えんじゃけん

英と智が合わさるとき

今頃ですが、『贋作・罪と罰』について思ったことを。
「英」と「智」という漢字を合体させると「叡智」という言葉になります。
(「叡智」を最近では「英知」と書くこともあるので)

そこで、最後の英と智がクロスするシーンだけど、
あそこで空間を超え、英と智が合わさることで「叡智」が
生まれたのかなぁと思いました。

<叡智(英知)>とは、
1 すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。
2 哲学で、物事の真実在の理性的、悟性的認識。また、それを獲得しうる力。

また、それぞれの名前の漢字の意味も漢和辞書で調べてみました。

<英(はなぶさ)>
なりたち/くさと、音を示す「央」(はな)とを合わせて、
美しく咲くが、実らない「はなぶさ」の意味を表す。
そこから「美しい」「ひいでる」の意味に使う。
1.実らない花
2.ひいでる。すぐれる。すぐれた人

<智(とも)>
なりたち/「日」(ことば)と、音を示す「知」(しゃべる)と合わせて
べらべらしゃべること。そこから、「かしこい」「ものしり」の意味に使う。
1 物事を認識したり判断したりする能力。知恵。「―・情・意」

きっと野田さんのことだから、こだわりあってこの名前をつけたんだろうなぁと思います。

ここでいう叡智が生まれるとは、姉は妹を理解し、
妹は姉を理解したことを意味してます。
二人が合わさってこそ、それは叡智と呼べるものとなったように思うからです。

あのクロスシーンでは英は竜馬を、智は溜水をそれぞれ殺そうとしていた。
しかし、二人が合わさり、叡智が生まれることで殺しは生じなかった。
理想ゆえに竜馬を殺そうとする英。
自分の身を守るために溜水を殺そうとする智。
英はそのとき、理想ゆえに殺していい人間なんて存在しないと悟り、
智は人を殺さないといけない状況に陥る場合も存在するのだと知ったように思います。
その想いが合わさって本当の叡智が二人に生まれたのではないだろうか。
なんでも片面からだけでは本当の叡智は生まれないものだと思う。

叡智の生まれる前の智(妹)は単純に人殺しはいけないと思っていただけで、
殺しについて深くは考えてはなかっただろう。
そして、英(姉)は理想のためなら死ぬ人間がいても致し方ないと思うように、
人の命の重さを人によって比べてしまうような人間だったのだろう。
しかし、その二人が合わさることで、人の命や情に対しての考えが
一気に深まったのではなかろうか。

人とは弱い生き物であり、意図してなくても罪を犯してしまうこともある。
罪を犯さざるを得ない状況になることだってある。
だからその罪を原因に頭っから「差別」してしまう智の行動は、
人を人と思わず相手を殺すことと同じではなかろうかと思うのです。
そして、殺していい人間、殺す側の人間と人を「差別」することも、
人を人と思わず相手を殺すこと。

そう、「差別」の愚かさをこの交錯シーンで二人は気づくのだと思う。
このシーンで二人は人として大きく成長を遂げるのだと思う。

これは、殺しのような極端なことに限ったことではなく、
今の社会に根強く残る差別についていえることではなだろうか。
「差別はよくないこと」ということを知識として知っていても果たしてそれを
どこまで自分の言葉として言っている(理解している)人がいるんだろうか。
そして、人を差別せずに生きている人がどれくらいいるのだろうか。

本当に「差別」の意味を知るためには身をもって差別する側、差別される側を
自分が経験をするしかないんだろうか・・・など、この芝居を見ながら思いました。
この芝居、「殺し」の部分を「差別」で考えれば現在にリアルに当てはまる
日常的な問題として投げかけられているような、そんな気がします。
「殺人」って、その差別の極端な行動の表れでもあると思うので。
愚かと思いつつも、それだけでは片付けられない根深さを感じます。

それにしても「英」って、秀でているって意味は知っていたけれども、
実らない花っていう意味がもともとにあるんですね。(;_;)
なんかそれを知ってかなり衝撃が走った私でした。
でもだからそこ、美しいんですよね。
英は実際に、美しかったもんなぁ。
先日のテレビ放送で久々に見られて、本当に惚れ惚れしました。
他の役者さんたち&スタッフのみなみなさまも本当にGOOD JOBな
舞台でしたね。(と、いきなし英語しったかぶりぶりで締めです。(^^;))
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