ボリウッドの著名な写真家プラディープ・バーンデーカルが亡くなりました。亡くなったのは8月25日で、70歳だったそうです。英語記事の中の肩書きは、「フォト・ジャーナリスト」とか「プレス・フォトグラファー」とかになっていましたが、要するにスター、あるいは彼らの出演する映画の場面写真を撮り、マスコミに提供するスチール・カメラマンのことです。ボリウッドにはかなりの数のそういうカメラマンがいるのですが、中でもプラディープ・バーンデーカルはその第一人者と言われ、アミターブ・バッチャン、シャー・ルク・カーン、アーミル・カーンらのお気に入りでした。
そのお別れ会が昨日行われ、シャー・ルク・カーン、アーミル・カーン、ジャッキー・シュロフ、ヴィッキー・コウシャル、ヴィディヤー・バーランらが弔問に訪れました。お葬式はすでに終わり、ホテルの小部屋には写真と花が飾ってあるだけですが、遺族が彼らを迎え、お悔やみの言葉を受け取る機会で、通常「Prayer Meet(お祈り会)」と呼ばれます。その時の動画を付けておきます。
Shah Rukh Khan, Aamir Khan, Vicky,Varun, Vidya, Jackie | Photographer Pradeep Bandekar's Prayer Meet
このプラディープ・バーンデーカルとは一度だけ会ったことがあって、2000年1月25日、ムンバイ北部の自宅に行き、彼の撮った写真を何枚か譲ってもらったのでした。その前日、友人の映画記者ジョーティ・ヴェンカテーシュの案内でもう一人の写真家R.T.チャーウラーの家に行き、いろんなスターや監督、作曲家、歌手らの写真を200枚ぐらい譲ってもらったのですが、いい写真ではあるものの、どうも「スナップ写真」という感じだったので、私はあまり満足していませんでした。するとジョーティが、「もっといい写真を撮るカメラマンもいるよ。ただし値段が高いけど、連れて行こうか?」と聞いてきて、次の日のプラディープ・バーンデーカル宅訪問となったのでした。以下が、彼の手になる写真です。最初の2枚は『ミモラ 心のままに』(1999)、あとの2枚は『Taal(リズム)』(1999)の画像です。
All photos by Pradeep Bandekar
最後の写真は『Taal』のポスターにも使われていましたが、微妙にポースが違うでしょう? 連続で何枚も撮り、こうしてポスターに使われたり、映画の公式画像になったもの以外は、カメラマンの裁量で自由に売ったりできる、というシステムだったようです。現在もそのシステムが持続しているのかどうかは不明ですが、そうでなければフリーのカメラマンたちはとても暮らしては行けません。
こんな風に、プラディープ・バーンデーカルはスターをとても魅力的に撮る力量があった人で、だからこそ何人ものボリウッド・トップスターたちから信頼を置かれていたのだと思われます。もの静かな人でしたが、代金交渉に関してはシビアで、この時は20数枚の写真に6,600ルピー(当時は1ルピー2.5円)+30ドル(当時は1ドル105円)払っています。換金していったルピーでは足らず、ドル札で不足分を支払ったのでした。一方R.T.チャーウラーには約22,000ルピー払っていて、こちらもブログでよく使わせてもらっているので、元は取った、というところでしょうか。
実はこの時は、キネマ旬報から「インド映画娯楽玉手箱」という本が出版されるため、きちんとした©のある写真を使おう、ということになって、1月のインド国際映画祭の参加ついでに、ムンバイで写真集めをしてきた、というわけなのでした。ジョーティのような業界記者に紹介してもらわないと、とてもカメラマンとのコネクションはつけられないのでありがたかったのですが、もちろんコーディネート料はがっぽり取られました。ただ、この時は、インド人で旅行コーディネーターのカプールさんという方も知り合いのインドの映画関係者からいろいろ写真をもらって下さっており、表紙はその写真で埋められています。私の写真は、主として途中のカラーページで使われたのですが、安心して本が出せてホッとしたことを憶えています。
この途中のカラーページ写真、憶えていらっしゃる方もあるかも知れませんが、これが上記のようにプラディープ・バーンデーカルの写真だったのでした。彼のご冥福を心からお祈りします。