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置かれた場所で咲く

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“知ってる” これがまさに知らないということ

2007-09-25 23:36:43 | あたし的教育論
己を知らざることや、知らぬことを知っているように空想して
知っていると思い込むことは
狂気にもっとも近い
クセノフォーン
ここでいただいたコメントがとっても興味深くって、思わずブログ本編にて続編

人生を語るときは現在を生きてるっていうよりも、過去と未来の狭間にいるって感覚のほうが、あたしはしっくりきます
それはもしかしたら、過去の記憶を頼りにした未来のイメージを常に頭の中で描く、その残像を視覚と呼んでるからかもしれない


・・・何だかちょっとイタイ子な文章ちっく(しかも綴りながら「・・・そうか?」ってツッこむ自分がいるの上手く言葉二デキナイヨー)なので、もうちょっと具体的に(笑)。

子どもの口癖ってその子の潜在的な力を引き出しもするし押し込めもすると思ってます
伸びの大きな子の三大口癖は「なんで?」「どうして?」「知りたい!」
疑問詞と感嘆詞が会話の中にいっぱい出てくる子ってゆくゆくでっかくなるなーって思う
一方で、伸び悩むだろうなーって子の口癖は・・・「知ってる」だと思ってる。

思考を促す魔法の言葉があるように、自らの思考を止める脅威の言葉もあるんだって思うよ。かくゆうあたしは、相当知ったかぶりの小学生でしたけど・・・何か?(笑)

学びは既知と未知をつなげることだって以前ブログに書いた覚えがあるけど、教師の果たすべき役割ってそれとともに、いかに子どもたちの持つ既知概念を壊して未知なることだと自覚できるようにするかが腕のみせどころなんじゃないかって、最近おもいます。

知っていること、きいたことがあること、みたことあるもの、それがいかに未知なるものであるかってことに気づくことができるなら、今の2倍も3倍も人生楽しめる気がしてなりません

人生をより豊かにするコツは、一日3回の感動30回の感謝の気持ち
そんな思いを抱いてます


ソクラテスの“無知の知”・・・初めて耳にし意味を飲み込んだときの衝撃ったら、今でも忘れられません脳天直撃で今までのあたしはおそらく即死、だったんぢゃないかな

今映ってるコレ、実はフィルターがかかってるんだぞーって自分の脳みそに確認するだけでも、少し見え方が変わってくるんでしょうか、ねぇ??


モノを見るときに下敷きがあるとより良くみえる気がする理由は、二次元を三次元、三次元を過去の姿やバックグラウンドを含めた四次元に、人間のイマジネーションの力を借りてみることができるんじゃないかなーって希望的推測を持ってるからです

何の偏見も先入観もないまっさらな状態って、それだけで出会うものみんなに好奇心刺激されますもの

諸々のハジメテ、遥か昔すぎて、、、そのとき高鳴った胸の鼓動の速さと、麻薬みたいな脳内物質の残り香くらいしか記憶にとどめられてない・・・