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鼓曲萬来

新橋電機倶楽部

先日はこどもの日という事で
小学生のころでしたかな
住んでいた赤坂周辺に行ってまいりました

いや、もう完全に様変わりしておりますが
それでもところどころに昔の面影が残っておりまして
懐かしい気持ちにもなった次第で

で、小学生の頃と申せば昭和30年代ですね
もう殆ど記憶も薄れておりますが
まずその頃住んでいた、赤坂福吉町の生家近辺から



駅で申せば溜池山王十四番出口のすぐ脇ですな
ここが中学生になるまで住んでいたところ
現在こんなビルとなっております



幼稚園は裏の霊南坂幼稚園
小学校は港区立氷川小学校でした
その小学校は現在は無くなってしまいましたが
大きな銀杏と勝海舟の碑はまだ残っておりました


小学生の頃の友達はもう殆どここら辺には住んでいないでしょうけど
ここはその友達の教会


今でも同じ場所に残っておりますし
牧師の息子でしたから
その後ここを継いだのかどうかは解りません
少し歩くと氷川神社
ここも神官の息子であった友達が住んでいたところです


当時の遊び場はこの神社の境内
そして赤坂見附に向かうさ坂を下れば氷川公園があります




そこから見える景色は今も変わらず
多分に外壁の色とかはリニューアルされております
この建物もう長い間この姿で記憶に残っています
当時はなんだったのかよく解らなかったですけど



まあ昔の遊びまわったところは
何か思い出も蘇ってくるようで
半世紀以上の時間が経ったんだなと改めて

で、まあ今回はそんな所を歩いてみましたが
他にも弁慶橋であるとか虎ノ門の金毘羅様
山王日枝神社とか懐かしい所が沢山あるんですけど

特に
もうちょっと足を伸ばして新橋

そこに何故かいまでも印象として深く刻まれてる建物があるんですな
それは名称を新橋電気倶楽部と申しまして
電気倶楽部って粋な名前のビルでしょ......

とてもお洒落なレンガ造りのビルでした
なぜそんなところに小学生が出入り出来たのかと言うと
親戚関係に音楽関係の方が多くおりまして
母の父は当時のコロンビアレコードにおりましたし
録音技師であるとかレコード盤制作技師や
叔父は新興の東京芝浦電気工業のディレクター
そして叔母はこの電気倶楽部に勤めておりました

家から近かったこともあり
私はこの叔母に連れられて
よくこの電気倶楽部に連れていって貰いました

小学生の頃の記憶なんてもう殆ど消えかかっておりますが
電気倶楽部の印象だけはいまでも何故かきちんと残っておるんですわ
屋上に連れて行ってもらうと
そう...これはニューヨークに行ったときに
改めて思い出したのですが
屋上から眺める感じが電気倶楽部の屋上から見る景色と
凄く似ていて、改めてその記憶が蘇りました

まあ、当時の小学生の記憶ですから
多少曖昧な部分もありますが
当時は何を生業にしているのか理解できませんでしたけど
ちょっと調べてみたらこれが


成程私の記憶の中にある状況と
非常ににておりますが
これは所在が大阪ですな....

私の記憶の中にある新橋の電気倶楽部と
はたしてこの企業が同じものであるかどうかも解りませんが
新橋にあった電気倶楽部の建物の写真は残っておりました
改めて調べてみるとこんな感じの建物だったそうです


今でもこの形で残っているとはおもいませんが
おそらくこんな感じだったのはおぼろげに覚えております
まあ、そこらへんは曖昧のままで残しておくのが良いかなとも思いますが
詳しい事情を知っていらっしゃる方がおられましたら
是非教えて下さいませ

という私の記憶の中の超レトロな思い出
そういった強烈な印象だけはいつまでも忘れないものですな 乙

As Time Goes By (Take 2)
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