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成都ツアー

2018-04-19 11:45:40 | 海外旅行
武候祠
成都市内の南西部に位置する武候祠は、三国時代の蜀の王、劉備玄徳と丞相諸葛孔明を祭る廟です。三国志の英雄「諸葛亮孔明」と「劉備玄徳」を祀る祠堂で、武侯とは孔明の贈名である忠武侯にちなんでいます。中国の歴史上の人物で最も人気がある諸葛亮孔明は日本でも三国志の天才軍師として有名である。1961年に国務院により全国重要文化財に指定されました。三国時代には魏呉蜀の三国が分立し、この付近は「蜀」と呼ばれました。西晋時代末期の760年に、別の場所に建立された諸葛孔明を祭る祠堂明代に現在の場所である劉備玄徳の墓、昭烈廟の隣へ移し、君主と大臣を共に祭る「君臣合廟」としたものです。三国時代、蜀国の都である成都市は劉備玄徳、諸葛孔明、関羽、張飛と超雲などをはじめとする蜀国の豪傑たちがかつて活躍していました重要な舞台です。成都市を中心に、成都市内及び成都郊外に沢山の三国志遺跡が残っています。徳陽市の?統墓(ほうとうぼ)、綿陽市の蒋宛墓(しょうえんぼ)、?中県(ろうちゅうけん)の張飛墓、大邑県(だいこうけん)の趙雲墓、勉県の馬超墓と武候祠などが歴代の三国ファンたちに建立されて、その時代の豪傑を記念し、英雄たちの輝かしい人生を物語っています。その中で、もっとも代表的な記念廟が成都に建立された武侯祠で、三国時代のシンボル人物?諸葛孔明を祭るところです。三国時代のことを物語る三国演義という小説では諸葛孔明が神様のような理想化知恵人物に描写されています、三国演義の中国全土での流行につれて諸葛孔明も中国人大好きな知恵のシンボルになったのです。成都市はかつて諸葛孔明が長年働いた都市で、そして5回も魏国を北伐する出発都市なので、ここにある武候祠が当然諸葛孔明ファンたちが必ずお訪ねするもっとも人気ある三国遺跡です。次は下記のように写真で武候祠をご紹介します。
関羽、張飛と三人が義兄弟を結んで、しっかり義兄弟の誓いを守り、中国人の義兄弟結びの模範だと評価されています。
関羽ー雲長
蜀の国の名将軍で、仁と義を命よりも重視していることから、中国人に崇められている男前の人です。
張飛ー翼徳
三人義兄弟の弟で、心が優しいですが、性格がとってもせっかちで、乱暴です。ノンベーなので、一旦酒を飲み始まると必ず酔っ払うまで飲み続けるそうです。
諸葛ー孔明
諸葛孔明北伐する時に、当時の王様?劉禅に書いた報告書です。忠国、忠王の儒教思想と命掛けて国に報いる気持ちを表している愛国文章として中国人に愛読されています。
墓道
劉備玄徳のお墓へ繋がる墓道で、赤色と煉瓦の神動物図案は魔除けの役目です。
劉備のお墓
劉備玄徳が三峡辺りの白帝城で病死したのですので、本当に遺体を1000キロも離れた成都に運んで埋蔵したかどうかは謎です。仮説によると、成都のこのお墓には衣装しか埋蔵されていなかったそうです。発掘していませんので、まだ分かりません。お墓の高さ12m、一周回ると180mで、結構地味なお墓です。
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成都 チャーター

2018-04-19 11:29:40 | 海外旅行
青城山
成都の市街地の西約65km付近、都江堰からは10kmほど南西にある数十の峰からなる広大な山地の総称である。山地は豊かな緑で覆われてまるで青い城のようなので青城山と言われる。大きく分けると前山と后山の2つのエリアに分かれるが、自然が豊かだが奥に位置する后山よりも、気軽に登ることができる手前の前山のほうが多くの観光客が訪れる。宿泊施設や食堂などがある山の麓の建福宮あたりから登山を開始して、途中の月城湖からはロープウェイで一気に頂上付近まで登ることもできる。青城山は道教の聖地でもあり現在も修行僧がいる。
青城山は四川省成都から68㎞離れており、その最高峰は1260mあります。かつては「丈人山」と呼ばれており、山全体が一年中緑に覆われ、城郭のように周囲を36の峰に囲まれていることから、「青城山」と名付けられました。また、青城山は中国道教の発祥地の一つに位置づけられ、後漢時代に道教の一流派?天師道の創始者張道陵が布教活動を行った土地で、道教にまつわる歴史?文化の集大成としても広く認められています。はるか昔から青城山は「青城天下幽」という偉大な誉れが伝えられており、2000年に世界文化遺産に登録されました。静寂な雰囲気に包まれた緑あふれる林の中に隠れた階段や小道が途切れることなく延々と続き、そのくねくねと曲がり山道を登ることも青城山の楽しみの一つとなっています。青城山の敷地面積は150?で主に前山と後山に分かれており、青城山の歴史を伝える遺跡や文化財などは前山に集中しており、そのほとんどが道教文化と関連がある施設と文化遺跡になっています。青城山を観光する際、時間がない方は山麓と山頂を結ぶロープウェイを利用することも可能です。
青城山の峰々や数多くの道教に関連する建築物は静かな深山幽谷に隠れており、これらが一体となってひっそりとした雰囲気を演出しています。またそのほかにも御来光や雲海、聖灯など青城山の大自然が起こす現象がより効果的にその雰囲気を高め、特に聖灯を鑑賞する絶好のポイントとして上清宮が利用されています。「聖灯」とは青城山の湿地帯という地理環境に恵まれ、自然に発生する青白い火光のことをいいます。夏に雨が止み、晴天を迎えた日の夕方、上清宮から点々と光ったり点滅したりして見え、光り輝く星空のようにも見えます。この現象を道教の伝説では、神様たちが一斉に灯篭を持ち寄り、青城山にいる張道陵(道教の一流派の創始者)を参拝に来たことを表していると言われています。
青城山は前山と後山に分けられます。前山は青城山景勝地の主体の部分で、約15平方キロメートルあり、景色が美しく、文物と遺跡がたくさんあります。主な景観は建福宮、天然図画、天師洞、朝陽洞、祖師殿、上清宮などです。後山の総面積は100平方キロメートルで、水が澄み、奥深い林、山は雄壮で険しく、真直ぐ空高くそびえ、よじ登る事は不可能です。主な景観は金壁天倉、聖母洞、山泉霧潭、白雲群洞、天橋奇景などです。青城山にある道教に関連する建物としては、主に建福宮、老君閣、園明宮、上青宮、天師洞、祖師殿などが数えられます。
建福宮は唐の時代に建てられたもので、大木に覆われた本殿が三つの庭に仕切られており、築山などで構築された建物の中に道教の有名人や神様が祭られています。また、394文字に及ぶ長い対聯が「青城一絶」として建物の柱に刻まれています。またここでは各時代の著名人ゆかりの文物や文化財が残されており、歴史の歩みを忍ばせるものとなっています。
老君閣は青城山の最高峰に築かれており、礎石の構造が正方形で上が楕円形なのは「天が丸く、地が四角い」ことを意味しています。中には素朴な道教の思想を唱えた高さ13.6mの老子像が輝き、中国国内でも貴重なものとされています。
園明宮は道教の神様を祭る場所として晋の時代から建造されました。また同時期に建てられた上清宮は青城山の頂上に築かれ、建物全体が綺麗な図柄で描かれて力強い迫力に満ち溢れています。ここには「天下第五名山」、「青城第一峰」、「玉女」、「青城山」などの巨大な石刻が多く、御来光、雲海、聖灯のほかに川西平野の美しい景観を一望することができます。
祖師殿は唐の時代に建造されたもので、中には道教の人物である「八仙人の図」などの壁画が納められているほかに、歴代の価値のある漢詩や石刻も残されており、人々の人気を集めています。一説では唐の皇帝である睿宗の娘?玉真公主がここで道教を学んだことがあり、以来ここで隠居した名士が多くいたといわれています。
天師洞は青城山の中腹にあり、伝説では道教の創始者として崇められている張天師がここで道教の説教を行ったということからその名が付けられたそうです。洞内には張道陵及び30代目の子孫にあたる孫霊靖天師の彫像が安置されています。また、洞窟の前には一本の銀杏の大木がうっそうと生い茂り、その樹齢は1800年を超えると伝えられ、一説では張道陵自ら植えたものであるといわれています。そばにある天師廟は隋の時代に建造され、厳かな雰囲気を持つ外観と中には中国古代における三皇と言われる伏羲氏、神農氏、軒轅氏の坐像が安置されています。また物静かな道教文化の息吹に満ちた周囲の環境に呼応するように董其昌など著名人の書が並んでいます。
青城山の後山地帯は主に自然そのままの景観をベースに開発された所で、清き水やひっそりとした森林、雄大な山並み、不思議な形の岩肌が広がる大自然の宝庫です。近年は登山用のリフトカーがあり、アクセスも昔より比較的楽になっています。ここはかつて宮廷への貢物と認定されたお茶の産地として有名であったと伝えられています。
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