アジア映画巡礼

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『ガンジスに還る』監督インタビュー(ネタバレあります)

2018-11-08 | インド映画

岩波ホールで上映中のインド映画、『ガンジスに還る』(2016)はもうご覧いただけましたでしょうか? 若い方から私ぐらいの年代の方まで、たくさんのお客様が見に来て下さっているようです。現在27歳のシュバシシュ・ブティアニ監督が24歳の時に撮った映画、という点でも、大きな話題になっていますが、そのシュバシシュ・ブティアニ監督と、公開前にスカイプ・インタビューが行われました。2社合同インタビューで、どちらもすでに記事になったため、インタビュー全文をアップするものです。なお、タイトルに書きましたように、一部結末に触れてある部分があります。まだご覧になっていない方は、ご覧になったあとでお読み下さいね。映画の公式サイトはこちら、このブログでのご紹介はこちらです。


『ガンジスに還る』シュバシシュ・ブティアニ監督
 「ハフィントン・ポスト」(記事)、「しんぶん赤旗 日曜版」(10月21日号)合同インタビュー

監督:インタビューにわくわくしています。どうもありがとう。


:この映画の舞台となるバナーラスにどういう風にたどり着き、どういう風に興味を持たれたのか、お話し下さい。
監督:元々、映画を撮ろうという魂胆があって、というよりも、インドを見てみたい、自分がまだ訪れていない土地を見てみたいという好奇心でもって、南インドから北上してバナーラスにやってきました。そこで聞いたのが、バナーラスには人が死を迎えるためにチェックインするホテルがある、という話です。これは一体何だろう、と思って、そういったホテルを訪ねてみました。そうすると、結構笑えるようなことが多くて、例えばホテルなんだけどまるで学校みたいに、いろいろルールがボードに書かれているんですね。「持ち物は○○だけ」「○○は持ち込み不可」とか、「私語厳禁」「聖職者にお金を払ってはいけません」「肉食は禁止」等々いろんなことが書いてあって、何だかユーモラスに思えました。そのうちに、ホテルのマネージャーやそこを訪れている人たちから、いろんな話を聞かせてもらえるようになりました。何か信じがたいな、という気持ちと、面白いな、という気持ちとが相まって聞いていたんですが、彼らの話からはいろんな人間らしいエピソードが出てくるんです。そんな話が自分の脳裏にこびりついていて、その後車で各地を移動している間中、よみがえってきたのです。夜中でも、ふと目が覚めるとその話を考えていたりして、そうこうするうちに、彼らの面白い話を映画にしてみようという気持ちに繋がっていきました。

:宗教臭いかと思ったのですが、普通のインド人の人生観、死生観が出ていて、とても面白く拝見しました。あなたのような若い方が、こういう死への準備みたいな作品を撮ったのはなぜですか、そして、輪廻、解脱については、あなたはどういう風に考えているのですか?
監督:しばらく待って下さい、考えてみます(笑)。私はもう若くないんですけど...(笑)。私自身の死生観について話すと、この作品の脚本を書き始めて、自分は死について何も知らないんだ、ということがわかりました。この映画は、人々がどうやって死を迎えるか、というプロセスについて語っているわけですが、ヒンドゥー教的な死生観、具体的に言うならば、このバナーラスという地における死生観を描いているつもりです。そして、死というものは必ず、その反対側にある生を照らすわけで、それも同時に描いています。また、普通の人々が近しい人の死というものに直面した時に、死がどういう影響を与えるのかについても描いたつもりです。大切な人の命がそう長くないと知った時は、やっぱりその人を大事にする、慈しむようになります。
その辺のことを描いているのですが、描き方も非常にこだわりを持って描きました。そういった哲学を登場人物たちに語らせるのではなく、そんな哲学をそのまま生きてもらう、という手法ですね。そういうアプローチを意識して、今回は撮っています。具体的な例を一つ挙げるならば、父親のダヤが息子に「お前はもう戻れ」と言わなければならないシーンがありますが、ここは父親が子離れをしなければならない、自分がしがみついていたものを手放さなければならない、ということの象徴なんです。それができてこそ、いい死に方となる、という描写です。この映画の題名にも、そしてこのホテルの名前にもあるように、「ムクティ」つまりは「解放」「解脱」「魂の救済」というようなことを示したいわけですが、あのシーンは人間関係からの「解放」というシーンになるわけですね。そうやって、バナーラスという土地の持つ死生観を描いて、より普遍的な話にしていこう、という意図をもって作りました。


:バナーラスという町について知りたいのですが、ああいうホテルはバナーラスの町にはいっぱいある、ということなのでしょうか?
監督:ああいうところがたくさんあります。バナーラスに来れば救済が得られる、ということで、いろんな人がこういうホテルを作っています。ホテル全部を訪れることができたわけではありませんが、かなりの軒数を訪ねました。ホテルによっていろんなルールがあり、15日間しか滞在できないところ、好きなように部屋をアレンジできるところ、みんなが木の下に集まって過ごすところ等々、そういったいろんなルールを参考にして、自分なりの「ムクティ・バワン」ホテルを作り上げました。

:ということは、ああいうホテルはバナーラスにとって大きな産業になっている、ということでしょうか。
監督:そうです。一大産業になっています。バナーラスで死ぬことが大事なので、ホテルに泊まっていなくても、近隣の村で誰かが亡くなるとバナーラスに遺体を運んできて葬儀をやる、ということもあります。葬儀の過程では遺体を焼く薪も必要ですし、儀式を司る僧侶も必要です。そう考えると、それはそれで1本の映画が撮れるかも知れませんね。産業になっているのはむしろこの葬儀の方で、ホテルは利益追求というわけでもなく、大資本が介入しているわけでもありません。企業がサポートしていたり、実費だけもらって部屋を貸していたりするケースもあるのですが、産業として利益を追求してるわけではないんです。


:本作の中で、バナーラスの観光的な側面、例えばバーング(大麻)入りラッシーや、夕方のガンジス河岸でお灯明を回す儀式「ガンガー・アールティー」なども見せていますが、これは何か意図があったのでしょうか?
監督:死と直接関わらない描写なので、入れるのはどうだろうと最初は躊躇したんですが、あれもストーリーに沿うと思ったんです。主人公たちは外からやってきた人たちですし、バナーラスの宗教ツーリズムに観光客的に触れると思うんですよね。「ガンガー・アールティー」は再現してもらう予算はなかったので、本番そのものを撮っていますが、あそこには各地から多くのインド人がやってきますし、世界中から、もちろん日本からも、毎夕のあの儀式を見るために集まってきます。ですから、町の外から一家がやってくるとどうするだろう、と考えると、そういう所に行くだろうな、と思ったわけです。

:この映画は死の問題の他に、世代問題も描いているのでは、と思いますが、監督と同じ世代の人でも「バナーラスで死を迎えたい」と思っている人が多いのでしょうか?
監督:僕と同世代の人間は、60歳になったら、バナーラスに行くべきかどうかがわかるんじゃないでしょうか(笑)。同じ世代といっても、皆さんそれぞれに多様ですし、いろいろ思うところがあると思います。世界中にはいろんな思想があるわけですしね。これが私の世代の声、というのはなかなか表現できないものなんですよ。でも、あるレポートによると、バナーラスに行って死を迎えよう、という人は、減ってきているみたいです。


:映画の中でホッとするのは、未亡人のヴィムラが出てくるシーンなのですが、彼女は夫の死後18年もあそこに住んでいると説明されていますよね。でも、未亡人なのに、服装がカラフルですね。普通は白やブルーの単色のサリーを着て、アクセサリーはまったく着けないと思うんですが。それともう一つ、ダヤ役のラリット・ベヘルとヴィムラ役のナヴニンドラ・ベヘルはご夫婦ですよね? このキャスティングはなぜですか?
監督:まずキャスティングの話ですが、ラリットさんはある映画を見て、すごく存在感があるな、と思って注目していました。このダヤ役はやはり存在感のある人でないと、と思っていたので、彼に声を掛けました。当時彼はニューデリーに住んでいたため、脚本を送ると、「自分のオーディションテープを送ろう」と言ってくれました。それで自分の演技を収録してくれたわけですが、そこにナヴニンドラさんも登場していたのです。私は彼女のことは知らなかったのですが、その声が、経験と歴史とが宿っているような魅力的な声だったのと、それから当然ながら2人の間のケミストリーがすごくよかったので、彼女をキャスティングするのもアリかも、と思いました。
それから、ヴィムラのサリーのカラフルさですが、これもバナーラスでの経験に基づいています。訪ねた未亡人の部屋がピンクだったり、天井からバスケットをいくつもつるしていて、そこに野菜を入れていたりとかね。どうしてバスケットをつるしているんですか、と聞いたら、ドブ鼠がいるからよ、かじられるから上につるしているの、という答えでした。そのほか、いろんな物を持っていてなかなか捨てなかったりとか、そんな彼女たちの生活ぶりを意外に感じました。まるで死に彩りをもたらそうとしているかのようで、理想的だな、と思い、死と彩りという着想を得たわけです。いろんな話をして、手厚く歓迎してくれるのですが、劇中で父と息子を食事に招いて歓迎してくれるのも、そういった彼女たちの姿を元にしました。

:この映画を撮り終えた監督は、実際にまだ決めてらっしゃらないかも知れないんですが、ご自身は最後にバナーラスに行こうと思っていますか?
監督:一人で行きたいと思うかどうかはわかりませんね。でも、バナーラスはとても美しい所だったし、大麻入りのラッシーを飲んでみたけどすごくよかったし(笑)、行くのは悪くないかも、と思います。ただ、自分にはまだ息子がいないので、息子ができたら連れて行ってもらいたいな、と思います。


:最後に出てくる、父ダヤが自身で書いた死亡記事がとても印象的だったのですが、あれは監督が映画のために書かれたのでしょうか? それとも、誰か高名な文学者のものが元になっているのでしょうか?
監督:これは、台詞を書いてくれた脚本家アサド・フセインが考えて、書いてくれたものです。家族への個人的な贈り物、という感じの内容なんですが、これを記事に書いてしまうとネタバレになるので、書かない方がいいかも知れませんね(笑)。

:この映画に出てくるエピソードは、すべて監督のリサーチに基づいたものなのですか?
監督:前述した旅でのエピソードだけでなく、「Dying a Good Death」という本も参考にしました。それから、撮影中にそこの人たちから聞いた話も入っています。彼らには、エキストラとして撮影にも参加してもらいました。そういったことも参考にしています。

:監督の出身校ウッドストック・スクールはムスーリーにある学校のようですが、学校時代は演劇をやっていたとあります。ですのになぜ、演劇から映画へと移ったのですか?
監督:10代の頃はエネルギーに溢れていたので、台詞をしゃべったりするのが好きだったんですが、途中からシャイになって、自意識過剰というか、性格が変わってきたんです。それに、それまではボリウッド映画やハリウッド映画など、アクセスしやすい映画を見ていたのですが、学校の英語の先生がワールドシネマの作品を見せてくれて、世界中のいろんな映画を見るよう薦めてくれました。そこから面白いな、と思うようになって、そのあと映画学校にいき、監督になったわけです。

全員:ありがとうございました。

(監督写真提供:Kyoko Dan)



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