アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

『あまねき旋律(しらべ)』監督インタビュー(下)

2018-10-09 | インド映画

アヌシュカ・ミーナークシ監督とイーシュワル・シュリクマール監督との楽しいインタビューは続きます。


:約6年の間に、何度ぐらいナガランドに行きましたか?
2人:8回か、9回ですね。

:そのたびに、撮影する側にも進歩があったんですね。それは、楽しい撮影だったんじゃないですか?
アヌシュカ:何回か撮りに行っている間に、音楽はもう十分撮れたかな、次は違う撮影をしよう、と思いながら戻るんですが、いつでも新しい要素を音楽の中に発見したりするんですよね。同じ歌でも違う歌い方をすることがあったりして、そのたびに音楽のところに戻っていかされる、そんな体験の繰り返しでした。自分たちにとっては、楽しい映画体験でしたね、最終的な編集をしてからも、サウンドデザイナーから、「竹がギーギーいう音と、米が落ちるような音源がほしい」と言われてまたナガランドに行ったりしました。すると、歌はもう十分、と思っていたのに、家を建設する現場で歌っているシーンに遭遇してしまって、また撮りました。周囲の人たちも、そんな現場にも興味があるとは思っていなかったと思うのですが、偶然にも出会ってしまったのです。そんな風に、毎回毎回、面白い、新しい発見がありました。

:最後のクレジットのシーンは、岩の陰から空を少し覗かせたように思えたのですが、あれは最後にああいう場所を発見して撮られたのですか?
イーシュワル:エンドクレジットですか? あれは、映画のポスターを作ってくれたデザイナーの作品なんです。彼女は、この映画の中のある歌を視覚化しようとしていて、紙を何枚も折り重ねていきました。その端が崖のように見えているわけですが、その作品のいろんな形、いろんな部分を撮ったものなんです。紙を重ねて、後ろから光を当てているんですね。


:えー、実際の大岩の陰から撮ったのかと思いました。すごく凝っていますね。あと、ペク(フェク)の人々の話の中に、教育についての言及がよく出てくるのが気になりました。4人のおばさんというか、おばあさんたちが話しているシーンでも、「この人は2年間学校に行った」という会話がでてきますし、私が「くりちゃん兄弟」と呼んでいる双子の青年の話でも、大学のことや父親が教育熱心だったことが出て来ますね。彼らにとって、教育はお金儲けよりも大事、というような考え方があるのでしょうか。
イーシュワル:「くりちゃん」というネーミングはどうして?
:顔が栗に似てるでしょ?(アヌシュカ監督が吹き出す)それから、日本語で似ていることを「そっくり」と言うのですが、そこから「くり」ちゃん、ということで。(監督2人大笑い)
アヌシュカ:一般論で語ることは難しいのですが、あの双子の兄弟の一家は、私たちの通訳をしてくれていた一家なんです。村の人たちと私たちの間の橋渡しをする役割を担ってくれました。あの双子のお父さんにとっては、息子に大学教育を受けさせるというのは重要なことだったと思います。このお父さんは、時にはコミュニティの価値観と対立するようなことも主張したりしていたこともありました。例えば、娘がいるのですが、娘さんは政府の機関で職を得て働いているんです。彼女は「女性もコミュニティの政治に関わるべきだ」という考えを持っており、それは、父の教育と応援があってこその考え方だと思います。コミュニティを見渡すと、金儲けのためにお金を稼いでいる人は誰もいないですね。でもそれは文化なのかも知れませんし、あるいは職がないから、農業に代わる他の産業が発達していないから、なのかも知れません。少なくとも言えるのは、この双子の一家が教育を大事なものと考えている、ということですね。

:その農業ですが、日本にも、農村では助け合う制度「結(ゆい)」があったり、田楽が昔は存在したりしていました。北東インドの照葉樹林帯が日本のルーツ説もあるので、似通っている点があるのでは、と思います。本作を山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映なさった時の、日本人観客の反応はいかがでしたか?
イーシュワル:山形では、ある女性、アイヌ出身の方からコメントをもらったのが印象的でした。大変感動した、ということだったのですが、聞こえてきた歌がアイヌの歌に非常に似ていた、と言って、感情が高ぶっているようでした。それから、若い人が農業をしているのに感動した、という声も聞こえてきました。多くの農業地域では若い人が都市に移ってしまっていることを考えると、画面の中で若い人たちが農業を担っているのが感動的だった、という話を聞きました。若い人が都会に流出しないようにいろいろやってきたけれど、ひょっとしたら文化的な装置を起用すれば、映画の中のようにライフスタイルに影響力を持つことができるのでは、とその人は言っていました。


:今後の構想は、何かお持ちですか?
アヌシュカ:今はまだどうなるかわからないし、映像作品になるかどうか不明で、ネット作品になるかも知れないのですが、インド全土における労働と音楽の関係性を捉えた作品を作ろうという構想を持っています。当初、2、3年でできるかと思っていたのですが、そんなに急いで作ってはいないので、10年ぐらいかかるかな、という感じです。それからそのほかにも、今回とは違う空間、違う状況における労働と音楽に関する作品も作ろうとしています。本作に出てくる人たちは、自分の土地を耕している人たち、自分で労働を裁量する自由を持っている人たちです。様々な紛争はあるけれども、歌う自由は誰からも奪われることはない。誰からも雇用されていない、という状況にあるわけなのですが、それに対して他の土地では、労働の歌というと様々な環境の違いで、抵抗の歌とならざるを得ない現場もあります。歌う自由が守られていない、という政治の有り様を描く具体例、具体的な状況を、他の作品で見てみたいと思っています。
イーシュワル:今スタートしたばかりで、3つか4つのストーリーラインができているのですが、とりあえず当面は演劇に集中しようかと思っています。9月から新作の演劇公演に向けての活動を始め、12月に公演となるので、しばらくは映画と離れることになりますね。自分たちの肉体で、演劇を作り上げていく、そして演劇作品を持って、あちこちを公演して回る旅になるかと思います。


:最後に、お好きなインド映画があれば教えて下さい。
イーシュワル:いっぱいあるよ。
アヌシュカ:私も、たくさんあるわ。最近のだと…『Kaala』ね。
イーシュワル:ラジニカーント主演作の『カーラー』、素晴らしい作品だよ。
アヌシュカ:私、普通は娯楽劇映画に興味を持ったことはないんだけど、このパー・ランジット監督の映画には、どんな演出をしているのか、すごく興味を抱かされた。何かエネルギッシュなものを感じるのよね。あるコミュニティの話で、とても興味深いの。
イーシュワル:インドのカースト問題を描いているんだ。でも、「カースト」という言葉は映画の中で使うことは許されない。カーストに触れる、コミュニティの名前もね。だから、カーストについて言及するのはとてもむずかしいんだけど、ランジット監督は驚くべき繊細なやり方で、全編がカースト問題に関する内容のこの作品を作り上げているんだ。言葉で言うのではなく、どのシーンにも、そしてシーンの背後にも、できごとの背景にも、彼の主張が盛り込まれている。だから、映画検定局も具体的なカットを命じられない。信じられないぐらい、素晴らしい作品だ。
アヌシュカ:これが、メインストリームの娯楽作品なのだから驚くわ。
イーシュワル:そうそう、ダンスシーンもアクションシーンもいっぱい入っている、娯楽作品なんだよ。
Q:絶対に見てみます。今日はありがとうございました。

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『あまねき旋律(しらべ)』の予告編はこちらです。

『あまねき旋律(しらべ)』予告編

cocoの「みんなのつぶやき」をよくチェックするのですが、皆さんからのツイートが続々あがり、読んでいると興味深いです。配給会社のノンデライコもよくツイートを上げていて、きめ細かくフォローアップがされていますが、さらに驚くのが、上映終了後「ほぼ毎日トーク状態」のゲスト選択の幅広さ。えー、その中に私も入れていただいているのですが、『バーフバリ』2作の字幕翻訳者藤井美佳さんと、友人のドキュメンタリー作家の”鎌ちゃん”こと鎌仲ひとみさんに挟まれた、10月14日(日)の12:30の回終了後が当番日です。こちらの映画館ポレポレ東中野のサイトをご参照の上、よろしければお越し下さい。

Kaala Poster.jpg

ところで監督お二人が推薦してくれた『Kaala(カーラー/カーラ)』ですが、このインタビューの後シンガポールに行って、DVDを手に入れてきました。舞台は、ムンバイの空港近くに広がるスラム街ダーラーヴィー。ここにはタミル・ナードゥ州出身者が住み着き、洗濯業を中心に地歩を築いてきました。タミル系の移民たちの中心になっているのはカーラー(黒)と呼ばれている男(ラジニカーント)で、妻やすでに成長した子供たちもいるのですが、彼の心には忘れられぬ面影が。それは、結婚式当日に抗争のため引き裂かれた元婚約者のザリーナー(フマー・クレイシー)でした。そのザリーナーが社会活動家としてスラムに戻ってきます。そして、長年にわたる確執の相手で、今は大臣となっているハリ・ダーダーことハリデーウ(ナーナー・パーテーカル)が、スラムを一掃して巨大なビルを作ろうと計画し、次々と介入してきます。身内を殺され、仲間の裏切りを仕掛けられたカーラーは、スラムの人々を組織して抵抗しようとしますが....。

さらに詳しいストーリーは、カーヴェリ川長治さんのブログを見ていただくとして、確かにアンベードカル博士の肖像画などがチラチラ登場し、マラーティー語映画『裁き』(2015)に通じるものがあります。思いがけないところで題名が飛び出して驚いたのですが、この映画を教えてくれたイーシュワル・シュリクマール監督とアヌシュカ・ミーナークシ監督に深く感謝したのでした。というわけで、ラジニ・ファンの皆さんも、ボリウッド&コリウッド映画ファンの皆さんも、『あまねき旋律(しらべ)』は必見です!! 公式サイトをご参照の上、ポレポレ東中野にお運び下さい。

 


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