置かれた場所で咲く

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【若人の役割】

2007-11-30 23:38:17 | あたしをとりまくもの
なんだ、今も昔も期待される役割ってあんまり変わらないんじゃん。
率直な思いはそれだった。

今回の体験で感じた、もしくは教えてもらった限りでは、①労働力、②守る、③伝える、大きくこのみっつ。

それぞれの家族で役割があるように。
それぞれの社会で役割があるように。
コミュニティの母体数が小さいほど、それぞれの役割も責任も大きくなってくんじゃないかな。
(実際、10人の講義じゃ寝られないけど、200人の講演会って寝られちゃうもん


かつての小さなコミュニティでの若者たちの役割は、そりゃあもう甚大だった。
罰則も大きかったかもしれないけど、それ以上にこの小さな社会から排除されたときの恐怖心は、現代社会とは比べものにならないほどでかかったんじゃないかって思う。

昔と今との相違、それは“守るべきこと”に対する安易さと、伝統のマニュアル化。
最近の技術の拓本化(データ化)は、表面をなぞっただけ、言葉面だけの、真意を汲み取ることのない伝達にとどまってる気がしてしまう。


どんなことでも、人ありき。家族でもそう。学校や職場など、大小の社会でも。

情報を蓄積し、知識を学ぶことは大切だし、単純に書籍を読むのはあたしだって好きだよ。
ただ、知識をなぞるだけの人はどっか薄っぺらい感じがする。
自らの生き方や信念が、身につけているものや学んでいるものとどっか繋がってて、その人なりの知恵に昇華してる。そういう人って年齢に関係なく、すごく魅力的。ガンガン惹かれる。

役割が見えにくい社会は、人が、特に若者が暴走する社会なんじゃないかなぁ。
自分自身がどうして今、この場所にいるのか。
もちょっと、わかりやすくなったら、今迷ってる若者たちももっと生きやすくなる気がするなぁ。


まだまだ青二才の若輩者だけど・・・ふと、そんなことを考えた。




【生活こそ思考の場】

2007-11-29 00:19:41 | あたしをとりまくもの

そもそも学校で学ぶような学習内容で、人生にとって真に意義深いものがどれほどあるのだろうか。

なんてこと言っちゃうと、あまりにも極論過ぎますが。
学習として捉えて学びえてきた知識なんて、継続して使わなければいずれは頭の片隅に追いやられて見えなくなっていく。

四則計算だって漢字だって、日常的に使って初めて自分のものとなる。
使わなければ忘れていく。確実に。

インプットした知識は、日常生活の中で消化しながらアウトプットすることで、初めて知恵に変容すると思うんだ。


かつての生活は確かに不便で快適とはいかなかっただろうけど、人ってより過ごしやすく、便利に生活することを望むから、生活の中で考えることはご先祖様にとっては必然だった。

火種を絶やさないように、灰を被せて温存する。
冬は寒いから、残り火でお湯を沸かしていつでも使えるように。
紐でも袋でも敷き物でも履き物でも、わらさえあれば大抵は作り出せる。

必要だから自分たちでどうにかする。
ないと不便だから、自分たちの知識をフル活用しなくちゃ。

頭を使えば使うほど快適になる生活だったから、おのずと生活のなかに思考の場が増えていった。


金銭主義の現代社会では、この思考の部分が分業化されてる社会なんだ。
まさにアイディアが金になる社会だからね。

より便利な生活を営むために、考える場を預かっているのはそれぞれの企業。
そしてその恩恵は、金さえ払えば手に入る。

考えなくてもいい。お金さえ払えば誰かがやってくれる。
考えなくてもいい。やり方にさえ従えばすべてがうまくいく。
考えなくてもいい。だって、生活には困らないもの。


近現代になって、日常の中での思考する場がものすごいスピードで減少している。
思考力が低下している?
そりゃそうだ、そういう社会を望んでいたんじゃないの、ニンゲンは。


不便な生活に戻ろうっていうわけじゃない。
江戸時代の生活は素晴らしいから、時代を逆行して生活を戻しましょうとも思わない。
裏の顔も見えないまま、時代を羨むことは意味のないことだから。

それじゃ、結局何も変わらない。思考を預ける場を企業から歴史に移行しただけだもの。

そろそろ第三の道を模索してかなきゃ。
より快適な生活を営むために金を出す生活から、知識から生まれてくる知恵をひねり出す生活へと、シフト変更する必要性を、今ものすごく感じてるんだ。




【二次元の歴史が三次元の記憶、四次元の共感に】

2007-11-28 01:01:20 | あたしをとりまくもの

白黒の文字が羅列する社会の教科書。
平坦な知識の積み重ねだった受験勉強。

高校で日本史を選択しなかったあたしにとって
そこはペラペラの紙面に描かれた二次元の世界だった。


年号と出来事の組み合わせだったモノクロの知識が、五感から流れ込んでくるさまざまな感覚に染められ、色を帯びながらあたしの中で呼吸し始めたその瞬間。

あたしがいるこの三次元の空間と、それは見事に融合した。


古代から脈々と受け継がれて流れているこの血の中に、江戸を生き抜いた先祖の血は、確かに存在してたんだ。
あたしの中に、確かに。




記録と記憶が繋がる。知識が体験とリンクする。

深い実感を伴う体験は、時間も、空間も超えて、人と人とを有機的に繋ぐ気がする。

顔すらも見ることができない古人の思考に己の思いを馳せる。
そんなの妄想かもしれないけど。
古人の生活をただ模倣する、それだけで、その思いをも共有できるんじゃないかって期待があるんだ。


だからあたしは、古の人がかつて通った道を辿って、旅をすることに憧れを抱いてるのかもしれないな。



我思・・・いたいところですが

2007-11-27 23:17:56 | あたしをとりまくもの
この三日間、ようやく整った思いを綴っていこうとおもいます。
日常の中に埋もれないうちに。



・・・・・・うわ~~ん
30分が全部消えた~~~~っ
ウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!

なんか、かたーーい内容を、つらつらと打ってたんだけど・・・。
ページ改めて、書かせていただきます。。。

めちゃめちゃショックだ・・・。