春堤食堂

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戦う理由<3>

2007-07-04 09:55:17 | ボクシング
日刊  2007年(平成19年)6月3日 日曜日   発行


2007年の風景 ・・・ 新開ボクシングジム 戦う理由<3>


6・2 夢へのチャンスは訪れた


 3月6日夕刻、新開ボクシングジム会長、新開徳幸(60)は、川崎市高津区のジムから車で25分ほどの東京・狛江の小料理屋にいた。 自宅が近いから、ここならば車を使わずに帰れる。 心置きなく飲める。

 昔は酒豪で鳴らしたものだが、最近ではお湯割り焼酎3杯も飲めば十分だ。 ぜんそくの症状もあり、スパークリングなど選手の相手もままならないが、「根性」だけは身長163㌢、体重60㌔の体に染み込ませてある。

 福岡県瀬高町(現みやま市瀬高町)から中学卒業後、大阪・PL学園に入学。 もっとも、ボクシングに魅入られ16歳で高校を中退すると、そのまま上京、ファイティング原田が所属する笹崎ジム(東京・目黒)に入門した。 「田舎じゃ同級生の親たちから、アイツとは一緒に遊ばせるなと言われるほどの悪ガキで、それでまともになるように親が宗教系学校(PL)へ入れたようだが、それでも収まらなかったということかな。 何をやったかって? 恥ずかしくて言えんよ」と笑う。

 1967年(昭42)に66年度東日本フライ級新人王、3年後には日本ランキング9位に入っているが、ここで「無性に選手を育てたくなって」、75年には新開ジムを開いている。 「このおんぼろジムからチャンピオンをつくるのが夢よ。 三枝? 考えが甘いよ、今の子は。 特訓って言って走らせたらすぐに左足が痛いって休んじゃうし。 今日も休んでいるよ」。

 相変わらず、三枝評は厳しいが、目は笑っている。 かわいくてしょうがないといった表情である。

 「ちょっとトイレ」。

 小料理屋のカウンターは午後7時を回り始めると、常連客で埋まってくる。 酎ハイも2杯目、ブリのカマ焼きにハシをつけていた新開が席を立った。 ほろ酔いだが、小用ならばそんなに時間もかかるまい。 ところが、15分を過ぎてもトイレから出てこない。 周囲が「大丈夫かい」と目配せをし始めたころ、ドンとドアを蹴って、新開が姿を見せた。

 携帯電話を耳に当てたまま、しかし満足げな対応をしている。 そして、電話を切ると小声で、こう言った。 「99%、決まったよ。 河野だ」。 電話の主はワタナベジム会長、渡辺均だった。 実際、後日の13日午後2時、渡辺からの電話で正式にタイトルマッチが決まる。

 会話を聞きつけた小料理屋のママが声を上げた。 「決まったのの? おめでとう。 三枝でしょ。 あたし、応援に行くわ。 いつ? 後楽園ホールでしょ」。
「オレ達も行く」。 常連客たちは、新開が何者か、知っている。 小さな歓喜がカウンター沿いに広がっていった。

 「6月2日、土曜日。 後楽園ホール。 相手は河野公平! 三枝は河野と何度もスパークリングをした仲だ。 やりにくいだろうが、そんな甘いこっちゃ、いけんのや」。 郷里・福岡なまりが交じる。 新開は静かに言った。 夢の現実へ、チャンスはついに訪れた。

 「今日は、オレが払う」。 残っていたボトルを空け、1本追加し、酒と気の利いたさかなで7700円。 払い終わると新開はぼそっと口にした。 「これから金の工面が大変だ」。


   (敬称略)
   【石井秀一】




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