〜かたることばが歌になる風になる〜

作曲家林光さんの作品を中心に歌ってきた「女声合唱団風」 団員の気ままな日記

感性を磨こう

2016年01月25日 | 鑑賞
ヤマハミュージック主催の實川 風(じつかわかおる)という若手のピアニストのコンサートを聴いてきた。
当然ピアノはヤマハ。

ヤマハの創始者は和歌山の山葉さんという人で、この人がオルガンの修理を手がけたことがきっかけだったことを、随分前に何かで読んだ記憶がある。
自分の恩師が和歌山在住だったこと、恩師の計らいで学生時代、和歌山在住のヴァイオリンの生徒さんの伴奏もよくさせて頂いたし、先生に習っていたピアノの門下生や作曲科の学生さんがみな東京芸大に行ったり、和歌山は音楽家が沢山輩出されている地でもある 。

東京芸大で教授をされているここ出身のヴァイオリン奏者の方の中学、高校の初めのころ、言うのもおこがましいが、少しだけ伴奏をさせて頂いたことがあった。
最年少で日本音楽コンクールに入賞されて、受賞者たち出演のコンサートが催され、彼はタルティーニ作曲の「悪魔のトゥリル」という曲を演奏した。
その伴奏をさせて頂いた時私は大学3回生で、私にとって本格的なコンサートとして、ファッションのデザイン専門学校で勉強をした同級生の友人に衣装を作ってもらった。
高めに立ち上がったパフスリーブの(独裁で悪名を売ったフィリピンの、元大統領夫人イメルダさんが着ていたような)袖口は生地で作ったくるみボタンが沢山付いた長めのカフス、表身ごろは縦に細いピンタックが何本もある、高めのハイネックの白い光沢のあるサテンのブラウスと、ウエストが高めの黒のベルベットのストレートなロングスカート。
本番前に私の姿を見た彼の言った言葉「王子さまみたい」私の先生は笑いながら「あなた違うでしょう。王女さまでしょう!」
スカートを黒のニッカポッカ風ズボンに置き換えたら「ベルサイユのばら」のオスカルのような出で立ちに見えたかもしれない。
彼のインスピレーションから出た咄嗟の言葉が印象的で、彼の感性の一端を見た気がする。

實川さんのプログラムは、前半はショパンの「英雄」ポロネーズ、ベートーヴェンのソナタ「ワルトシュタイン」
休憩後はショパンエチュード作品25-1「エオリアンハープ」と作品10-12「革命」 スケルツォ2番
あとはリストの巡礼の年 第2年「イタリア」より
1,婚礼 6,ペトラルカのソネット第47番 7,ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」

日本列島が極寒の日の演奏は、ピアニストにとってかなり酷なことだったのだろうと思う。
演奏が始まった最初、低音部がやたら響いて中間から高音が響かないバランスの悪さに、やっぱりスタインウェイとは違うんだと思ったり、實川さんの音がソフトすぎて、ここっというところのキメ、キレがないなどと偉そうな感想を抱いていたが、実はピアノも演奏者も寒さのために中々あったまらなかったようで、深層部分の内面を深く追求したリストと、アンコールの「ショパンのノクターン遺作」と「ドビュッシーの花火」、3月に発売する自身のCDの宣伝だろう、収録曲の「ショパンのスケルツォ3番」の演奏で、本来のこの方のテクニックや音と情感、最後には圧倒的な凄みが会場を包み込んで聴衆を魅了した。

コンサート会場を出ると乾いた雪が舞っていた。息が白く刺すような寒さの中で、自分はこのような域まで中々たどり着くことはないけれど、それでもまだまだアンテナを張って感性を磨かねばならないと思い直した日だった。


我が家の庭の花などに散水するために貯めていた雨水が凍っている。風に吹かれてか波打っている
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今日は祥月命日

2016年01月23日 | 家族
全国的に寒気団にスッポリはまっているようだ。
ここ関西でも夜に積雪があるとの予報。コーラスの練習は天候悪化を見込んで中止となった。

静かに主人の祥月命日を迎えている。この17日に主人の一周忌法要を終えた。
亡くなった日のことは鮮明に覚えているのに、1年は足早に過ぎた。
1年間は盛りだくさんで、寂しくもならずいつの間にか過ぎた。

訃報を伝えていなかった方から頂いた年賀状への寒中見舞いで、かつての上司の方や
おつきあいあった関連会社の方などが、驚いてお電話下さったり お手紙下さったり
仏前にお気遣い下さったりなど、今だに心にかけて下さる方が
こんなにもいらっしゃるのかと、主人の足跡を思い起こさせて頂いている。

一番最初の会社時代に女性集団として指導した中のお一人は、四国から
今日の命日に合わせてお心遣い下さった。
もうお一人は唯一仲人もしたかつての部下。今もその会社で技術者の一人。
奇しくも技術者の彼とは、長男がそちらに営業に行って
主人の息子とわかったらしく親しくお話しているとか。
生きていたら仲良く3人でお酒を酌み交わしていただろうにと思う。

「相手も自分も共にハッピーになる仕事関係を作っていく」がモットーだった
主人の人間関係がこうして今も続いているのだと実感するこの頃。
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韓流ドラマ「未生(ミセン)」

2016年01月20日 | 韓国ドラマ
主人が健在な時に一緒に韓国旅行をしたいと思ったが実現せず、今はいろんな世情の悪化で海外旅行は控えた方が賢明と思う。

韓流にハマっている女性のドラマの見方は色々と思うが、同じアジア人で、漢字で同じ発音をするものもある、歴史的にもこのお国との関わりが深いが、当たり前のことながら、日本ではありえないと思うような生活習慣や全く考え方も違うことを痛感する。
従軍慰安婦問題で日本に謝罪やら補償やらと騒ぐかの国に対して、ネットでいろんな誹謗中傷に近い書き込みも目にする。

この数年、中国の人の爆買いは関西のデパートでもたくさん見受けるし、週末のコーラスの練習日に私が乗る電車には、たくさんの韓国からと思える観光客が大きなスーツケースを携えて乗っている。

韓流にハマる人は、日本のドラマのシナリオや役者の演技に魅力を見出せない人が多いのだろう。
日本のテレビはお笑いの人たちの独壇場で、気楽なのだろうが、若い人たちをドンドンものを考えなくさせている。グローバル化と叫ばれている現代に逆行するように、日本人を弱体化している一つだと思う。

韓流ドラマには私の嗜好に合わないものもあるが、私が会社勤めなどしたことがないので、ひとりの学歴もなんの資格もない新人会社員を描いたあるドラマに今魅せられている。
日本では少しずつ就職事情も良くなってきているのだろうが、韓国が日本同様直面している社会現象を、ベテランの俳優と若い人気俳優が見事に演じていて興味深い。
そのドラマのタイトルは、囲碁の世界の用語で、「生き石にも捨て石にもならない、不確かな存在」という意味。会社に勤めるベテランも新人も皆がそういう存在ということだそうだ。

一見地味で暗く見える画面設定だが、シナリオがよくできていて、俳優一人一人の演技力によって現実感と説得力がある。
日本の役者にも演技がうまい人がたくさんいるが、韓国のそれは一種神がかりのような、その人物が乗り移ったような凄みを感じる。私も含めて日本人はその民族性に騙されるお人好しなところがあるのだが。

NHKの時代劇中心の大河ドラマは、原作を書物で読んで理解することを前提にしているのか、私が鈍いのか、筋書きが抽象的でわかりづらい。
いろいろな批判もあるが、私はそれでも韓流ドラマが面白くハマってしまっている。
日本のテレビの衰退は、日本の現代の象徴で警鐘のようでもある気がする。
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「長くて短い六つの歌」『時(とき)』

2016年01月10日 | 女声合唱団風
2003年の「風」2回目のコンサートの最後のステージは、
林光さんの「長くて短い六つの歌」だった。
私が風のメンバーになって初めて立ったステージで、この曲のピアノを担当した。
大学卒業以来それまで、自分なりにはピアノの活動はしていたが、
久々に責任ある大舞台ということのプレッシャーだったのか、自覚していないつもりだったのに、
本番の前日夜から翌朝まで一睡もできなかった。
本番当日、私の伴奏の前の第3ステージの一番最後のソング・谷川俊太郎さん詩の
「空に小鳥がいなくなった日(合唱版)」という曲は、全力で歌うとほんとに酸欠になるので、
声は半分ぐらい使って自分のピアノの担当に挑んだのを思い出す。
客席で聴いていた心配性の主人は、私が倒れないかと気が気じゃなかったと話したことも懐かしい。
この曲を今年の5月21日に恵子ちゃんのピアノでまた歌う。

この曲集の作曲者林光さんが、楽譜の見開に書いておられることを要約する。
『長くて短い六つの歌」(東京放送児童合唱団初演)は1984年3月から12月にかけて作曲した。
女性詩人の詩5篇を選んで曲をつけ、イギリスの伝承なぞなぞ詩による「時(とき)」を添えてしめくくった。
5篇はそれぞれ、時間あるいは歴史のながれとかかわっていることが、
最後のなぞなぞ詩を選んだ理由にもなっている。

1 「幾千年」(茨木のり子詩)
2 「キリストの顔」(石川逸子詩)
3 「春の土 秋の土」(新川和江詩)
4 「声」(吉原幸子詩)
5 「降りつむ」(永瀬清子詩)

6 「時(とき)」(イギリスのなぞなぞ詩による)

この広い世界のあらゆるもののなかで
いちばん長くていちばん短いもの
いちばんはやくていちばんおそいもの
いくつにでも細かく分けられて
どんなにでも大きくひきのばせる
いちばん無視されていちばんくやまれて
それなしではなにもできぬ
卑小なものをすべてのみつくし
偉大なものをすべて生かす

曲集のタイトルは、この詩によるものだということは明らか。

1999年に合唱団が発足して「時」は過ぎた。
16回目の今年のコンサートをもって「女声合唱団風」は解散する。
私の最初と最終のステージに、奇しくもこの曲集を演奏することになったのも
不思議な気がしている。
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