NHKニュースのウェブサイトに掲載の記事
「“実父から性的虐待” 最高裁が女性の上告退ける決定」
について、予想通りの反応をXにおいて見かけた。
言論は自由。裁判について意見を表明するのも自由。
しかし、この裁判(最高裁判所決定)にお怒りの皆さんには、法的な問題について誤解があるように思う。
何が誤解なのかを説明するには、同記事の全文を引用する必要がある。よって、同記事の全文を以下に引用することをお許し願いたい。
子どものころに実の父親から繰り返し性的虐待を受け、後遺症に苦しんでいるとして広島市の40代の女性が父親に賠償を求めた裁判で、最高裁判所は18日までに女性の上告を退ける決定をし、裁判を起こすのが遅かったことを理由に訴えを退けた判決が確定しました。
広島市の40代の女性は、保育園のころから中学2年になるまで実の父親から性的虐待を繰り返し受け、当時の記憶を思い出す「フラッシュバック」などの後遺症に苦しんでいるとして、賠償を求める訴えを起こしました。
裁判では、不法行為を受けてから20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという「除斥期間」がどの時期から適用されるかなどが争点となっていました。
2審の広島高等裁判所は「極めて悪質、卑劣な行為で、女性の精神的苦痛は察するにあまりある」とした一方、「遅くとも20歳になって以降、訴えを起こすことは可能で、そこから20年が経過した時点で、賠償を求める権利は消滅したと言わざるをえない」として、1審に続いて訴えを退けました。
女性側が上告していましたが、最高裁判所第3小法廷の平木正洋 裁判長は18日までに退ける決定をし、裁判を起こすのが遅かったことを理由に女性の敗訴とした判決が確定しました。
この女性Aが実父Bに対して「賠償を求める訴え」を起こした法的な根拠は、民法第709条と考えられる。条文は次の通り。
(不法行為による損害賠償)
第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
Bは、Aに対して、性的虐待によってAに生じた損害を賠償する責任を負う。言い換えると、Aは、Bに対して、「賠償を求める権利」がある。
しかし、裁判所の結論は、Aの「賠償を求める権利」は消滅した、だった。理由は、除斥期間。
除斥期間とは何か。本件においては、平成29年法律第44号による改正前の民法第724条の後半部分(後段)を指す。条文は次の通り。
(不法行為による損害賠償請求権の期間の制限)
第七百二十四条 不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から二十年を経過したときも、同様とする。
法律が難しいのは、条文を文字通りに読むだけでは意味がわからない点だ。「不法行為による損害賠償の請求権は、…時効によって消滅する。不法行為の時から二十年を経過したときも、同様とする。」と書いてあるのだから、「同様とする」は「時効によって消滅する」という意味だと考えるのが普通だろう。
しかし、一般的な解釈は、そうではない。「不法行為の時から二十年を経過したとき」は、「不法行為による損害賠償の請求権」は、言わば自動的に消滅する。これが除斥期間。
さて、同記事の全文をお読みいただいた方は、疑問を抱かれるかもしれない。同記事には、
広島市の40代の女性は、保育園のころから中学2年になるまで実の父親から性的虐待を繰り返し受け、…賠償を求める訴えを起こしました。
裁判では、不法行為を受けてから20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという「除斥期間」がどの時期から適用されるかなどが争点となっていました。
2審の広島高等裁判所は…「遅くとも20歳になって以降、訴えを起こすことは可能で、そこから20年が経過した時点で、賠償を求める権利は消滅したと言わざるをえない」として、1審に続いて訴えを退けました。
とある。
Bの不法行為があったのは、Aが「保育園のころから中学2年になるまで」だった。不法行為による損害賠償請求権の除斥期間は、「不法行為の時から二十年」。ということは、Aが34歳か35歳になった時点で、Aの損害賠償請求権は消滅することになる。
では、なぜ、広島高裁は「遅くとも20歳になって以降、訴えを起こすことは可能で、そこから20年が経過した時点で、賠償を求める権利は消滅した」としたのか? Aが40歳になるまでは、Aの損害賠償請求権は消滅しなかったのか?
法律だけでなく判例も知る必要があるのも、法律が難しい点だ。平成29年改正前の民法第724条後段は、「不法行為の時から二十年」という明確な基準が書かれているにもかかわらず、判例で例外が認められてきた。それが、「遅くとも20歳になって以降、訴えを起こすことは可能で」の意味だ。
裁判所は、民法の「不法行為の時から二十年」というルールを少し曲げて、不法行為の被害者を救済する特別ルールを作った。しかし、Aについては、特別ルールでも救済することはできなかった。
では、もっと特別なルールを作ったら? それは駄目だ。裁判所がこれ以上法律を曲げたら、裁判所が憲法を壊すことになるからだ。
法律は、国民が選挙で選んだ国会議員が、国会で決めたルールだ。裁判所は、憲法に違反しない限り、国会が決めたルールに従わなければならない。それが、憲法が定める日本国のルールだ。
Aの損害賠償請求が認められなかったのは、国会の判断(立法)であって、裁判所の判断ではない。むしろ、裁判所は、不法行為の被害者を救済するために、国会の判断に少し逆らってきた。
この裁判にお怒りの皆さんは、怒る相手を間違えていると思う。怒る気持ちは自分も十分に理解しているつもりだが。