福岡県と佐賀県の県境って筑後川なんだけど、有明海に注ぐ手前数キロの地域は昔から灌漑が難しかったんですよ。
なんでかって言うと、有明海自体かなりの遠浅で、潮が引く時なんか数キロ沖まで砂浜になってしまうんだ。ってことは満ち潮のときなんか逆に筑後川の潮の流れは逆向きになってしまうんです。これはかなり上流の町久留米でも潮位の変化が観測されるわけで・・・。有明海は干満の差が、大潮の時に約6mあります。したがって普通に水路を作って水田に水を引くと、かなりの海水が入ってしまい、稲は育たないってことになるわけです。
ということで、賢いあなたは分かるよね、大川や柳川、諸富や千代田での稲作のための大量の良い水を確保するために、干満の差を利用した装置を作って川の水の"おいしいとこだけ"とって田んぼに流したんです。
詳しく言えば、有明海の潮が満ちてくると海水が筑後川をさかのぼって行く・水門を操作する・海水より比重が軽い淡水(これを"あお"と呼ぶ)が桶を通って水田に向かう。
なんだか凄いことを昔の人は考えてたんですね。
これは大正時代の樋門ということになるんですが、これより昔には、そして最近までは、クリークという方式で灌漑を行っていました。
クリークについてはいつか別の時にでも・・・。