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♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2023年3月号

2023-02-20 11:09:59 | 随想
 
   お雛さまの香合。小さくてもあでやかなのが気に入ってます。

老病も私

3か月に一度、お逢いする人がいます。シュッとした青年で、逢うと必ず「ご機嫌はいかがですか」と聞いてくださり、私はいつも「絶好調です」とお答えするのです。

キーボードをたたく白くて長い指のきれいなこと。初対面は何年か前。ホームドクターの紹介で最近名前を変えた天王寺の病院に回されたのですが、いきなり「生体検査」を提案されました。

一週間は入院とのこと。即、お断りしましたが、「先生のお母さん(正しくはここはお祖母さんと言うべきところでしょ)がこうだったらどうされますか」と聞きますと、しばらくして「様子をみましょう」と言ってくださいました。

先月も、もし数値が悪くて同じことを言われたら入院も仕方ない、一週間毎日ベッドサイドに来てくださるのならそれも悪くはないか、と思い定めて椅子に座ると、天を仰ぐように「ううう! 71、71,71かぁ!」 そないにに何べんも言わんでも!? 

最後に「様子をみましょう」といつもどおり優しく言ってくださって、「あなたが17歳だったら(生検)してもらいますがね」と続きました。ンンンン・・・・(心の歯ぎしりの音)
こう見えても(どう見えてるか知らんけど) 心は18歳なんですけどぉ‼

朝の連ドラでは、幼馴染の貴司が初めての短歌の本を出すのに苦しんでいます。編集者リューから「相聞歌」を10首と催促されてもノートは未だ真っ白。押しかけのファン史子が「恋の歌なら、ここにあります」とリューに示したのがこれ。

  君がゆく新たな道を照らすよう千億の星に頼んでおいた

舞ちゃんが、パイロットになる夢を諦めて父の工場を継ぐ決心をしたときに貴司が贈った歌でした。史子は本歌取りやと指摘して

  君が行く道の長手を繰り重ね焼き滅ぼさむ天(あま)の火もがも (万葉集)

あなたが(流刑で)行く長い道を手繰り寄せてたたんで焼き払ってしまうような神さまの火がほしい。史子の指摘を理解したリューは、貴司をこう挑発します。「もったいないよね、マグマを抑え込んじゃって!」

実は、万葉集にはこんなのもあります。

  君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ

新羅に遣わされし使人等とありますから、プーチン戦争勃発1年の今、これも挙げておきます。

その人のことが気にかかり、その人を大切に思う心が歌になります。見えぬものが形になる瞬間です。歌人でもある桑原亮子さんの脚本は、史子にこう言わせます。「その一瞬が永遠になります。」

付け加えさせていただきますと、心身に湧き上がるマグマは生きる力であると同時に(難儀なことに)苦しみの素でもあるんですよね・・・。

ビハーラ大阪、満身創痍の大先輩の述懐を詠む。

  安心(あんじん)を得たらばあとはおまかせよ病気は医者に生死(しょうじ)は弥陀に

最後は、私のお得意、パクリ歌2首。

  山恋し岳のいただき数えては媼(おうな)となりし父祖の寺

  そのめ(女)古希(とうに過ぎてます)ブラシに残る白髪の巡れる春のありがたきかな
                          
                                     合掌  
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慶聞抄2023年2月号

2023-01-22 12:52:36 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)


   慶讃法要を告げるポスター

立教開宗800年

3年前の1月に始まった新型コロナは、第8波真っ最中です。感染者数合計は3192万余人、死者数は6万余人。人口100万人あたりの新規感染者数は6333人で世界1です。(1/19現在)ワクチン開発に遅れをとったり、医療崩壊を招いたりで、伝染病に対するこれまでの認識が問い直されています。春には、インフルエンザ並みの扱いになるよう検討が始まりましたが、私はそうそうおさまるとは思えないのでこれには疑問です。
 
さて、この春と言えば宗門では、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要がお勤めされます。

850年前といえば平安時代の末、1173(承安3)年5月21日(旧暦4月1日)のお生まれです。京都の東南、日野の里の藤原氏末流の下級貴族で、父・有範(ありのり)は皇太后の教育係?、母は源氏の流れをくむ女性と言われています。よくは分かりませんが、父と4人の兄弟がいずれも出家していることから、貴族政治から武家政治への転換期に一家にただならぬ事態が起こったことが推測されます。9歳の春、叔父・範綱に伴われて青蓮院に。慈円僧正が戒師だったのですが、この時、夕方遅かったので、「式は明日にしましょう」と言われて聖人が詠まれたと伝わる和歌が有名ですね。
      明日ありと思ふ心のあだ桜
       夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは
 
今はきれいに咲いている桜が夜中に嵐が吹いて散ってしまうかもしれない。この私も明日はどうなるか分からない。子ども心に自ら の進む道を定めておられたのでしょうか。

比叡山での20年におよぶ修行に行き詰まりを感じて、京都東山の吉水、法然聖人の草庵を訪ねられます。貴族と僧侶だけの仏教が、そこでは様々な身分の人に開かれていました。親鸞聖人29歳、法然聖人69歳、「雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す」と主著全6巻の浄土真宗の根本聖典『顕浄土真実教行信証文類』略して『教行信証』にあります。

「雑行」とは何か。阿弥陀さまのお働き(他力)をいただく念仏=「正行」に対する行。いわゆる念仏以外の自力作善の行です。
 私たちがお勤めする「正信偈」は、この「行巻」の最後にあり、そしてその「化巻上」に「わが元仁元年(1224年)」との記述があります。この時、聖人52歳。稲田の草庵(現在の茨城県・西念寺)で執筆されました。その後20年、推敲を重ねられるのですが、宗門ではこれをもって「立教開宗」の年と定めます。


   国宝「教行信証」坂東本・親鸞聖人直筆 東本願寺蔵

前後しますが、「雑行」と切り捨てられた既成仏教団の怒りは想像できます。念仏禁止を求めて朝廷を動かし、4人が死罪、法然聖人や親鸞聖人は流罪になりました。(承元の法難・1207年) 華厳密教の明恵上人が法然批判の本を著したのは1212年。法然聖人は亡くなっており、その著『選択本願念仏集』を読み違えても反論できない。元仁元年は法然聖人の13回忌の年で、法然聖人のお墓が壊されるなどまたもや弾圧事件が起こります。『教行信証』は残された法然門下にとってその課題に応えるべき必然の書だったのです。

4月25日、近隣の3か寺で団体参拝を予定しています。希望される方はお申し出ください。コロナ対策で7人限定です。  合掌
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慶聞抄2023年1月号

2022-12-19 19:36:11 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)

   朝のお勤め(報恩講さんの翌日、友人が撮ってくれました。)

極重悪人とは

12月の「みどうさん」の年末特集は、「人類滅ぼす正義感」でした。何と刺激的な!どういう事?と頭をかしげながらページをめくられた方がおられたのではないでしょうか。

「絶対的自尊心」「祈りをささげながら人を殺す」などなど、権力者に左右される危うい平和と、利用される宗教の危険性を考えさせられました。

「反証可能性」という言葉があります。*カール・ポパー(1902~1994) 「誤りをチェックできる」ということであり、自らが誤っていることを確認するテストを考案し、実行することができるという科学哲学の用語です。これは科学する方法論に留まらず、「開かれた社会」つまり、自分が間違っている可能性を認め、段階的に改良していく社会に繋がっていきます。この反対が、永久不変の「真理」を前提とした「閉ざされた社会」であり、イランのような宗教的国家や中国・ロシアなどの全体主義(独裁)国家です。戦前の日本も。

津村別院の教学講座・第5回(オンラインにて)は、大阪大谷大学教授・梯信暁師の「親鸞聖人の『往生要集』観」でした。正信偈の「源信廣開一代教」以下のところですが、七高僧の6番目が源信、7番目が源空=師の法然聖人でしたね。源信が著した「往生要集」には「『観無量寿経(観経)』に、『極重悪人にはほかに救われる方法はない。ただ仏を称念することによってのみ、極楽に往生することができる』という」と紹介されています。

  極重悪人唯称仏(極重の悪人はただ仏を称すべし)

これを受けて親鸞聖人は、続けられます。。
  我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
  
  我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまふといへり

極重悪人。どんな人でしょう。「観経」にあるのは、父王を幽閉して殺したアジャセレベルの人のことです。これを見て「あ、私のことや!」という人が何人いるでしょうか。
 
梯先生はおっしゃいました。この箇所が親鸞聖人が唯一、師の法然聖人を介さず「往生要集」から独自に得られた見解であると。(浅田和上説)
そして、読んだ本の中に他の誰でもない、「これ自分のために書かれたんや!」と気づかれることの凄さ、高度な読み方。こんな本の読み方、私にしかできない読み方が出来たら嬉しいなぁ・・と。(センセの願望か!)。つい、私もうっとりとなってため息が出そうになった瞬間でした。

かくて、法然聖人の「他力の念仏」は、親鸞聖人の「他力回向の信心」となったのでした。

  いずれの行(善い行い)も及び難き身なれば とても地獄は一定すみかぞかし(歎異抄)

仏法に出会うということは、自分を映す鏡を手に入れるようなものと聞きました。それも、ミクロの。「若見え」を期待して化粧品を買うてる場合ではない!(えっ、誰の事?)     合掌
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慶聞抄2022年12月号

2022-11-19 20:26:04 | 随想

    Fさんの焼き物。 ひとつ、花瓶の先が切れてしまった。ごめんなさい。

平和のとりで

プーチン戦争は、残念ですが年を越すことになりそうです。今すぐやめてと叫びたいけど、ここまで続くと双方ともやめるという選択は成り立たたなくなりました。これが戦争というものの真相です。

第2次世界大戦直後に誕生したユネスコ憲章は、冒頭でこううたいます。『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなくてはならない。』相互の風習と生活を知らないことが、疑惑と不信を起こした共通の原因だと続きます。

疑惑と不信は、国と国との間だけでなく、人と人との間にこそ日常的に起こっています。会社、学校、ご近所、趣味のグループ・・、おっといけない家族も忘れてはならない、あらゆる人間関係で起こり得ますから、平和のとりで作りに油断はできません。

11月の半ばのある日、晩秋の奈良の街中を、案内ハガキを手に小さなギャラリーを訪ねました。高校の同窓生仲間13人による作品展です。民芸品のお店の2階、自分で作って用意した旧姓の名札で自己紹介したら、笑ってもらえました。絵画,墨絵、プラモデル、手芸、著作本・・。色彩、造形、着想、多種多様な創造物の陳列でした。

一つひとつ、作者の名前を確かめつつ説明文を読み進めていくと、陶芸品3点の前でFさんが自作の説明をしてくれました。芸術科目で美術を選択した私の前に立ちはだかったのが彼女でした。絵描きの子で高校生のくせして裸婦を描くと人づてに聞いてガーン、やる気を無くしたと言ったら、彼女もその後の美術学校で自分より凄い才能の前にガーン!で、いろいろあってこの焼き物に至ったと話してくれました。そして、その隣の壁に掛かっているM君の俳句の連作を案内してくれました。

私は知らなかったけど(後でライングループに話したら、当時から周知の事実!)、彼は同窓生のIさんと結婚して、彼女が19年前から若年性のアルツハイマーになったため、介護生活を俳句にした作品なのだそうです。そのうちの3つ。

 初恋や続きつづきて古希の夏
 介護するいまが倖せ秋日和
 願の糸来世も君を介護する

 帰りの電車の中で、とても幸せな気持ちになりました。お二人の深い縁に思いを馳せ、今のところ介護こそしなくてもいいけれど、我が連れ合いとの関係を振り返ったことでした。何にせよ、平和のとりでの分かりやすいのはアート・芸術です。学問・科学・スポーツ・・、人間の真摯な、また楽しい営みの全て。私の山登りも! 

とりわけ、知恵。その科学的表現として。
「人はみな、自分でないものたちと混じり合い、響き合う生命の綱の一部である。そこにはすべてを無傷なまま見晴らせるような、清潔な安全圏はどこを探してもない。だからこそ、不都合な他者を「正しく」制御し、自分だけ清潔であろうとするより、純粋で清潔な「世界」という妄想を手放し、不可解な他者と共存していくための知恵をこそ、模索していく必要がある。」*独立研究者 森田真生

最後に、仏教的、浄土真宗的表現として。
「われかならず聖なるにあらず かれかならず愚かなるにあらず ともにこれ凡夫ならくのみ」 *聖徳太子・憲法十七条の第十
                 合掌
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慶聞抄2022年11月号

2022-10-20 18:42:13 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)


 Where We Live・・のコピーは、この裏側の壁に
 
ウトロで出会う

大阪教区の同朋講座・現地研修会(10/18)で、宇治市ウトロ地区に行ってきました。去年8月の放火事件で「憎悪犯罪(ヘイトクライム)」として注目されたところです。若いころ、一度来たことがあったのですが、全く様子が違っていました。

駅から歩いて行くと、真新しい3階建ての建物(ウトロ平和祈念館)がすくっと現れ、その壁の上から下に向けて「where We Live Where We Meet (ウトロに生きる、ウトロで出会う)」とあるのです。もうこのスマートさにヤラレました。

そしてまた、田川明子館長(77)のステキなこと。元高校教師で若いころからかかわってこられた人です。事件を報じるDVDの後、静かにお話は始まりました。
「これ(放火事件)は、日本社会の恥です。人権にかかわることは、イメージする力が必要です。それが歪まないために正確な情報を得なければなりません。」

1943年ごろ、飛行場を建設するために朝鮮人飯場ができました。45年敗戦、飛行場建設は中断され、朝鮮人は「置き去り」にされました。

「46年11月には学校を作り、子どもたちには立派な制服を着せたのですよ! 写真を見てください。」「でも、彼らは言います。人生でキツかったのは戦後です、と。」

57年自衛隊の駐屯地となった他は、日産車体が土地を売却。89年地権者が立ち退きを求めて提訴し、裁判闘争が始まったのでした。
2000年最高裁により住民敗訴が確定。

裁判所前で、ひとりの女性は叫んだそうです。「この国はどないなってんねん!法律が先か、人間が先か!?住み続けて戦う!」これに田川さんは「シビれた」のです。文字も読めない人が、的確に問題を言い当てました。

「住めと言われたから住んでいるだけ。国民保険がありますね。沖縄、満州、グアム島から帰ってきた横井さんにだって“見なし保険”ってあるでしょう。朝鮮人は排除されたのです。85年(に在日外国人も日本国民と同じように憲法上の基本的人権が保障されると決議される)まで指紋押捺があったでしょう。16歳で指紋をとられたのですよ。これは、マジョリティー(多数者)の問題です。『在日日本人問題』ですよ。大いなる勘違い。アメリカのどの大統領(*トランプは違うと思う)も、何か人権問題が発生すると声明を出すでしょう。日本では逆、ハンセン病に特効薬があっても隔離は続きました。」

*「政治家」と打ったら「政治禍」と出ました! 元統一教会問題を出すまでもなく。

帰ってからwebサイトで調べたら、開館間もない6月の「外国特派員記者クラブ」でも会見されていました。ウトロに生きた今は亡きⅠ世たちを映し出したあとで。「今は市営住宅が建っていますが、彼らの歴史や思いをしのぶことのできる、生きていくうえで勇気の得られる祈念館であってほしい。韓国で訴えた時も言ったんです。日本の市民と韓国の市民が、政府と政府が手を取り合うことができれば、こんなすばらしいことはない。(*それが一つ、叶いました)私はかかわった40年近くを振り返って、とても豊かな人生だったと思います。皆さんもどうぞ。」

戦争で生れた街から平和を発信する。だから「平和祈念館」なのですね。私も早速コピーをいただきます。

お念仏に生きる お念仏で出会う  合掌
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