イタリアもいいけど日本の田舎も♥

イタリア好きですが、日本の旅にも目覚めました!

essay vol.4 ボイルドソーセージ

2009-10-18 16:28:57 | エッセイ
 私の母はちっちゃくてかわいい。子供の頃、友達に「おかあさん、かわいいね」と言われ、少し自慢に思った覚えがある。
 母は福井県生まれ。大野市という福井市から電車で一時間ほど山間部の、小さな盆地の町で生まれ育った。母の実家は祖父の代から始めた仕出し屋で、宴会場や小規模な結婚式もできるスペースもあり、週末や日祝日はかなりの忙しさだったらしい。五人兄弟の長女である母は当然のように子供のころから店を手伝い、自分のことより店の仕事を優先させる生活を送っていたという。そして年ごろになり、花嫁支度もほとんどされないまま見合いで決められた相手と結婚をすることになった。
 そんな母は優しく、働き者で、我慢強く、力持ちでもある。
 母の手はデカイ。決して大きくはないがデカイのである。ちょうど大きさも長さも、ボイルされてパンパンになった荒びきソーセージが五本ついてるようだ。この頃は老人性関節炎とやらで、ソーセージの何本かはそっぽをむきだしている。
 ソーセージたちは働き者で器用だ。唯一苦手なことがあり、それは缶ドリンクの栓が開けられないこと。でも、箸やフォークを使ってなんとか開けている。
 私が中学を卒業するまでは、部品工場でビス止めをし、油まみれになりながらハンダゴテを上手に扱っていた。たまに内職のボタン付けもしていた。
 ソーセージ達は料理も手際よくこなし、特におにぎりはすばらしい連携プレーでほどよい固さと大きさのものを次々と生産していく。裁縫や編み物もそれぞれがきっちり役割をこなし、浴衣もスイスイ作ってしまう。でも、一度もエナメルの帽子をかぶったことはなく、宝飾品で飾られることもなかった。
 私が高校に入るころ、母は海苔屋で海苔作りをする仕事についた。冷たい水を扱うせいか、ソーセージたちにはよくバンソウコウの腹巻きが巻かれていた。
 ある日、私が家に帰ると、いつも弱音をはかない母がしょんぼりしていた。理由をきくと、海苔にバンソウコウが入っていたとお客さんからのクレームがあったというのだ。母は自分のせいかも知れないと責任を感じていた。
 しかし、私はあの腹巻きがどんな様子で海苔にくっついていったのか。海苔に漉き込まれてペッタンコになっていたのではないかと興味深々で、母にはすまないが根掘り葉掘り聞いて、とうとう笑いだしてしまった。ノーテンキに笑っている娘を見て、母も笑い出し、この出来ごとは笑い話として思い出になった。
 母はこの春六十三歳になった。パートではあるが、まだ元気に海苔屋さんで働いている。腫上がった手を見ながら「この指が曲がったらもう仕事ができない」と時々寂しそうにつぶやく。
 そうだ、今年の母の日には、頑張りやのソーセージ達をどこかの温泉で茹でてやろう。

(二〇〇一年四月)


エッセイ集『火曜日の森』(中日文化センター「自分史・エッセイ講座」テーマ/母)より


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