売り場Espace Médaillesは世界からの信者で混雑していた。メダルは各国語版がある。にわか信者の私も財布に入れておこうと最も小さいメダルを買い求めた。ちょうど聖堂でミサが行われていたので、少しの間だけ入らせてもらった。
 13時、聖堂の隣の高級食料品店«La Grande Épicerie de Paris»へ。フランス土産の品揃えが結構充実していて、ディジョンのお菓子ノネット«Nonnette»にランスのビスケット«Biscuit Rose»もあったので追加で購入。惣菜売り場でニース風サラダSalade niçoise と乾燥フルーツ入りのパンPain mendiantを買って店内で食べることにした。
 14時30分、少し歩いてこれも妻の希望でレンヌ通りrue de Rennesの化粧品店ロクシタン«l’Occitane»へ。ちょうど昼休みが終わるところでよかった。クリスチアヌによると、価格がやや高めなので、主に外国からの観光客に人気のブランドなのだとか。地下鉄サン=シュルピス駅Saint-Sulpiceから4号線でオペラ駅Opéraへ。

 15時、時計を修理に出すため昼食後に別行動をしていたジャンとオペラ座の前で落ち合い、5分ほど歩いたところにある香水博物館Musée du Parfumへ。香水メーカーのフラゴナールFragonard社が運営。服飾も手掛けており、なかなかセンスがよい。見学ツアーで何の香りかを当てるゲームをさせてくれたが、さっぱり分からなかった。
 17時、歩いてシテ島を越え、向こう岸の書店«Shakespeare and Company»へ。英語文学書では有名らしく、客でごった返していた。長居すると疲れるので、併設のカフェのテラス席で一服。自家製レモネードlimonadeが爽やかでよかった。酸味と苦味が調和していた。レモンとライムを使っているのだろうか。また、何かの葉を刻んで入れているように見えたが、ミントであろうか。後になってまた飲みたくなり、どうも気になる。

 テラス席から川向いにノートルダム大聖堂がよく見える。屋根と尖塔が火災で焼失した痛々しい姿を目の当たりにした。石造りの教会がなぜ燃えるのだろうと思っていたが、小屋組みは木造であった。
 歩いて地下駐車場に戻り、18時、パリを離れる。
 フランスの道路を走って思うのは、環状交差点rond pointが非常に多いこと。特に地方都市、郊外に多い。環道に入るときは徐行。環道内を走行する車両が優先。環道内は左回り。環道を出るときは右指示器を出す。環道の出口の数は2本の道路が交差する場合の4とは限らない。カーナビの案内音声は、環道に入る直前に«Veuillez prendre la troisième sortie.»(3番目の出口を利用してください。)などと出る。信号機がなく、交差点通過がスムーズなので、日本でもっと普及してほしい。

 クロミエを過ぎたあたりで虹が掛かっているのを発見。土地が平らなのでよく見える。副虹も見える。
 20時、セザンヌ着。

 22時、夕食。ジャガイモを蒸した料理。イモが粘性でなかなかいける味であったので品種を尋ねたところ、«Bernadette»とのこと。食後に«Prunelle de Troyes»というトロワ特産の酒を出してくれた。プルーンの核が原料の蒸留酒。アルコール度数40°ととても強い。ジャンが「1年前に買ったけど、まだ瓶の半分も減っていないよ。」と笑った。
 
 
 
 


2019年 フランス・シャンパーニュ地方のヴァカンス(その5)

2019-09-20 21:42:00 | フランス
8月11日(土)
 家で食事のときにいつも水を出してくれるのであるが、ピッチャーの中に石が数個入っているのが気になっていた。「それは黒曜石obsidienneよ。水道水には石灰や農薬成分が含まれているので、フィルタで除去して飲んでいるの。ここはブドウ畑が多いでしょ。ブドウにはたくさん農薬を使うので、水道水にも入ってくるの。」確かに浄水工程を経ても微量の成分まで除去しきれていないかもしれない。水道水を直接飲んでみたが、パリの水道水を飲んだときのような強い石灰臭は感じられなかった。
 11時、パリに向けて出発。途中、高速道路A4号線のビュシー・サン・ジョルジュ・サービスエリアAire de Bussy Saint Georgesにてピクニック。お手製のサンドイッチを頂く。今日は4人ともお上りさん。パリに近づくにつれて、建物、車が増え、田舎から都会に来たのを実感する。

 14時前、パリ中心部、地下鉄モベール・ミュチュアリテ駅Maubert Mutualité近くの地下駐車場に到着。ここに車を置いて、10号線と5号線を乗り継いでジャック・ボンセルジャン駅Jacques Bonsergentで下車。歩いてサン・マルタン運河Canal Saint Martinの乗船場に向かう。この辺り、パリの東部は低所得者層が多く住む地区であるが、最近はおしゃれな店が増えて人気が出ているとのこと。

 出船時刻の14時45分になっても船が現れないので、ジャンが運航会社のカノラマ・クルーズCroisières Canauxramaに電話を掛けたところ、予約した便はキャンセルとなったことが分かった。傍で同じ運航会社の船が上流に向かっていったので、17時45分の下りの2時間30分のコースを予約し直してくれた。
 乗船場は1.5kmほど上流のヴィレットの船溜まりBassin de la Villetteにあるので、運河沿いに歩いていくことにした。途中、閘門écluseと旋回橋pont tournantがあるので、船の通航には時間が掛かる。それが観光客には面白い。歩いているうちに先ほど通過した船に追いついてしまった。閘門の周辺にも多くの観光客が集まり、船の通過を眺めていた。



 16時30分、乗船場着。サン・マルタン運河はここからセーヌ川との合流地点までの4.5km、所要時間2時間15分との標識がある。上流側も運河はずっと続いていて、フランス中に繋がっている。時間があるので、横のカフェ«Biiim!»にてシトロナードcitronnadeで喉を潤す。大きなジャムの空瓶に入っており、ストローが紙でできていた。駐車場に戻ってみんなの荷物をホテルに搬入してくれていたジャンがやってきたところで乗船時間となった。

 17時45分、出船。すぐに、グラス1杯のシャンパーニュとつまみのサラミが配られる。船内で懐かしい曲が掛かった。1975年発表のジョー・ダッサンJoe Dassinのヒット曲«L'Été indien»。
  On ira où tu voudras, quand tu voudras
  Et on s'aimera encore, lorsque l'amour sera mort
  Toute la vie sera pareille à ce matin
  Aux couleurs de l'été indien
 このコーラスの部分を若い乗組員も口ずさんでいた。フレンチ・ポップスをよく聴いたあの時代に引き戻されたような気がした。そして、あのときは夢でしかなかったこの地に今いることが切なく感じた。


 1か所の閘門での水位差は2m程度。2か所の旋回橋を過ぎ、約2kmの地下区間を抜けるとレジャー用の船の係留所があり、最後の5か所目の閘門を過ぎるとセーヌ川に出る。20分後の19時50分、ポン・ヌフPont Neufにて下船。セーヌ川のみのクルーズよりは変化があり、楽しかった。

 地下鉄オデオン駅Odéonから4号線でモンパルナスへ移動。クレープ店の並ぶモンパルナス通りrue du Montparnasseへ。ジョスラン«Josselin»で食べようと思っていたが、あいにく夏季休業中。姉妹店プチ・ジョスラン«Le petit Josselin»は開店していたが、順番待ちの客がいる状況であったので、5年前にも来たプルガステル«Plougastel»へ入店。メインのガレットはLa Nantaise(アスパラガス、チーズ、サワークリーム、チャイブ)、デザートのクレープはTrégana(蜂蜜、レモン)、飲み物はBIOのシードルを注文。
 ホテルまで歩いて行く。不動産屋の店頭で物件広告を眺めた。この近くのダンフェール・ロシュローDenfert Rochereau地区の新築アパートが71㎡で930,000€(約1億1,600万円)。なかなか買えない額だ。リュクサンブール公園を過ぎて、パリ第5大学薬学部が現れた。地下の階段教室に明かりが灯っているのを覗き込んでいると、クリスチアヌが「全く変わっていないわ!いつも一番後ろの席に座っていたのよ。」「どうして?」「いつでも出られるように!」映画館Le Champoでは小津安二郎監督の作品を上映中。
 23時、「ホテル・サン=ジャック」Hôtel Saint Jacquesに到着。6階までエレベータに乗り、階段を昇り、7階の部屋に入った。

2019年 フランス・シャンパーニュ地方のヴァカンス(その4)

2019-09-19 20:57:00 | フランス
8月10日(土)
 朝、気象庁のHPを見ると帰国予定の15日に台風第10号が四国に上陸する予想が判明し、欠航するのではないか、欠航したら多客時なので翌日の便にも乗れないのではないかと不安になった。
 
 

 10時、セザンヌの中心部にあるシャン・ブノワ広場Place du Champ Benoistでは毎週土曜日に市が立つので、歩いて行くことになった。
 近郊から多くの農産物が集まっている。個体が大きくて、ズッキーニcourgetteなどは日本の2倍くらいの大きさである。ただし、ニンジンcarotteは逆で細い物ばかりであった。
 ジャムconfiture とジュレgeléeの店を覗く。Astrid GUILBERTさんが近郊のバネBannayで作っているという。朝食のときに出してくれているジャムはここのものだろうか。柑橘類3種のジャム、ミラベル(西洋スモモ)のジャムとカシスのジュレを購入。
 昨日食べたレンズ豆が売ってあったので、これも購入。
 “SHII TAKE”と書かれたキノコがあった。1kgあたり9€80。

 12時、買い物を終えてからサン・ドニ教会を見学。今日は結婚式があるようで、席の準備がされている。教会の前の広場では、夏祭りの最後のイベントとしてこの日の夜に開催されるジャズコンサートの舞台準備が行われていた。

 12時30分、帰宅したらジャンが昼食を準備中。斜め向かいの瀟洒な家が気になった。よく見ると«À VENDRE»(売ります)の看板が出ていたので、不動産業者のサイトで物件詳細を閲覧したところ、東西向き、部屋数3、床面積103㎡、土地面積200㎡、価格179,900€(約2,250万円)。内部はきれいそう。クリスチアヌに「これはいい買い物?」と尋ねたら、「面積当たりの価格はこの地域では標準的ね。でも、うちと同様に庭と駐車場がない。そんなに新しくないし、住む前に屋根を修理する必要があるのでは?工事は高くつくわよ。」自分にとって石造りの家を評価するのは難しそう。

 16時、車でトロワTroyesへ。道中で発電用風車をよく見かけた。尾根でもなく農地が延々と続く場所であるが、平地が続けば十分に風が吹くのだろうか。
 約1時間で到着。木組みの古い建物が並ぶ中心部を散策。どう見ても傾いている建物が結構ある。写真左側の建物がそう。真新しい木組みの家もある。日本人からすれば木組みは普通ではあるが。トロワに来た頃から胃と頭が重い。毎日出歩いている疲れが出たのだろうか。
 20時、家に戻って夕食。北アフリカ料理のクスクスcouscousと朝に市場で買ったソーセージを出してくれた。胃腸薬を飲んだら体調が快復してきたが、コンサートに行くのは断念した。
 夕食後、ジャンがパソコンに保存している写真のアルバムを見せてくれた。4年前の初めての日本旅行。我が家に泊まってもらった。BGMも付けてあり、大切な思い出のようだ。
 次いで、家族が集まったときのビデオ。彼の娘アリスが写っていた。まだ会ったことはないが、これまで彼女の写真をいろいろ送ってくれていたので、こちらも家族のような気になっていた。
 フランス人と親しくなると自分の家族のことをいろいろ話してくれるし、こちらの家族の動静を聞いてくる。アリスは結婚してフランス中部に住んでいるそうだ。
 クリスチアヌに尋ねた。「ミシェルとパトリックは?」「今はアヴィニョンにいるわ。もうパリには住んでないの。」2人には5年前にパリで会い、一緒にモネの庭園を訪ねた。
 「父上のアンドレはどこに眠っているの?」「ブティニBoutignyよ。2017年8月8日に93歳で亡くなったの。父はあなたがどこで何をしているか気にしていたわ。」そう言われてどきっとした。自分は印象に残る人物だったのだろうか。「もし可能なら、彼に花を手向けたいんだけれど。」「空港に向かう途中にあるので、14日に30分くらい早く出発すれば立ち寄れるわ。とても静かな場所で、父が気に入って、そこに私とジョエルのために家を買ったの。」「アンドレの住んでいたパリの家はそのままなの?」「いや、あそこは借家だったので、もうないの。」5年前にお父さんに泊めてもらった思い出の場所がなくなっているのは残念であるが、訃報を聞いてからずっと願っていた墓参が実現するのは嬉しかった。


2019年 フランス・シャンパーニュ地方のヴァカンス(その3)

2019-09-18 20:47:00 | フランス
8月9日(金)
 6時、鎧戸を閉めるのを忘れて寝てしまい、明るくて目が覚めた。

 8時30分、1階の食堂で朝食。終わってから庭や運河を散歩。

 10時、チェックアウト後、シャンパーニュのカーヴの見学ツアー。参加者は我々4人のみ。地下のカーヴ内は気温11℃なので、フリースを着用。酒石の現物、熟成中に爆発して割れた瓶の跡。ラベル貼付け機など見せてもらった。

 11時20分、シャンパーニュの試飲。4種類の銘柄を出してくれた。6種類1本づつとシャンパーニュ用グラスを購入。

 12時、西隣りの街アイAyの«Rôtisserie Henri Ⅳ»にて昼食。クラシック・タルタル・ステーキTartare de Bœuf Classicを注文。タルタル・ステーキは実に1988年、フランスでジョエルに食べさせてもらって以来、食べていなかった。

 14時、オーヴィレールHautvillersへ。美しいブドウ畑の広がる、ドン・ペリニョンゆかりの村を再訪。ここで雨が降りだした。雨はどんどん強くなり、雷も鳴ってきたので泣く泣く切り上げて、ランスに向かった。
 

 16時30分、ランスReimsのトー宮殿Palais du Tauとノートルダム大聖堂Cathédrale Notre-Dameを見学。雨は止まない。
 19時、大聖堂の前の土産物店でピンク色のビスケット«Biscuit Rose»を購入。シャンパーニュに少し漬けながら頂くのが楽しみだ。セザンヌへ戻る。

2019年 フランス・シャンパーニュ地方のヴァカンス(その2)

2019-09-17 20:58:16 | フランス
8月8日(木)
 8時、言われた時間に食堂に下りると朝食の準備がされていたが、無人。暫くするとジャンがバンを買って帰ってきた。食事を作るのは苦にならないのだとか。
 8時半になってもクリスチアヌが起きてこないので、ジャンが呼びに行った。彼女が早起きでないのは分かっている。やっと起きてきたので、おはようのキスをした。「本当は、私は4回なんだけど、多いから2回!」と彼女は笑った。

 11時30分、車でスーパーマーケット«ALDI»へ買い物。その前に、セザンヌ駅に立ち寄ってもらった。駅としては廃止されているが、駅舎は窓や出入口は塞がれているものの残っており、路線はこの地域で獲れるトウモロコシなど穀物を運搬する貨物線として存続している。駅前に柵が設置され、医療系複合施設の建設計画の看板が立っていた。
 スーパーマーケットではガレットなどのお菓子ほかを購入。洗剤売り場に軟水剤anticalcaireがあった。水道水の硬度が高いフランスでは必需品。洗濯1回分に50円くらいかかるようだ。
 セザンヌの周縁部には、他に«Leclerc»、«Leader Price»といったスーパーマーケットがあり、隣接する人口数百人規模の町村からも集客していると思われる。中心部の歩いて行ける場所にも«Casino Shop»というコンビニエンス・ストアがあるので、日常の買い物の環境は整っているようだ。

 12時、ジャンが街を一周する散歩に連れていってくれることになった。並木に囲まれた遊歩道は実に気持ちがよい。20分ほど歩くと突然、緩い斜面にブドウ畑が広がる。その向こうに市街地と教会。さらに向こうには再びブドウ畑。実にフランスの田舎らしい風景。今年は高温と少雨により枯れたブドウが目立つ。市街地に戻り、BBGRという光学メーカーの工場の前を通り、帰宅。
 クリスチアヌはその間にピクニックの夕食を準備してくれていた。
 「なぜ、ここに住むことになったの?」「この近くに住んでいる知り合いを訪ねたときに不動産業者でこの物件を見つけたんだ。」「建ってから100ないし200年くらい過ぎていると思うわ。」「前の所有者がかなり改造したようだ。」地下にはカーヴ(貯蔵庫)がある。欠点と言えば駐車場がないことか。
 「以前、ブルターニュ地方で物件を探していたよね。」「パリまで時間が掛かり過ぎるの。5時間よ。妹のジョエルにモンペリエから来てもらうおうとすると、1日で来れないわ。ここなら、パリまで1時間半で行けるし、モンペリエに行くときは駅に無料で駐車してTGVに乗れるわ。」
 17時、エトージュ城に向けて出発。

 17時20分、北へ9km走ったところでモンドマンMondementの丘に建つ第一次世界大戦の戦勝記念碑へ。1914年に7日間で仏・英・独合わせて67,000人もの死者を出した「マルヌの戦い」の地。そのような場所には見えないが、陸続きの国にとっては水平線の向こうの隣国から攻め込まれる不安が常にあるのだろう。

 18時、エトージュ城Château d'Étogesに到着。周囲の濠を含めて100m四方のこじんまりした城。てっきり城の内部を見学するのかと思っていたが、城のオリジナルのシャンパーニュを1本注文し、外のテラスでみんなで一杯やるという趣向であった。
 グラスを手に、青空に流れゆく雲とまだ見頃のバラの花を眺めていると、こんなところに豊かさを感じる。ジャンが「結婚した記念にここに泊ったんだ。」夫婦の思い出の場所なんだね。
 20時、マルイユ=シュル=アイMareuil-sur-Ayの「ギ・シャルボ」«Guy Charbaut»に到着。5年振りの2回目の訪問。前回はシャンパーニュ醸造の見学だけであったが、今回は宿泊もする。前回、民宿chambre d'hôteもやっているのを見て泊まってみたいと思っていたので、嬉しい。部屋は2階で、庭の向こうに運河が見える。談話室の冷蔵庫にはシャンパーニュが冷えているのはさすが。無論、有料で、ハーフボトルで10€から。

 早速、ジャンとクリスチアヌが庭でピクニックの準備を始めている。テーブルと椅子が備え付けてあるのでありがたい。アボカドと弁当箱に入ったレバノン風サラダのタブレTabouléを頂いた。夕暮れ時でツバメの大群が頭のすぐ上で舞っていた。

 
 
 



2019年 フランス・シャンパーニュ地方のヴァカンス(その1)

2019-09-16 23:08:08 | フランス
8月7日(水)
 5時、起床。6時半の電車に乗り、8時半に無事に関西空港に到着。

 10時39分、AF291便のB787型機は出発。前回のB777型機に比べて、座席に付いている液晶パネルは画質が随分良くなり、Flightpathによる操縦席からの眺めなどのシミュレーション画面はなかなか楽しめる。USB端子が1人1個、AC110Vのコンセントが3人に2個付いている。シートピッチが狭いのが難点で、前席の客がシートを倒すと液晶パネルが近づき過ぎて見にくい。あと1インチでも広げてほしい。

 11時35分、佐渡島上空にてアペリティフが配られる。迷わずシャンパーニュを選ぶ。

 12時40分、ロシア上空に入って暫くしてから昼食が配られる。2種類から選べるはずが、自分に順番が回ってきたときには選べずがっかり。
 16時、明かりが落とされた中、アイスクリームが配られる。脚が浮腫んでくるのが分かるので、搭乗中数回、機内後方のスペースでストレッチ運動。

 21時25分、スウェーデン上空にて夕食が配られる。お酒はやめておく。
 22時41分(フランス時間15時41分)、パリ着陸。
 クリスチアヌとジャンJeanが車で迎えに来てくれた。気温26℃で晴れており、少し暑い。
 17時、高速道路A104号を経てA4号を東に向かう。最高速度130km/h。路面はとても滑らかで、日本より乗り心地が良い。標識によると、この道路はルクセンブルク(フランス語読みはリュクサンブール)に通じるようだ。クテヴルーの料金所を過ぎてすぐ、県道D934号に下る。中間地点のクロミエCoulommiersを通過。パリからここまでは電車が通じている。エステルネEsternayから国道N4号。
 小さくまとまった市街地と広大な農地の繰返しで、農業国の印象を強くする。市街地は50km/h、その他は110km/hの速度制限。市街地に入る手前に速度計が設置され、測定値が表示される。取締に使用される旨記載されているので、各車両遵守しているようだ。

  18時40分、セザンヌSézanneに到着。日入は21時13分なので、まだ日中という感じ。

 城壁を撤去した跡の遊歩道に面した石造りの2階建てのお家。遊歩道の両側に並ぶ背の高いセイヨウシナノキ(セイヨウボダイジュ)Tilleulが緑陰を作り、趣がある。
 遊歩道に面した2階の普段寝室として使用している部屋を提供してくれた。窓を開けたら、とても静かな場所で、街の中なのに15分ごとに鳴る教会の鐘と鳥の鳴き声以外は殆ど何も聞こえない。
 7月にジョエルがセザンヌに来たときに私へのお土産を預かっているとのこと。額縁入りの絵、モンペリエの写真集、そしてモンペリエのあるラングドック地方のスケッチ集であった。
 1時間ほど休憩してから遊歩道の散歩に出掛けた。湿度が低いので気持ちがよい。5月あるいは10月頃の京都の気候に相当する感じだ。

 街の中心であるサン・ドニ教会Église Saint-Denisの前を通り、レストラン«La Mezzanine»へ。「いま、あまりお腹が空いてないんだ。」「フランスの料理は量が多いので、私たちもよく前菜とデザートだけ頼むの。」「そうなんだ。」ということで、前菜は妻がランス風ハム、私が海老と柑橘類のカクテル、デザートは妻がチョコレート・ムース、私がクレーム・ブリュレを頼んだ。いずれも、量は日本で食べる場合の大体2倍あるので、これで十分。

 ランス風ハムJambon de Reimsは塊で出され、妻がおいしいというので私もつまんだ。コーンビーフみたいな食感。22時を回ってやっと外が暗くなった。
 部屋にはシャワーが付いているが、浴槽はない。汗をあまり掻かないためか、それほど浴槽に浸かりたいという気持ちが湧かないのは事実。

2019年 フランス・シャンパーニュ地方のヴァカンス(その0)

2019-09-15 23:00:18 | フランス
 昨年春にパリ近郊からシャンパーニュChampagne地方のセザンヌSézanneに引っ越したクリスチアヌChristiane姉さんから妻と共にセザンヌに泊まりに来るよう熱心に誘われていたが、「ホテルに泊まり、日中にお宅を訪問するのならともかく、お宅に泊めてもらうのはどうも・・・」と妻が尻込みして話は一向に進まなかった。
 しかし、今年の4月、ついに決心して8月にセザンヌを2人で訪れることをクリスチアヌに伝えた。モンペリエMontpellierに住む妹ジョエルJoëlleにも伝えた。すると、早速、セザンヌとその近郊の観光パンフレットがどさっと郵便で送られてきた。英語版が中心で、英語は分かるがフランス語の分からない妻に宛てたものであることは明らかである。
 飛行機は、長時間の搭乗や乗換えが辛くなってきたので、5年前と同じくエールフランスの直行便を8月7日(水)出発、15日(木)帰国の9日間の日程で直接予約した。
 前回と異なる点は、運賃設定が搭乗日、座席位置ごとに細かくなったこと、出発30時間前までの座席指定が有料になったこと、払戻可能なフレックス運賃が設定されたことである。搭乗日は休日を避け、座席は出入りと静かさを考慮して前方中央の通路側を事前指定した。
 5月、せっかくの機会なので、クリスチアヌとジョエルにアクセサリを贈ろうと考えていたところ、琵琶湖で養殖している真珠の展示販売会が大阪・梅田の阪急百貨店で開催されることが分かったので、妻と出向いた。海で養殖されたものより粒が小さいのは核が入っていないためで、全部真珠層でできているそうだ。皇后のお印であるハマナスの銀細工に真珠をあしらったブローチを姉妹で喧嘩しないよう(?)2個購入した。
 6月、何かフランスに持参してほしい物はあるかとクリスチアヌに尋ねたところ、容量が700mL程度の弁当箱Boîte à Bentoを2組ほしいとのこと。日本の弁当がフランスでブームになっているという話をテレビで見たことがある。何に使うのかと尋ねたところ、「ピクニックpique-niqueに使うの。」という。「ふーん、そうか。」と分かったような気がしたが、よく考えるとフランス人のピクニックってどんなものだろう。「何を入れるの?」「オムレツとトマトなどの野菜よ。」
 日本なら上段におかず、下段にご飯と分けて入れる。2段式のほうが使い勝手がよいだろうと思い、2段式でカバーのデザインが和風のものをネットで探したが、容量が700mL程度のものは人気で品切れが多く、苦労した。箱屋製の花柄のものとあじろ柄のものを1組づつ、最後の在庫品を何とか見つけて入手した。
 弁当箱のほかは、一保堂のいり番茶、とらやの羊羹をご所望。
 さらに、「これは代金を払うから。」と浴衣を買ってきてほしいという。ネットでそこそこの品質と思われるのものを探し、お望みの柄を調達した。寸法合わせができないので不安があったが、「既製服は大き過ぎるので、いつも自分で寸法を直しているから大丈夫。」というので何とかなるだろう。
 7月11日、ジョエルからメールあり、「会いに行けないけど、がっかりしないでね。」5年前はパリまで出て来てくれたので、今回はこちらから行ければよかったのにと後悔した。パリ到着当日に国内線に乗り換えれば、夜にモンペリエ空港に着くことは可能であるが、全体の旅行日数を考慮すると、セザンヌと両方の初めての土地を訪ねるのは無理があると思い、次の機会に訪ねることにした。
 7月25日、フランスは熱波caniculeに襲われていた。パリで気温42℃、湿度19%。セザンヌでも気温41℃。一般家庭には冷房装置がないので大変。この時期、大西洋から次々とイギリス付近にやってくる低気圧に向かって、アフリカから北に張り出した高気圧から熱風が吹き込む。
 7月29日、クリスチアヌからフランス滞在プログラムの案が次のとおり届いた。
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 - 8月7日(水)
  16時 大阪からAF291便にてパリ到着。
     出迎え及びセザンヌへ移動。
  19時 自宅にて夕食。
 - 8月8日(木)
  朝 セザンヌのブドウ畑を散策。自宅にて昼食。
  15時 「エトージュ城」に向けて出発。ここで一杯やる。
  18時 マルヌ川のほとりでピクニック、あるいは雨天時はレストランで。
  20時 マルヌ=シュル=アイのシャンパーニュ醸造所「ギ・シャルボ」に到着。
     ここの2部屋を予約済。
 - 8月9日(金)
  9時 「ギ・シャルボ」にて朝食。
  10時 シャンパーニュのカーヴ(酒蔵)見学及び試飲。
  12時30分~13時 「ロティスリー・アンリ4世」にて昼食。
  14時30分~15時 ランスに向けて出発。大聖堂及びトー宮殿を見学。
  セザンヌに戻り、自宅にて夕食。
 - 8月10日(土)
  朝 セザンヌの「ルクレール」(スーパーマーケット)にて買い物。
  11時30分 トロアに向けて出発(45分の移動)。午後はここに滞在。
  セザンヌに戻り、夕食。
  洗濯。
 - 8月11日(日)
  パリに向けて出発。
  15時 セーヌ川とサン・マルタン運河にて2時間のクルーズ。
  19時 クレープ店「ジョスラン」にて夕食。
  エコール通りの「ホテル・サン=ジャック」に宿泊。
 - 8月12日(月)
  朝 「不思議のメダイの聖母の聖堂」を参拝。
  パリでお好きな場所を散策。
  18時 セザンヌに戻り、自宅にて夕食。
 - 8月13日(火)
  朝 ジョワゼルにて軌道自転車。
  ピクニックの昼食。
  15時 プロヴァンにて中世時代劇「騎士の伝説」を鑑賞。
     バラ園のサロン・ド・テで一服。
  - 8月14日(水)
  9時頃 セザンヌを出発。
  11時頃 空港到着。
  あなた方の自宅へ。
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 完璧な企画のように思われた。フランス人企画のヴァカンスというのも面白そうだ。
 5年前のパリ滞在と異なるのは、地下鉄のような公共交通機関に乏しく、自分達だけで行動するのが難しいこと。パリまで行くには、日に1〜2便の予約制のバスで25分かけて南へ約25kmのロミィ=シュル=セーヌRomilly-sur-Seineまで行き、2時間に1本の列車で1時間15分かけてパリ東駅に着くことになる。
 日々届くメールからは、弟夫婦が来るのが待ち遠しい気持ちが伝わってくる。
 8月6日、出発前に仕事を片付けるのに少し残業しなければならず、旅行の支度を終えると24時になってしまった。天気予報を見て旅行中、フランスに熱波が来なさそうということが分かり安心。

 


 

【フランスのお菓子】「ビスキュイ・ローズ」«Biscuit Rose»

2019-05-05 20:33:14 | フランス
 フランス人のお姉さまから「ビスキュイ・ローズ」(ピンク色のビスケット)を頂きました。シャンパーニュ地方の中心都市ランスReimsにあるフォシェFossier社の製品です。同社のウェブサイトによると、ビスキュイ・ローズの歴史は1690年代に遡ります。缶には「アペリティフとデザートに」と書かれています。
 12個入りの袋が2つ入っていて、計200gですから、とても軽いです。所々でビスキュイがつながっていますので、焼き型に種を連続して注入しているのでしょうね。極細の砂糖が掛かっています。

 アペリティフに同じ地方の特産品である発泡酒シャンパーニュを用意します。
 ビスキュイをシャンパーニュに浸します。ビスキュイが崩れないよう、すぐに引き上げます。
 ビスキュイは卵白が使用されており、内部には多数の気泡が見られます。軽くてシャンパーニュがよく浸みる訳です。シャンパーニュの浸みたビスキュイを少しかじっては、再びシャンパーニュに浸すことを繰り返して味わいます。甘さもバニラの香りもとても控えめで、数本くらいすぐに食べてしまいそうです。


【フランス料理】「ラ・メール・プラール La Mère Poulard 」(東京国際フォーラム1F)

2019-04-07 15:25:05 | フランス
 東京駅丸の内南口から地下通路で約5分の東京国際フォーラム1階にオムレツで有名なこの店があります。
 平日の正午、ウェブ予約しておいたのですぐ入店できましたが、店内は女性同士や男女カップルの客で満席です。空席待ちの客が10人ほどいました。
 1650円のオムレツランチを注文。前菜は季節野菜とボイルドエッグのサラダとバゲットを選択。いろいろな野菜の味が少しずつ楽しめました。バゲットは量がちょっと少ないですが、フランスの習わしでいくと、無料で追加できるのかな?
 メインのスフレオムレツは、直径約20cmの円形で極厚に焼いてから二つ折りにしたような感じで、最初はおっと驚きます。焼き面以外はふわふわで、味付けは非常に薄いです。普通のオムレツであれば卵自体の味や塩味がするのですが、一口ずつキノコクリームを絡めて食べるものと思えば納得がいきます。
 実は、学生のころ、本店のあるフランスのモン・サン・ミッシェルを訪れたことがあるのですが、あいにく体調を崩していたため、オムレツを試す機会を逸しました。
 
 
 最後はカプチーノを頂きました。
 軽めの昼食としてはちょうど良い量でした。

ガレット&クレープを作る(その11)

2018-09-29 11:08:00 | フランス

 ようやく涼しくなってきたので、2年振りにガレットとクレープを作ることにしました。
 ガレット用のソバ粉。ソバ殻も一緒に挽いた色の濃い田舎蕎麦用の粉が欲しかったのですが、すぐに入手できなかったので普通のソバ粉を使用しました。でもよく見るとあちこちに黒い粒が見えます。

 クレープ用の小麦粉。風味を重視してバゲット用の準強力粉のうち灰分の多いものを使用しました。この品種は既に使用実績があります。

 直径36cmのクレープパンで焼きます。油はラードを引くとこびりつきません。
 ガレットの生地には、ソバ粉につなぎとして先述のクレープ用小麦粉を1割混ぜています。これで特に焼いている途中で割れるなどの問題は生じませんでした。

 主菜のガレット1枚目は、生のサーモンに野菜とサワークリームを添えました。
 青森県産のシードルとともに頂きます。ソバの風味がほのかに感じられました。

 ガレット2枚目は、一般的なコンプレット(卵、ハム、チーズ)です。
 卵の黄身が半熟になるまで焼きます。

 デザートのクレープは、メープルシロップ掛けです。レモンを搾り、さっぱりとした味となりました。


【リヨン料理】京都・寺町二条「ブション le Bouchon」

2018-09-26 23:15:33 | フランス

 誕生会の主賓はフランス料理が好みということなので、「鳳泉」の近くにあって気になっていた寺町二条のリヨン料理店「ブション」にしました。
 土曜日の昼12時で予約し、15分前に着いたところ、既にほぼ満席で、予約のない客が多数断られていました。

 料理は前菜、主菜、デザートの3品のコース(2,880円)にしました。リヨンは列車で数回通過したことがあるだけで現地の料理のことは殆ど知らないので、3品とも選択肢があるなかで基本的なものを選ぶことにしました。
 前菜はリヨン風サラダ。落とし卵、ドライソーセージ、ベーコンが載っているのが特徴。写真からは前菜として量的に多いと感じられるかもしれませんが、これはフランスのレストランでは普通です。

 主菜はブルゴーニュ風牛肉の赤ワイン煮込み。付け合せに小玉タマネギ、キノコ、パスタ。舌でほぐれるくらいによく煮込まれた牛肉を楽しみました。

 デザートはクレーム・カラメルつまりプリン。濃厚な味わいに満腹となりました。
 店のしつらえと料理がフランスの一般的なレストランの雰囲気をよく出していると思います。暫く通う価値はありそうです。


【ガレット・クレープ】大阪・梅田「CREPERIE Le Beurre Noisette」

2018-08-11 23:59:59 | フランス

 大阪・梅田に家族と買い物に出掛けたついでに夕食も軽く済ませて帰ることになりました。暫くガレットを作っていないことを思い出し、ガレット店をGoogle検索したところ、グランフロント大阪のB1Fうめきたセラーにある「クレープリー・ル・ブール・ノワゼット」が近いので行ってみることにしました。
 店内は若い女性客を中心にほぼ満員でしたが、幸い2人席が空いていました。シードル1杯、ガレット1枚、クレープ1枚及びソフトドリンクのセットを注文しました。

 

 ガレット「海老とイカとソーセージの地中海風 サフランソース」(追加料金要)

 ガレット「生ハムとツナのサラダ仕立て」

 クレープ「アカシヤの蜂蜜とレモン バニラアイス添え」

 クレープ「メープルシロップ バニラアイス添え」

 ガレットに使用のそば粉は色が薄く、黒皮を取り除いたものと思われ、上品な味でした。黒皮入りのそば粉もまた異なる味わいがあり、田舎そばの好きな私ですが、なかなか入手しにくいです。
 クレープのほうは、蜂蜜&レモンもよかったですが、色の濃いメープルシロップがヘビーな味で、結構お腹が満たされました。


フランスからの便り: 父アンドレが亡くなりました

2017-08-31 23:59:59 | フランス

 クリスチアヌ姉さんから便り。

 - 8月8日の朝、父アンドレが93歳で亡くなりました。

 あぁ、今年の夏に会いに行けなかったのが本当に残念。

 昨年の秋、パリ中心部からフランス南部モンペリエの老人ホームに引っ越して、馴染んでいたと聞いていた。

 老人ホームはクリスチアヌの妹ジョエルの家から歩いて直ぐのところ。

 - 7月下旬に会いに行ったときは、元気にしていて、海辺のカフェでアイスクリームも食べられたの。
   その後、パリで父の部屋の整理をしていたところ、弟フィリップから、父が熱を出して危篤状態との連絡があり、急遽、現地に向かい、その翌朝亡くなったわ。
   ジョエルとともに父の最期に立ち会えたのはよかった。
   痛みで苦しむことも余りなかったのもよかった。

 今夏、ヨーロッパは高温に見舞われたので、体調を崩したのだろうか。日本と異なり、エアコンが装備されていない建物が多いと聞いた。 

 お父さんへの思いを語ってほしい、もしそれが君の慰めになるならば。こんなとき、どんな言葉を掛ければよいのか迷ったが、そのように返信を送った。

 

 


フランスからの便り: 田舎に家を買ったの

2017-05-16 23:59:59 | フランス

 クリスチアヌ姉さんから便り。
 - 田舎に家を買ったの。
 そうか、以前からフランス西部のブルターニュ地方が好きで移り住みたいって言ってたからねぇ。
 - 場所はセザンヌSézanneという人口約5千人の町よ。
 ん?地図で調べるとパリから東へ約100km、車で2時間弱のところだ。

 町の中心部を取り囲む遊歩道に面した家の模様。町のHPによると、遊歩道はかつての城壁の跡地に造られた。
 聞いていたブルターニュ地方とは正反対の方角のシャンパーニュ地方だけれど、まぁいい。
 3年前にお願いして連れて行ってもらったシャンパーニュ醸造の中心地エペルネーからは、南西に約50km。
 - あなたにもぜひ来てほしいの。シャンパーニュも飲めるし。
 確かにセザンヌにも少数ながらシャンパーニュの醸造所があり、そそられる。
 ブドウ畑をサイクリングで回るのも楽しそうだ。
 - 今、住んでいる家は当分残しておくわ。
 パリ近郊での拠点も維持されるということだ。
 近いうちに逢いに行けるといいなぁ。