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行きたいぞ、上海。

大、大、大好きな上海に
しばし涙のお別れをして
娘と二人、日本に帰ってきました。
今後ともよろしくm(__)m

3月4日 徐家汇校毕业

2012年03月04日 22時58分32秒 | Weblog

 今日、HSK受験をマンツーマンで支えてくれた薛先生との最後の授業でした。

彼女の転勤に、結局ついて行っちゃうぐらい優秀な先生なのは言うまでも無く、

上海人なので、上海語サポートもしてくれていました。

 

あと、こんなんもあります。

http://www.longmandarin.com/teacher_jp.asp

で、

中山公園校にも寄ってきました。

私の隣に居るジェニーの事、娘は大好きでした。

彼女のおかげで娘は中二まで何とか週一回ながら勉強し続ける事が出来たようなもの。

 

じゃ、明日、虹橋校卒業しにいってきまーす!

 

 


3月3日娘、卒業

2012年03月03日 22時44分11秒 | Weblog

(タクシーから見た景色。雨女kaori 今日も涙雨です)

 

 

 

卒業直前、娘はインフルエンザになりました。

学校に嘘をつく事で、学校に行かせる事も、卒業式に出させる事も出来たかもしれないけれど

そうすることで、いろんな人にうつす事になるし、何よりそんな無理がたたって

10日後に控える受験に影を落とす事はおろか、他の同じタイミングの受験者に対して

影響を出す訳にはいかないと、一旦娘には’卒業式参加禁止令’を出しておりました。

 

その後、担当医の先生とは、タミフルが効き始めて熱が下がり始めるタイミング等を細かく話し合い

時間単位で分析し、熱が下がってから24時間後、再検査の末、鼻粘膜からインフルエンザウイルスが検出されない事、

タミフルはちゃんと飲むこと、体調の変化には充分注意する事を条件に、卒業式への参加許可をいただく事になっていました。

このタイミングで回復するかも賭けなら

医者が許可を出しても学校が許可するかも賭け。

 

一瞬、と言うか。けっこうずっと

こんな真面目な経緯をたどるより、嘘付いた方が楽だったんじゃねえの?って思ってたよ。

正直。。。

 

結果、娘は最短の治療結果を出し、検査の結果、ウイルスは検出されず

その結果をもって、医者が登校許可をしたと言う結果を

私が卒業式前日、その結果をもって学校へ赴き、校長先生の判断を仰ぐと言う

まどろっこしいけれど真っ向勝負に出て

娘は、晴れて堂々と、卒業式に参加出来ました。

 

検査薬の結果が陰性だった時の、娘の笑顔は忘れない。

 

学年合唱の指揮も、無事やってくれました。

 

私の上海日本人学校の4年間も同時に卒業。

 

四年前、泣きそうになりながらタクシーに乗り

日本人学校に行ったのが懐かしい。

でも、泣きそうやったんやけどね。着けるかどうか不安で。

 

卒業にあたっての主人と私への手紙には

幼稚園の頃、犬にかまれてとても怖くて

慰める私の横で怒るばかりの主人が理解出来なかったけれど

今は本当に心配してくれていたんだと思える事

それから

私はブログにもずっと書いていたけれど

娘も家族離れて、また、大好きな友達とも離れての日本での進学は

今でもどこか納得は行かない事

でも、こんな友達と出会えたのはパパが連れて来てくれたからだと言う事

ママは、仕事がどんなに忙しい時でも、学校まで来てくれて

自分の高校進学に対して、一番理解し、行動してくれていた事

そんなママを沢山泣かせてしまった事

私の思いを代弁するかのように、つづられていました。

 

でも、最後に

 

仲良しの、パパとママが好き

 

と、しめられていた重さは分かってる。

 

 この手紙は、3月8日に二人で日本に旅立つ時、

リビングの机の上に置いていこう。

 

 

 

なにより

 

  卒業おめでとう!!


3月1日 スターマンダリン卒業

2012年03月03日 22時28分39秒 | Weblog

 

彼女との出会いは本当に偶然。

私が彼女の授業を選んだ訳では無く、たまたま選んだクラスの担当に、偶然同じ日に一年程のブランクを経て

帰って来たのが彼女でした。

彼女がいなければ、HSKを受験してみようなんて、恐ろしい夢は持たなかったと思う。

私に、そんな夢を持たせてくれるのを、あっけらかんと優雅にしてのけたのは

彼女の優秀さの賜物です。

 

あのタイミングで、泣きそうになりながら勉強しなければ

後々、孫先生が私とコミュニケイションをとる事が出来て

手伝う事になる事も無ければ、その後、点心の技術が上がる事も無かったと思う。

 

いったん、スタマンも卒業!

 


2月29日 お仕事卒業

2012年03月01日 23時28分02秒 | Weblog

 2009年、点心師の資格を取得した料理教室では、その後、パンを教えさせていただける事となり

また縁あって、2010年末から点心の通訳兼アシスタントとしてお手伝いさせていただきました。

挨拶さえ出来なかったレベルで上海にやって来た、留学生みたいに大学で中国語を勉強した訳でも無い私の事を、

あの時点で通訳に抜擢したのがどれほどの賭けだったのか、

私が一番分かっています。

 孫先生のお手伝いを初めて数ヶ月、帰り際に孫先生が私に

’明日の授業の通訳は君か?君じゃ無いと段取りが悪くなって困るんだよ’

と笑って言って下さった日、嬉しくて泣きながら帰ったのを覚えています。

 

足手まといじゃないのかと、本当に、申し訳なく思ってたんです。

先生にはもちろん、生徒さんにも。

 

そうしてやっと二人でしか出来ない授業が形になり

これからって思った時に孫先生は日本に行かなければいけなくなり

その後、李先生が来るまでは本当に色々あったものの

李先生の授業を手伝える事になり、でも、また、別の形で悩み

’まだまだ孫先生を手伝っていたような仕事は出来ないけれど、

李先生の考えや、授業展開を汲んで孫先生と二人でしていた授業に負けない授業をつくりたい’

と、便せん二枚の泣き事のあと、上の二行を書き添えたような

つまり、ほぼ泣き事みたいな手紙を孫先生に送り付けた李先生との授業も

やっと、孫先生の授業と同じく、生徒さんに

’ほんと、良いコンビですよね’って言ってもらえるまでになりました。

 

2月29日の初級点心の授業をもって、暫らく点心の通訳のお仕事からは離れます。

 

最後の授業、ではありましたが、最後では無く通過点だと

ずっと言い続けるばかりでなく、全てに置いてそのスタンスを貫き通してくれた李先生のおかげで

ギャン泣きすることなく、一日を終えました。

 

強いて言うなら、お昼過ぎ。

’今日、君がずっと泣いてるんじゃないかと心配で。。。

と、電話してきた孫先生の電話をとったのが最大の泣きポイント?

 

写真は、またUPしたいと思います。

 

 李先生とは、お互い、まっすぐ家に帰る時は

近くのバス停まで一緒に歩いていました。

 

時には、会社の中で言えない事をお互い伝える

秘密の5分だったかもしれない。

時には、可愛い散歩中の犬を二人で追いかける

何でもないけれど、とっても楽しい不思議な時間。

 

日本語でも無く、中国語でも無く、

そんなお互いの気の張らない会話が

とても楽しく

その時間が最後になってしまう事だけは

ただ、何だかとっても寂しかった。

 

でも、ね。会えるのは最後じゃないから。

 

生徒さんとも。最後じゃないから。

 

とりあえず。卒業。

 

 

 


お別れ間近な日々

2012年02月27日 22時11分02秒 | Weblog

 朝から点心の授業で

 

 夕方は中国語の授業

 

 

明日は、料理教室の授業は無いので、朝は普通に中国語の授業を受けに行きます。

 

李先生が’じゃ、お昼ご飯食べるの待ってるよ’って言ってくれたのだけれど

もちろん、今まで普通なんだけれど

ご飯一緒に食べるのもあと二回。

李先生ママの作る目玉焼きも、食べ収めか。。。。じゃなくて、お前、どんだけ人の弁当食べてんだ?って話か??

 

普通に寂しいです。

 

今日も、仕事帰りに中国語のレッスン。

陳先生のレッスンでした。

 

最近陳先生の生徒さんも帰国が相次ぎ、あと二回のレッスンの内容を区切りの悪くないように

なんて、段取りをすると寂しそう。。。

 

私も寂しいです。

 

明日は気の置けない友達と飲み会楽しんできます。

明後日はホントに最後の出勤日。

 

思い起こせば4年前。

4年に一回しか来ない筈の2月29日。

やっぱり、不本意ながら職を辞する事となりました。

またやってくる2月29日。

やっぱり不本意ながら、職を辞することと相成りました。

 

大嫌いだ!2月29日!


最近のワタシ

2012年02月26日 23時46分38秒 | Weblog

 今日、朝はゆっくり寝坊して、午後は中国語の授業でした。

もう帰るのだから勉強する必要なんかないんじゃないの?という意見もあるけれど

私としては、出来るだけギリギリまで本場での授業を堪能したいです。

 

 ここにきて、中国語を褒められるんじゃなくって

私が中国語を話せる事を喜んでくれる人との出会いが増えたばかりでなく

今日、中国生活初、話をしていて発音が標準なので日本人だと思わなかったと驚かれました。

確かに買い物をしている値段も交渉しなくてもおなじみさん価格なので、それも大きかったのだと思うのだけれど。

 

すこし、嬉しい。

 

 


作文

2012年02月26日 00時12分22秒 | Weblog

 上海に来てからずっと中国語を勉強していますが、一番初めに通い始めた中国語教室は

先生が変更する事はあっても、ずっと通い続けています。

 特に私をピンイン(日本語の50音みたいなもん)から教えてくれた先生は、当時、大学を出てから3年程の

先生でしたが、あの頃からとても優秀で、私はめちゃめちゃラッキーだったと思います。

 

 その後、彼女(顧先生)は二年近く私の担当だった後、教員を指導する立場となり

自動的に私の担当から離れなければならなくなった時も、良い機会だと中国語しか話せない先生を指名した所、

私はまたまた運良く今の先生が担当となり、半ば色々あったにせよ、今に至ります。

顧先生はその後、日本で本を出版する程の活躍をみせ

それでも、時々私を見かけたときには話しかけてくれるような、貴重な中国人の妹のような存在でした。

 

中国語のレッスンもそれなりに区切りをつけなければいけない局面。

最後のレッスンは是非彼女にと思っていたところ、快く引き受けて下さいました。

あと、

 

作文も書いてみました。

 

内容より、中国語で長い作文がかけた自分に、変に感動しました。

 

でも、先生に変なとこ直して!って言ったら、まっかっかになったのもやっぱりおもしろい。

 

内容は、機会があれば公表しましょう。。。

 

 

 

 


なにかと、あと僅かとなりました

2012年02月23日 23時28分04秒 | Weblog

出勤するのも、僅かとなりました。

あと4日です。

 

もともと、明日の生徒さんを送り出して終了のつもりだったのですが

行きがかり上、もうひとクラス開講したので。。。水曜までのあと4日。。。

 

明日は第十四期生の試験です。

いつものように全力で見守りたいと思います。

 

不思議なのですが、全然帰る実感がありません。

去年、孫先生が日本に帰る事になった時は、二か月前から眠れなくなり

ラスト一週間は泣き続け。。。

 

でも、それなりに寂しい気持ちはあります。

 

離職間近でも何ひとつ変わらない李先生がありがたいのと

 

今更孫先生が日本に行く前に泣き続けていた自分の申し訳なさと。。。

 

しばらく、飲みにでも走るか??

 

 


旦那様は何歳

2012年02月23日 00時19分31秒 | Weblog

もちろん私の旦那さんが何歳なのか知っている人もいると思いますが。

皆さんに質問。

 

①めっちゃ年上

②ふつうに年上

③同い年

④年下

⑤めっちゃ年下

 

さあ、皆さんはどうだと思ってる??


運が良いかも?

2012年02月23日 00時17分27秒 | Weblog

餡の重さを量って

計算して生地を作って

 

水餃子を作ったら

 

 

すげーーーー!ぴったり70個!!!

 

宝くじでも買う?