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楽山大仏現地ツアー

2018-04-27 08:37:51 | 海外旅行
楽山大仏は凌雲大仏とも呼ばれ、岷江、青衣江、大渡河の合流する凌雲栖霞峰山に営造されています。楽山大仏は唐代開元元年(西暦713年)に営造を始め、貞元19年(西暦803年)に完成されたものであり、約90年かかるほどの未曾有の大工事でした。この大仏は弥勒菩薩に肖り造られたものであり、71Mも高く、世界で最も大きい石彫り式の坐像大仏として歴代の人々から仰がれてきました。
記載によると海通禅師が大仏の工事を始めたばかりの時、土地の官吏が難癖をつけに来ましたが、最後まで大仏を完成させようという決心を見せるために禅師が毅然として自分の目玉を潰して官吏に見せたという話があります。海通禅師の揺るぎない態度に感化された官民がとうとう一丸となり、大仏造りの作業に取り組んできました。海通禅師が園寂したあと、一度、工事が滞りましたが、再び工事が再開され、西暦803年に、ようやく完成を成し遂げました。この大仏はよく「山が一体の仏であり、仏が一つの山である」と称えられています。1996年12月、峨眉山風景区に納められ、ユネスコの「世界自然と文化遺産名録」に登録されることになりました。
大仏は頭部が山の頂きに当たり、両足が川を踏みしめるように静坐の姿勢を見せ、両手が膝の上に載せて、プロポーションもよくできています。おっとりとした構えを見せながら、柔和な眼差しで、前方の楽山市を見守ってきました。大仏の頭が高さ17、4M、幅10Mであり、頭に髷が1051個結ばれています。耳が長さ7Mあり、鼻や眉の長さが共に5、6Mに達しています。そして口と目の長さが3、3Mであるほか、首だけが3Mもあります。このほか、大仏の肩が24M 、指の長さが8、3M、膝から足の甲までが28M、足の甲の幅が8、5Mとなっています。足の甲だけでもに約百人が座れるほど、比類のないまでとなっています。更に大仏の両側の川に面する絶壁に高さ10Mで、両手に武器をしている武士模様の守護神が二体、刻まれているほか、千体以上の小さい仏像が岩肌に彫刻してあることから、規模の大きい仏教芸術群として話題を呼んでいます。
楽山大仏とつながりのある観光ポイントとして唐代に建立された凌雲寺(古代は大仏寺とも呼ばれた)、霊宝塔、東坡楼、東方仏都、麻浩崖墓、烏尤寺などが数えることができます。凌雲寺は大仏の「頭」の後ろにあり、歴代による修繕や補強工事が繰り返され、正面玄関に蘇東坡の新書の「凌雲禅院」という四文字が飾っています。境内の「海師堂」に、大仏の営造の功労者である海通禅師、章仇兼?、韋皋の人物像が祭られています。霊宝塔は岷江、青衣江、大渡河の合流する場所の標識であり、むかしから船の安全運航の道しるべとして利用されてきました。今、嘉州古城のシンボルとして貴重な文物にも指定されています。
東坡楼は東坡読書楼とも呼ばれ、入母屋造り様式の建物です。玄関には宋代の著名な書道家である黄庭堅の書いた「東坡楼」という三文字が飾られており、本堂には蘇東坡の坐像が安置されえています。東方仏都は1994年に観光客に一般開放され、延べ20万平方メートルに達する敷地面積の範囲にわたり国内外に名高い仏像3千体あまりが巧みに造られ、展示されています。麻浩崖墓は1800年ほど前の東漢に、当時の風習に応じて山の崖に造られた崖墓のことです。最初、山の崖に正方形の穴を削り、死者の遺体と遺物を納めるという風習なのでした。長さ200M、幅25Mになっている場所にも関わらず544の崖墓が密集しており、遠くから見れば巣箱のように見えます。規模が大きいばかりではなく様々な模様や内容を描く壁画も優れており、1988年、国の重要文化財と指定されることになりました。
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成都現地ツアー

2018-04-27 08:15:36 | 海外旅行
平楽古鎮は四川省成都の西南部にある??市に位置し、成都市から93㎞の距離にあります。この古鎮の敷地面積は70平方キロメートルで、中には明清時代に建築されていた建物があり、昔から「一平、二古、三夾関」と言われてきました。平楽古鎮の歴史は上古まで遡り、2000年以上の歴史を歩み続けて「平落」と呼ばれたことがありました。また、平楽古鎮は自然の緑に覆われた中に独特の歴史的、文化的な雰囲気に包まれています。古鎮の西方を流れる美しい白沫江が長年にわたり古鎮独特の田園風景を形作りました。
平楽古鎮は紀元前150年ほど前には町としての歴史を発足させており、以来地元の人々の手によって築かれた古い石畳みや古寺、古橋、大木、堰、牌坊、路地などにはいずれも歴史のロマンを含んでおり、村から聞こえてくる古い民謡が古鎮の純風美俗を美しく伝えています。地理と気候に恵まれた平楽古鎮は山いっぱいに生えている竹を活かし、宋の時代から製紙の里として発展してきました。また、宮廷へ納める貢物であるお茶の産地としても有名で康熙皇帝からは「天下第一の圃」という証を授けられています。平楽古鎮を構成する古民居は大小合わせて33本の街道によって区切られており、一階が商品の売買を行う店として機能し、二階以上が住居となっています。その建物の殆どが木造で、釘を使わずにホゾとホゾ穴が組み合わさって造られ、屋根には黒一色の瓦が敷かれています。これら古民居は魚の骨のような形をしていて、それぞれの接続部が荷物の運搬に便利な港となっています。古民居の屋根は全体が整然として高低起伏のある美観を生み出しています。現在も明清時代の風貌を彷彿させる22本の街道が残されており、そのスケールの大きさと統一された均一美で四川省西部において名高い観光スポットであり、四川省西部最大の古民居群と称されています。
平楽古鎮は宗教文化の息吹が濃厚なところでもあり、昔から数多くのお寺や祠が建立されましたが文化大革命の時代にそのほとんどが壊されてしまいました。金華山の天宮寺の岩肌に刻まッれた現存する大仏は唐の時代のものであり、その厳かな雰囲気は生き生きとした生命感さえ感じさせます。また岩肌に丁寧に造られた「空を駆け巡る馬」の遺跡は中国全土にも二枚しかないことから重要文化財に指定されています。ほかにも1860年に建てられた楽善橋は四川省で最大規模の古代における石造アーチ橋があります。平楽古鎮にはシルクロードの通り道であったとされ、その証となる巨大な栗石で築いた道が広がっています。さらに、この古鎮は74ヶ所の製紙遺跡が発見されており、その存在は高く評価されています。最後に、平楽古鎮の歴史を静かに物語っているのが唐宋時代に植えられたガジュマルの大木群であり、まるで緑の傘のように炎天から古鎮を守っています。このような古い歴史に育まれた平楽古鎮には独特の民俗行事も多く存在しています。紙の原料とされたカラムシが砕ける際には労働の歌を人々の間で歌う習慣が定着しており、平楽古鎮のユニークな文化現象として高く評価されています。ほかにも平楽古鎮の竹細工やお茶、木彫り、木の根彫り工芸など長い歴史の中で伝承され、多くの人々を魅了しています。
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