日本人としてのアレ。

関東一ナルシストで脚フェチの人のブログ

『Re:0から100まで』

2006年11月20日 22時21分02秒 | 考え事
最近世の中がひどくなって来てるらしい。
世も末ってやつだね。
これが今どうゆう状況なのかを説明して差し上げよう。

最近、大流行中の自殺の話題を取り上げます
まず、自殺を国からなくしたければ、国が貧乏になると言うのが一つの条件なんじゃないかと私は思います
しかし、これだけ便利慣れしている日本人は金を捨てる事はとっても難しいでしょう
貧乏になれば自殺が減る、って言うのは解りますよね?
貧乏な国では自殺なんかそうそうないでしょう、日本は自殺者年間3万人もいるらしいですね。
交通事故なんかよりも多くて、死因のTOPらしいじゃないですか。(今朝、とくダネ!で言ってたよ)
怖い数字です、3万人って!・・・

話を大げさにしますが、原始時代には自殺なんてものは絶対になかったでしょう
先進国の激しい競争社会のなかで自殺というのは多くなるはずなんです
金がなくて、毎日生きるか死ぬかの生活してるような国の人は、死ぬのが嫌なんです、生きているから死ぬのが嫌なんですね。
毎日生きようとしてるから、どんなに苦しくても死のうなんて思わないのでしょう

先進国からみたら、優雅に暮らしてるように見てしまいます、時計がないんだから時間に追われるなんて事もない、羨ましいと。
でも、そんな自殺なんか絶対しない民族達も先進国に憧れているのが事実なんですね
車にだって乗りたい、そんな農機具で仕事してるんじゃズルいじゃんか
想像すらしたことない旨い物だって食いたい
そんな風にして人間は便利さを手に入れたのではないでしょうか?
少し遅れている人たちもいますが、人間はやはり原始的な優雅な暮らしよりも、便利で快適な現代社会を目指すものなんではないでしょうか?

どっかの星の原始人も、チンコ出しながら草とか食って
イノシシとか追っかけて肉も食って、色んな発見をして、旨いものも見つけたし
病気なんかも治せるもんだって知って、何万年も経ったらやっぱ現代社会みたいな便利な星になってるんじゃないでしょうか?

原始的な世界をユートピアのごとく語る人もいますが、それは違いますよ。
そのユートピアもいつか自殺者漂う、現代社会になってしまうのです、そこにいるのが人間である限り。
人間が欠陥商品だからです
隣の芝が青く見えて仕方ないんです、争う事も大好き。
国ってもんがあるなら戦争は無くならないでしょう、いっくら話し合ったって無駄です。
それが人間ならば絶対に。
争う事が人間として生きていく元気の素なんです。

争わないと生きていけない、争えないなら生きていけない
そんな怖い時代なんです、今の日本は
日本は先にも書きましたが、自殺先進国です
テレビでしか子供の会話なんて聞きませんが、もう大人と一緒の事を言っています。
それがマセてるだけで、大人の真似してるだけではあるのでしょうけど、事実同じ位のストレスを感じているみたいです。
幼稚園、小学校ってもんはもう一つの社会になってしまっています。
社会に出る前に社会を勉強する所が、もうすでに厳しい競争社会になってしまっている訳です。
ですから大人同様に子供が自殺する様になってしまったんです。

でもそれは便利さには付いてきてしまうものの様です。
戦争、犯罪、自殺・・・
もうこうなったら、戦争、犯罪、自殺、も視野に入れた地球作りってもんが必要なんじゃないでしょうか?
戦争で賭け事しちゃったり、勿論それで儲かったお金は戦争で負けた方の復旧に役立てます。
犯罪者には封筒折らせるだけじゃなくて、もっと本当に世間様の為になるようなことを、今の4倍の期間してもらって死んでもらうって言う。
死にたい方はお先にどうぞ!を、キャッチコピーに自殺者支援センターみたいなもの作ってもいいし
高齢化で悩んでる暇があったらいらない人には死んでいただくって言う、私なんか真っ先にA4サイズの封筒届いちゃうでしょうけど
こんな過激なこと言ったらダメですかね?またFBIとか家に来ちゃいますかね?
本当は私もユートピアにいたいですよ。
しかし、どうしても喉が渇いたら自販機があって欲しい
ブラっと綺麗な湖を見に行くときに車に乗りたい、こんな葉っぱでチンコ隠すだけじゃなくて、カッコイイ服着たい
寒いときは動物殺してでも毛皮着たい、動物殺す道具も開発する

人間が求めるユートピアってものは原始的な、小鳥が肩にとまったり、木の実を木陰で食べたりとか、そんなものじゃないんでしょう。
争って勝って、劣を笑う。
そんな現代が人間にとってはユートピアなのです、少なくとも先進国の私達にとってはそうです。
遊牧民に憧れるなら、パっとバイトして行けます。
はい、行ってらっしゃい、しかし、遊牧民は日本に来るにはそうは行かない。
日本人は行けないんじゃくて行きたくないのです。
インドに行って、悟りを開いたんだか、なんだか分かりませんが、成田に着いてペッボトルのお茶買う、みたいなそんなもんなのです、日本人は。
便利さで得る時間、心地よさは一度味わったら忘れることは出来ない。

そうやって人間は何回か、破滅していったに違いない。
古代核戦争とか信じちゃってる私としては、また核なの?みたいに感じてしまいます。
0から始まって、便利さを求めて頑張ってきて、そしたらやっぱり0の方がよかったんじゃないか?ってなってムリに0になろうとして
話し合ってコジれて戦争。
それでは、なんの進歩もないですよね
100になって全部またなくなって0になったって、また100になって全部なくなるんですね・・・。

そろそろ、101に進まないといけない
一つになろうとするからいけないんじゃないでしょうか?無責任すぎますか?
人間なんて欠陥だらけなんだから、一つにはなれないって事を前提に地球を作ってみませんか?
でも私にもそんな101に進んだ地球の姿が見えません・・・。
私が分からないって事は多分、ムリなんだと思います・・・。
それが出来ない理由なら、あなたにもわかるでしょう。
コメント (4)
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『際』

2006年11月20日 22時16分08秒 | その他


俺も、辛くなったら嫁さんのふとももに挟まれて死のう・・・
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