goo blog サービス終了のお知らせ 

インターネットで暮らす7つの知恵

インターネットで生計を立てて約8年。
いろいろあったんだ、ってなこと書くかも。

佐賀城鯱の門

2006年02月25日 | いにしえに学べ
佐賀は城下町で街並みにその面影を残しているが、現在の政所(まんどころ)である佐賀県庁舎周囲が壕に囲まれてるし、ここ鯱の門と再建された本丸はグッとくるものがあるよ。
何しろ広い本丸全てを上がりこんで見学できちゃうからね。しかも無料!
正式名称は、佐賀県立佐賀城本丸歴史舘っていいます。お江戸を体験できるよ。
この鯱の門をくぐったらあるよ。


飯塚 嘉穂劇場

2005年08月02日 | いにしえに学べ
江戸時代の歌舞伎様式を伝える芝居小屋-嘉穂劇場です。

福岡県飯塚市にあります。

開業は昭和6年だといいます。

嘉穂劇場の前身は大正10年の「中座」だそうです。

2003年7月に九州北部を襲った集中豪雨により床上浸水により、どうしようもない大被害にあう。

善意ある人々の全国的な支援を受けて復旧工事が行われ、2004年9月平成こけら落し「全国座長大会」を開催できた。

どうです、この威風堂々としたたたずまい!

あお取水について

2005年07月28日 | いにしえに学べ
福岡県と佐賀県の県境って筑後川なんだけど、有明海に注ぐ手前数キロの地域は昔から灌漑が難しかったんですよ。
なんでかって言うと、有明海自体かなりの遠浅で、潮が引く時なんか数キロ沖まで砂浜になってしまうんだ。ってことは満ち潮のときなんか逆に筑後川の潮の流れは逆向きになってしまうんです。これはかなり上流の町久留米でも潮位の変化が観測されるわけで・・・。有明海は干満の差が、大潮の時に約6mあります。したがって普通に水路を作って水田に水を引くと、かなりの海水が入ってしまい、稲は育たないってことになるわけです。

ということで、賢いあなたは分かるよね、大川や柳川、諸富や千代田での稲作のための大量の良い水を確保するために、干満の差を利用した装置を作って川の水の"おいしいとこだけ"とって田んぼに流したんです。
詳しく言えば、有明海の潮が満ちてくると海水が筑後川をさかのぼって行く・水門を操作する・海水より比重が軽い淡水(これを"あお"と呼ぶ)が桶を通って水田に向かう。
なんだか凄いことを昔の人は考えてたんですね。
これは大正時代の樋門ということになるんですが、これより昔には、そして最近までは、クリークという方式で灌漑を行っていました。
クリークについてはいつか別の時にでも・・・。

あお取水って呼んでいたかなぁ

2005年07月27日 | いにしえに学べ
福岡県大川市内を流れる小さな川にこの橋が掛かっています。
この動画は上流左岸から撮影していますが、分かりにくいかな、実は「あお取水」とか呼んでいた取水口を兼ねた橋なんだな。
あお取水って説明が難しいけど、このあたりは海に近く満潮時には川の水と海の水が混じることになるから、稲作には普通に川の水を引いても、塩分のせいで駄目になる。だから、この橋のような装置(取水口を設けて)で、塩を含まない水だけを振り分けていたのです。
さて、ここで質問です。どうやって海の水と川の水を分けていたのでしょうか?

トゥービーコンティニュード