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水面を破壊せよ、上へ昇って

勢いよく水面を破壊する気概で、海面に湧く言葉たちであれ。

海のニオイ・時代の異臭(解説)

2010年05月23日 21時20分31秒 | 詩編
さあ、解説です。
いちおう、これにもつけておきたいと思います。自分の思いは、多分、最初にこの詩を書いた時よりは、変わっています。

 どこが変わったかというと、単純に、人間として幸せになりたい、ということです。
この部分、やはり、高校あたりでは、ひねくれていたんですね。まったく、嘘つくなってかんじですよね。
まず、幸せになることは人間に大切なことだと思います。いま、幸せかどうかはわからないけど、底には、幸せになりたいという思いを、持ってることは普遍的だと思います。誰でも、幸せになりたいというのは、人間にとって、健康な欲なんではないでしょうか。昔は、自分だけ幸せになれればいいと、思っていた。その次は、自分だけ幸せになっても空しいという精神状態を経て、自分は幸せになりたくないと、思い始めた。そのことが、海のニオイ・時代の異臭の一行目に、はっきりとその旨を書かせたんでしょう。ちょっと、格好つけですね。で、しばらくたって、自分と周りの人が幸せになるという、考えを手に入れました。やっぱり、そこに行く前は、自分は幸せになれないもんだと、思い込んでいたのでした。幸せになるのは、自分か他人か、という位置づけは、度々したものです。そこらは、若いですね。で、ということで、できるだけ、多くの民が、幸せになるようという思いに至ったような感じです。
 さあ、長くなった。次は、2行目なんですが、これは書いたそのまんまです。自分探しを、例に漏れず、やっておりました。
 
 次、これが、象徴的になるんですが。僕が、この詩の中心においたのは、鮫が覚めているところです。孤独、書いたんです。僕が、この鮫だったということでしょう。孤独という状態に覚めていたのです。そうして、孤独なうちに自分を仕舞い込んでいたんですね。孤独になることで、うっとうしさから離れようと試みたわけです。これも、青春の一つのかたちですよね。ある意味、孤独の大きさを思い知ることになる。自分で、孤独になりたがったんでしょう。ここも、今は考えが変化しました。孤独になることだけが、自分の人生じゃないと。孤独に健康でいるためには、周囲との会話が必要です。孤独にも種類があって、それを説明します。
 まず、それの一つ目には、周囲との関わりを絶った孤独です。また、もう一つは、周囲と関わりあう中で、感じる孤独です。一つ目は、やはり毒々しいです。自分の内面にだけ、持っていく孤独です。これも、時を経て、前者から後者へ、自分の心の持ちようが変わっていっています。
孤独を表現した詩です。孤独にばかりいると、周りが見えないものです。昔の、孤独の状態は怖かったですね。人と、会話することで、いくらか健康な孤独になるんです。

 さて、最後の連は、少しの救いがあります。
孤独を経て、この鮫は、歯を取り替えることで、成長しようとしています。こうやって、鬱々と過ごしてきた時間を、過ぎても、こういう歯が変わるような新しい変化があるのだろうか、と思惟しています。思いに、ふけっているのです。これは、その次に、ああ いつかまでならねと書いてあります。完全に、いつなる、という保証はなくても、ちゃんと時間をおいて変化すると、確信している台詞が続きます。歯、生え変わるよ、ということです。鮫も、自分なら、この動物、鮫に、返事をしているのも僕ではないでしょうか。ただ、鮫というより、その台詞は、神様が応えているようなイメージを受けます。
鮫という僕に、天の声が援けてくれているのです。さめは、いつまでも孤独のうちに身をおくことはないよ。そう、言ってあげているのです。こう、用意しました。 孤独に慣れても、今度は、周囲との出来事で、変化に出会えるよと、応えてくれているのであります。これが、僕の用意した救いです。
 昔の孤独から、新しい舞台へ。そういう橋渡しが、必ず出来るよという、素敵な確信です。
失敗は、次への成長の糧となります。鮫が、ほんとうにいつまでも孤独でいるはずはないのです。
ちょっと、眠りのような、気休めの時間、休憩の時間だろう、と言えるでしょう。
孤独に覚めた鮫は、ひとりでいるつもりなだけで、ほんとうは独りじゃないのです。
天空では、あの頃の憧れでしょう。大きな憧れを抱いて、ちょっと壁にぶつかったのです。理想が、少し高ければ、壁にぶつかります。考えることもあるでしょう。
 しかし、最後の行に書かれた、ような救いは必ず来てくれる。そんな、確信です。
あとあと、振り返れば、孤独もそれはそれで、一つの必要な時間だったと感じれるようなことがあるでしょう。失敗や、病は、必ず、最後には、神様の手によって良くなる、それを祈った作品なんです。
それは、また、待ってれば必ず訪れます。いつか、は必ず来るということです。そんなに、焦るなよというメッセージも含みます。いつ、いつ? と頻繁に、うっかり訪ねがちですが、いつかは来るよということなんです。これからも、大切なことは、待つこと、ではないでしょうか。ただ、いつ来るのと問うのではなくして、いつか、なれども いつかは必ず来るということの話です。 待つということ、それが私たちの重要な行動です。いつ、来るかは分からないけど、来ると信じる、まあ、そういうことでしょう。
待つのです。

 

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