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アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

旅の恵み

2023-03-18 | 旅行

前回のブログ記事のように、4年ぶりに行ったインドの旅はかなりさんざんなものでしたが、もちろんいいこともたくさんありました。

[天に感謝! のいろんな出来事]

A.友人や知人に久しぶり会えたこと

①ナスリーン・ムンニー・カビール(ムンバイにて)

こちらの記事にも書きましたが、4年ぶりにナスリーンの自宅を訪ねて、とびきりのお昼をごちそうしてもらったのは2月27日(月)のこと。実は彼女には、私がムンバイからチェンナイに行っている間、小さなスーツケースを1つ預かってもらうことにしていたのです。今回のキャセイ便は、行きはエコノミーなのになぜか「預け入れ荷物は2個まで。いずれも23㎏まで」というとんでもない条件が書いてあり、帰りは帰りでビジネスだったため、「荷物は2個まで。いずれも32㎏まで」とあったので、「それじゃ、行きは46㎏、帰りは64㎏運ばせてもらおうじゃないの」と思った次第です。というわけで、デリーにいる2人の教え子に希望を聞いて、日本の食料品を小さなスーツケースに入る段ボールにいっぱい詰め、ムンバイに着いた後こちらの記事に書いたようにDTDC(インド版宅急便)で送ったのでした。ただ、スーツケースは小さいとは言え、大きなスーツケースに入るサイズではなく、ムンバイに置いて行かざるを得ません。当初、ある空港近くの結構高いホテルを予約し、チェンナイから戻った日も1晩予約して、「こういう形で予約するから、最初のチェックアウト後のムンバイ不在の間、スーツケースを1個預かってもらえますか?」とメールで聞いたら、「On your own risk.(あなたの自己責任で)」という答えが返ってきたのです。うーん、まともなホテルのする返事か、と頭にきた私は、そこをキャンセルし、別の手をいろいろ考えたのでした。①古いキャリーバッグを持っていって捨て、帰りには安いキャリーバッグかスーツケースを買う(しかし、その買った方の容れ物は帰国するとゴミ同然、もったいない)、②空港の荷物預けに預ける(これは調べてみると3日以上はダメみたいでした)、③その後泊まる市内のレジデンシー・ホテルに頼む(しかし、高級ホテルでもNGだったので、3つ星ホテルは無理かも)、と間際まで考えてナスリーンに聞いてみたところ、「足を骨折してずっと家にいる」という返事が。というわけで、彼女に頼んだのでした。でも、部屋が狭くなるのはイヤみたいで、「ベランダに置くけどいい?」。ベランダと言ってもちゃんと屋根があるので無問題。うまい具合に日本のゴミ袋がすっぽりとかぶせられるサイズだったので、ホコリよけのそれをかぶせて預かってもらったのでした。とーっても助かりました、ありがとう、ナスリーン!

Zakir Hussain: Ek Sangeetmay Jeevan

おまけに、彼女は自分が出した本など手元にある不要な本をボンボンくれて、私もありがたくいただいてきたのでした。彼女のWikiを見てもらえばわかります(このWiki最近の情報が抜けてますねー。Amazon見てもらった方が早いかも)が、精力的に仕事をする人で、ジャーヴェード・アクタル、ワヒーダー・ラフマーン、グルザールなど、映画関係者へのインビューには定評があります。「あと、誰にインタビューする予定?」と聞いたらちょっと考えて、「....シャー・ルク・カーンね」と言っていました。ああ、録音係として、付いていきたい! 4月には本当の家があるロンドンに帰るそうですが、左足の外側の骨折が早く治ってくれることを願っています。

②シヴェーンンドラ・シン・ドゥンガルプル(ムンバイにて)

彼は、今インド国立映画アーカイブよりも積極的、かつ精力的にインド映画関連の事物収集や作品保存&修復の仕事をしているFilm Heritage Foundation(映画遺産財団)のトップです。詳しくはこちらを見ていただきたいのですが、映画関係者からの寄贈を受けた物品の収集や、いろんな映画資料の保存の傍ら、古い作品を修復しては世界の映画祭で再上映させる活動も行っています。彼が以前、日本のインド映画のチラシに関心を示したため、数年前からチラシを2枚ずつ集めては寄贈しているのですが、今回はこの4年間分のを持って行ったので、結構な重さになりました。ものすごく忙しい人で、前半のムンバイで一瞬会ってプレゼント交換をして、「では、ムンバイに私が戻ってきたらまた!」と言って別れたのですが、後半では約束の日に連絡が来ず、会えずじまい。おばさんが亡くなられたとかで、実家(ラージャスターンの名家らしい)に帰っていたようです。「私が集めているインド映画資料で何がほしい?」と聞こうと思ったんですが、それはまた次回に。今回も行きの荷物に空きができたので「インド映画音楽のカセットテープは要る?」と訪ねたところ、「音楽カセットはいっぱい資料があるから不要」との返事が来て、それじゃ一度相談しないとねー、と思った次第です。この先の1年間で、リストアップできるといいんだけど。今回は彼からも、どっしりと重い映画保存活動ワークショップの報告書をもらいました。

③アマン・サチデーワ監督&ウダイ・シャンカル・パーニ氏(ムンバイにて)

こちらにも書いたように、アマン監督には、一晩ステキなお宅ですっかりご馳走になりました。彼が紹介してくれたウダイ・シャンカル・パーニさん(下)からは、今、いろいろ指導を受けながら、インド官僚との闘い(?)を続けています。さーて、うまくCBFCから、インド映画製作本数が引き出せるでしょうか? 昔、インド国際映画祭に参加させて下さい、滞在費だけ出して下さい、と情報放送省の官僚である映画祭のディレクターに、毎年お願いの手紙を送っていた頃を思い出します。もちろん、航空運賃と共に滞在費も自費で参加することもできるのですが、それではプログラムを始めとする映画祭の情報がまったくと言っていいほど入ってこないのです。そのため、「招待者」として映画祭ご指定のホテルに滞在する人物となるしか、効率的にインド映画を見るすべはない、と思い知ったのが、初めて参加した1982年コルカタで開かれたフィルモツサウ(「映画祭」という意味で、隔年にこの各都市回り持ちの「映画祭」と「第○回インド国際映画祭」が開かれていましたが、内容は同じです)でした。今回のお願いの件も、日本の映連や韓国のKOFICのように毎年きちんと映画データを発表している国から考えると、お役所仕事の弊害、としか思えないデータ発表の遅れなんですが、その、未だ発表してないデータを外に出すためには、それ相応の裏付けが必要なわけで...。会った時には「OK」して下さったのですが、実際に手にできるかどうかは疑問符付きになってきました。

④レジデンシー・ホテル・フォート・ムンバイのスタッフさんたち(ムンバイにて)
ここにはもう何度も来ているので皆さんともおなじみですが、特に朝食時のスタッフが歓迎してくれました。下は案内役のピーターさん。左が5年前で、右が今回の写真です。

 

右の写真の階段下にいるボーイさんも、4年前にいましたが、下写真の右、どこかモフセン・マフマルバフ監督に似ている(笑)ボーイさんも、4年前にいたと思います。陽気な人で、毎朝楽しかったです。病気の件で、いろいろ皆さんに心配掛けてごめんね。左のコックさん、マサラオムレツは残念ながら以前のコックさんの方がじょうずだったけど、あなたが焼いてくれるワッフルはおいしかったよー!

⑤レジデンシー・ホテルの隣の洗濯屋さん(ムンバイにて)

これは4年前の写真ですが、この時は自分で持ち込み、ホテルの部屋に配達してもらう、という形でした。今回は取りに行くのも自分でやり、そのためちょっと感動的な事件が。サリーの洗濯が日本ではなかなかできないため(これまでやってくれていた近所のクリーニング館というのが昨年末につぶれ、次にそこに入ったクリーニング店がちょっと高そうで...。前の店もサリー1枚2600円したので、荷物の重さの心配もないことから、インドで全部クリーニングすることにしました)、講座などで一度着たサリーを今回持ってきて、ちょっと着ては最後にここで全部クリーニングしたのです。ところが最後に取りに行くと、中の1枚が布が裂けてしまった、というお詫びが。実際に扱った職人さんも出てきて、「ここです」と示してくれます。布の真ん中あたりが、ピッと横に20センチほど裂けています。「あー、これは40年以上前のサリーだから、しょうがないかも」と言うと、職人さんとマネージャーさん(写真上左)はちょっと安心したようで、「お詫びに少し洗濯代を引きますから」と言ってくれます。「いいんですよ、でも、好きなサリーだったから、惜しいなあ」と言うと、「時間があるなら、ラフーという方法で直せますよ。2、3日時間をもらわないといけないけど」との申し出が。「rafu」というのはかがり縫いのことで、英語では「darning」と言い(どちらもマネージャーさんに教えてもらった)、日本でもやれる職人さんがいるのですが、インドのお手並み、ぜひ見てみたい! というわけで、「じゃ、来年来た時にお願いするわね。他にクルターで裂けたものもあるし、みんな持ってくるわ」と笑顔で別れたのでした。それでも、悪いから、と結局サリー3枚、サリー・ブラウス2枚で1.020ルピーのところ、切りよく1,000ルピー(約1,700円)にしてくれました。ね、日本のクリーニング代の半分どころか、6分の1ぐらいなんですよ。やっぱりサリーの洗濯はインドに限る!(笑)

B.おいしいお料理をいろいろ食べたこと

①ムンバイ、コーヒヌール・ホテルの朝食ビュッフェゆで野菜炒め

お皿の右上にあるにんじんといんげん、カリフラワーの炒め物、もう、これは絶品でした。シェフを掴まえて、作り方を聞いてくればよかった、と後悔しています。にんにくをいっぱい入れる、というのはわかるのですが、あとのスパイスが胡椒と塩と何なのか...。今、薬で胃が荒れに荒れているのですが、あの野菜炒めなら食べられるぞ~、という感じ。

②チェンナイ、ムルガン・イドリー・ショップのジガルタンダー

 

幸せなことに、3回飲みに行けました。アールーゴービーさんご夫妻の話では、チェンナイにこのジガルタンダーを専門とするお店がいろいろできているそうで、タピオカドリンク@日本のような様相を呈しているらしいです。他のお店に飲みに行く時間がなくて残念でしたが、この店のが絶対一番おいしいと私は思います。橙色は、パパイヤが入っているからでは、と思うようになりました。

③チェンナイ、ザ・レジデンシー・ホテルの朝食ビュッフェの飲み物

普通のジュースもあるのですが、シェイク類が毎日いろいろあって、それがもう絶品! 下にもいくつか写真をつけておきますが、ふわふわした感じのグラスがその類いです。

 

④ムンバイ、グラントロードの裏町のパコーラー(野菜天ぷら)

こちらでも書きましたが、お腹がすいていたせいだけでなく、とってもおいしかったです。屋台のお兄さん、これからもがんばってね! 

⑤ムンバイ国際空港のビジネスクラス・ラウンジのサラダ類

 

このラウンジのビュッフェはゴージャスでした。キャセイのビジネスのチェックインが、遠く離れたエミレーツ航空のカウンターに間借りしていたりして、「何、この扱い」と落ち込んだ気分がきれいさっぱり飛んでいきました。サラダ(上)の他に主食類もいろいろあり、さらにスイーツ(下)も、インドのものやら洋風のものやらが山とあって、ギャル曽根さんでも来ないと食べきれないぐらいの種類。インドの経済力の証ですかしらん。

 

C.目に付いたインドの変化~壁画が増殖、13億人がバンクシー?

 

インドでは、いろんな塀や立体交差路の橋の壁等に、これでもか、というぐらい壁画が描かれていました。上はCOVID-19の啓蒙壁画だと思うのですが、もっとのどかな観光局風のもあれば、軍備を描くものもあり...。国の施策なのか、「空いてる壁は埋めろ!」というかけ声が聞こえるようでした。   

さて、来年もまた行けるでしょうか? 体を鍛えて、サイフも鍛えて(笑)、ぜひ今度は元気なインド旅行をしたいと思います。皆さんも、ぜひインドへどうぞ! と書こうと思って念のため、新型コロナウィルスの新規感染者数を調べたら、何とインドは841人に増えてる! 私のインド入国時までは100人台だったのに、帰国時は400人になっていて、これは、と思っていたら...。インドでも、またマスク姿が増えているかも知れません。

 

 


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