11月の東京フィルメックスのあとは中国インディペンデント映画祭と、中国のインディペンデント系作品を立て続けに見ていますが、今日は専修大学で「インディペンデント映画と中国の社会変遷」という興味深い講義を聞いてきました。コーディネーターは同大学の土屋昌明先生で、講師は南京大学の楊弋枢先生。楊先生は女子学生のような雰囲気を残すお若い研究者でしたが、パワポを使っての講義は明晰そのもの。中国文学がご専門の土屋先生が、見事な中国語を駆使して通訳して下さいました。
まず最初に、日本映画からのシーンが。是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』 (2008)と、河瀬直美監督の『萌の朱雀』 (1997)からのものです。『歩いても 歩いても』の予告編はこちら、『萌の朱雀』の予告編はこちら。
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この2本は楊先生がとても好きな作品とのことですが、どちらも家族の1人が亡くなるという物語で、亡くなったあともずっとその存在を家族が深く心にとどめている、というところが中国とは違うところだ、というのが楊先生の分析でした。こういった日本映画の影響で、2000年以降は中国のインディペンデント映画でも、家庭の問題や家族の関係が描かれるようになったとか。また、是枝監督も河瀬監督も共にドキュメンタリー映画から出発し、劇映画を撮るようになったが、それは中国インディペンデント映画の監督たちとも共通している、とのことでした。
中国のインディペンデント映画の出発点としては、張元(チャン・ユエン)監督の名前が挙がりました。ドキュメンタリー映画を撮っていた張元監督は、1990年に『媽媽(お母さん)』を撮って劇映画監督としてのデビューを飾ります。でも、その頃は映画を作るには映画会社(それとも撮影所? 中国の撮影所は国立でしたが、1994年に独立採算制となって、以後撮影所システムは解体していきます)で作るしかなく、映画会社に製作名義借り料のようなものを何万元か払って、作品を作っていたそうです。それがインディペンデント形式でもよくなったのが1993年。これは『北京バスターズ[北京雑種]』 (1993)ではないかと思われますが、インディーズ系の製作会社が合法となり、1993年以降は製作が自由になりました。
そして1996(?)年、張元監督作『ただいま[過年回家]』 (1999)が検閲を通ります。
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とはいえ、中国でのインディペンデント映画の定義づけは、やはり「検閲を通っていないこと」というのが基準になるそうです。検閲を通った中国映画の上映許可証は、フィルムの最初にアニメの金色の龍が画面真ん中上に現れ、その下に許可証番号が入る、というもので、あれを「龍のマーク」=「龍標」と呼ぶらしいです。中国で開かれている南京インディペンデント映画祭では、この「龍標」がないことが参加条件となっているとか。
検閲の問題は、受けたけれど不合格になった、ということなのか、それとも最初から不合格になるのがわかっているので検閲にかけなかったのか。検閲を「通らなかった」のか、「通さなかった」のかも、知りたいところです。
ここで、中国インディペンデント映画の代表的作品が紹介される前に、インディペンデント映画の対極にある典型的な商業映画として、『譲子弾飛(弾丸を飛ばせろ)』 (2010)と『武侠』 (2011)の映像が見せられました。、『譲子弾飛(弾丸を飛ばせろ)』の予告編はこちら、『武侠』の予告編はこちら(北京語版)とこちら(広東語版)。余談ながら、『武侠』は来年日本でも公開されるようです。
張元作品に続いては、やはり賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の『一瞬の夢[小武]』 (1997)がインディペンデント映画の起点となるらしく、この作品の紹介がありました。
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それ以前のインディペンデント映画は、街の青年が主人公という作品が多かったのが、『一瞬の夢』では山西省の田舎が舞台で、スリをやっている田舎の青年が主人公。「賈樟柯監督は今はインディペンデント映画の監督とはみなされていない」とのことですが、『一瞬の夢』がインディペンデント映画の金字塔的作品であることは間違いないようです。
さらに、応亮(イン・リャン)監督の『アザー・ハーフ[〔口+力〕一半]』 (2006)、李玉(リー・ユー)監督の『萍果(りんご)』 (2007)、そして婁〔火華〕(ロウ・イエ)監督の『天安門、恋人たち[頤和園]』 (2006)が紹介されました。1989年天安門事件当時の北京大学の学生たちと、その後の様子を描いた『天安門、恋人たち[頤和園]』 の予告編はこちら。フランス版です。
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『萍果(りんご)』 は梁家輝(レオン・カーファイ)、范冰冰(ファン・ビンビン)、金燕玲(エレイン・ジン)ら大物俳優がいっぱい出演しているのにもかかわらず、検閲がなかなか通らなくて、5回修正してやっと上映許可が出たのだとか。これは、大都会で足つぼマッサージ師として働く娘、その店のオーナー、そして娘のボーイフレンドが三角関係となる話とのことで、検閲で性表現の過激なものがみんな削られ、ご清潔な映画となってしまったそうです。
なお、最後のQ&Aでは、 『萍果(りんご)』中のレオン・カーファイとエレイン・ジンが話ながら乗用車に乗っているシーンで、切り返しの映像を使わず、カメラが横移動をして2人の顔を捉えているが、あれは予算が少なかったからか、それとも中国インディペンデント映画独特の映画文法なのか、という質問がありました。楊先生の答えによると、商業映画とは一線を画するため、商業映画が使っている細かいカットの切り返し手法は使わず、長回しを使っているのだ、とのことでした。うーむ、やっぱり専門の研究者には学ぶところ大ですねー。
今日の授業では時間が足らず、この後に紹介される予定だったいくつかの作品は見られずじまいでしたが、「中国インディペンデント映画とは何ぞや?」を考えるいい機会になりました。現在ポレポレ東中野で開催中の中国インディペンデント映画祭上映作品では、楊先生のお薦めは『ピアシング 1』と『書記』の2本だとか。見てみようと思います~。
映画を検閲にかけられ、公開できるようになったの
は1999年か2000年からです。WTO加盟直前です。
それまでは必ず冒頭に各映画製作所のマークが最初に出てきました。(実際には民間会社が製作し、製作所は名義だけ貸したわけです)
民間会社だけで製作公開できるようになって龍標が
出てくるようになりました。
なので、張芸謀の『あの子を探して』が最初にコロンビアのマークで始まった時は非常に感慨深かったものです。
それと『苹果』がインディペンデント映画と言うのは楊先生の勘違いではないかと思います。
この映画はきちんと検閲を遠し、公開もされたんです。でも、あまりに過激なセックスシーンがあった
ので、『ラスト・コーション』騒ぎの直後にとばっちりを食らい、DVD販売が禁止されたんですね。
無修正過激シーンの入った海賊版がそのために売れに売れたそうです。
李玉監督はその苦い経験があるせいか、『ブッダ・マウンテン』ではファン・ビンビンとチェン・ボーリンのセックスシーンを2人が水の中に横たわるという幻想的演出で表現してましたね。反骨精神のなせる技かなと思いました。李玉監督は『苹果』の前の作品『紅顔』が素晴らしいです。
実は個人的には社会の現実をむき出しのまま撮るインディペンデント映画より、高踏手段で検閲を通して公開させる映画のほうが大変だし、すごいと思っています。『譲子弾飛』がその成功例ですね。
2000年以前の中国映画の製作・上映に関しては、なるほどそういう仕組みだったのですね。そう言えば、昔の映画は労働者の銅像とかがバックになった、撮影所のロゴ映像が最初に出てきていました。『あの子を探して』が1999年製作なので、そのあたりが分水嶺となるわけですね。
李玉監督の『萍果』はおっしゃるとおり検閲を通って公開されたのですが、拙文中に書いたようにそれは5回の再検閲を余儀なくされた結果でした。昨日楊先生は、そのいわば「骨抜き」にされた映像ではなく、検閲に通らなかった時点の映像を使って講義をして下さったので、その点では「インディペンデント映画」と言っていいのでは、と思います。説明が足りなくてすみません。
李玉監督の『紅顔』は、数日前にご紹介した「中国独立電影」という本でも李玉監督のインタビューで中心的に取り上げられていたので、見てみたいと思っています。どうやらYouTubeに映像がありそうなので、冬休みにでもトライしてみます。
『譲子弾飛』は私も半分ぐらいしか寓意がわからなかったのですが、あちこちに地雷が埋め込んである映画、という感じですね。政府批判、現実批判等々、あなたが踏めば(=気がつけば)地雷が爆発、というとてもスリリングな映画だと思います。こちらは日本公開の予定はないのでしょうかしらん。公開のあかつきには、ぜひマダムが字幕を担当なさって下さいね!