「お天気おじさん」の愛称で親しまれた気象評論家の福井敏雄(ふくい・としお)さんが27日、老衰のため亡くなった。84歳だった。
告別式は30日午後0時30分、大阪市淀川区西中島2の11の26北大阪祭典。喪主は二男、明栄(あきひで)氏。自宅は公表していない。
徳島県生まれ。気象大学の前身・官立気象技術官養成所を終戦の前年に卒業、陸軍気象部に配属された。戦後は、気象庁の徳島や彦根地方気象台などを経て、大阪管区気象台では天気相談所長も務めた。
ラジオで天気解説を担当したのは1971年から。中村鋭一・元衆院議員との掛け合いが評判を呼んだ。気象庁を退官した80年からテレビにレギュラー出演。週7本の番組を抱えた時期もあった。背筋をピンと伸ばし、「秋雨じぇんしぇん(前線)が」などと話す、独特のアクセント、きまじめな語り口が親しまれた。
番組がない日は各地の講演会に出かけ、気象を題材にした人生観を披露するなど「お天気人生」を歩み、89年には、ユーモアあふれる人に贈られる「ゆうもあ大賞」を受賞した。
読売
告別式は30日午後0時30分、大阪市淀川区西中島2の11の26北大阪祭典。喪主は二男、明栄(あきひで)氏。自宅は公表していない。
徳島県生まれ。気象大学の前身・官立気象技術官養成所を終戦の前年に卒業、陸軍気象部に配属された。戦後は、気象庁の徳島や彦根地方気象台などを経て、大阪管区気象台では天気相談所長も務めた。
ラジオで天気解説を担当したのは1971年から。中村鋭一・元衆院議員との掛け合いが評判を呼んだ。気象庁を退官した80年からテレビにレギュラー出演。週7本の番組を抱えた時期もあった。背筋をピンと伸ばし、「秋雨じぇんしぇん(前線)が」などと話す、独特のアクセント、きまじめな語り口が親しまれた。
番組がない日は各地の講演会に出かけ、気象を題材にした人生観を披露するなど「お天気人生」を歩み、89年には、ユーモアあふれる人に贈られる「ゆうもあ大賞」を受賞した。
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