本ブログが掲載されるグレゴリオ暦5月20日頃。旧暦では卯月一日頃でございます。
沖縄では梅雨に入り、関東は梅雨前のさわやかな青葉が次第に濃い、というよりむしろ猛々しい緑に少しずつ変わる時期です。
二十四節気では小満ですね。元禄の俳人山口素堂の句「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」の季節であります。
わたくしの好きな唱歌、「夏は着ぬ」では
1)卯の花の匂う垣根に、時鳥(ほととぎす)早も来、鳴きて、忍び音もらす、夏は着ぬ
2)さみだれのそそぐ山田に、早乙女が裳裾ぬらして、玉苗植うる、夏は着ぬ
3)橘の薫るのきばの、窓近く蛍飛び交い、怠り諌むる 夏は着ぬ
と、おいしそうな季語がずらりと並んでおります。忍び音というのは、鶯とほととぎすだけに限定される鳴き声で、いずれも春、夏の訪れを呼ぶ鳥の音であり、鶯の「ホー・ホケキョ」に対して「トウキョウ・トッキョ・キョカキョク」とけたたましい鳴き声かもしれませんが。
時鳥、不如帰、杜鵑とも書かれます。中国、日本ではその特異な鳴き声から、様々な言い伝えが残っておりますが、昔は姿をカッコウ(郭公)に取り違えられた時期もあったようでございます。この声は村田川沿いではお馴染みの声でございます。早朝にはコミュニティセンター辺りでも良く聞こえます。
この初夏の歌、実は旧暦では4月~5月にあてて書かれております。旧暦4月を現す卯月(うづき)は文字通り「卯の花の咲く月」であり、5月を現す皐月(さつき)は早苗を植える早苗月もしくは早乙女月を略したとの説があり、田植えのシーズンを現しております。
さばえなすという、騒がしい、荒ぶにかかる和歌の枕詞がありますが、これは五月のハエがうるさいところから来ております。
以前花の香りで申し上げました如く、橘薫るという響きは、すごく好きでございまして、わが団地の街路樹の一つである、柑橘類の夏ミカンの花が良い香りを舗道に撒き散らすのも、この時期のほぼ1週間であります。
基本的には5月は旧暦(さつき)では梅雨の真っ最中から、末に梅雨明けを示し、五月雨は梅雨の雨を指し、五月晴れは梅雨明けの晴れ渡った空を示したり、梅雨の間の晴れ間を言ったりとしますが、最近は大陸からの高気圧が爽やかな晴れ間を持ち込む、新暦の連休から梅雨入りまでの晴れ間を指すのも、新しい季節感覚で好ましいかとも思います。
今を400年ほど遡る1615年5月25日、旧暦では慶長20年4月28日は、大坂夏の陣が実質的な戦闘に入った日でもあります。
旧暦4月26日豊臣方は筒井定慶の大和郡山城を落とし、28日に徳川方の兵站基地である堺を焼き討ちし、戦闘状態に入ります。翌29日には紀州攻めにて塙団右衛門が突出して討死、以降5月6日頃まで、浅井勢と堺の攻防戦が行われました。
5月6日には道明寺の野戦いが行われ、後藤又兵衛(基次)、薄田隼人正(兼相)らが討死。
翌7日には天王子・岡山合戦が行われ、奮戦空しく真田左衛門佐信繁(異称:幸村)が討死し、同日深夜に大坂城は燃え陥落し、千姫は脱出しここに豊臣家は滅びます。その実質的な合戦がこの頃にスタートしたということです。