2025(令和7)年 9月号(No.142) 了雲寺 釈幸華 |
慶聞抄(きょうもんしょう)
エライ!
正見・正思・正語
半年ぶりの市大病院(名前が変わったらしいけど昔の名前で呼んでます)での健診。前に言われていたので、マイナンバーカードを初めて使用。最初は採尿。ところが汗かきまくってお小水が出ない。やっとの思いで50cc。次に採血。私の番号が出て採血室に入ると、10数人が席について採血されている。待ちながら、採血ロボットに針を刺される未来の場面を想像していました。今よりも採られる血液量は少なくて済むだろうとか。
3階から2階の腎臓関係受付14番へ移動。私の番号が電光掲示されるのを待ちます。かなりの時間待って、N先生の部屋へ。必ず連れ合いのことを聞いてくださる。もう2年前になる腎臓生検で、死にかけたときに会った印象が強かったのか。腎臓の数値は年並だそうで、それより今回初めて「数値では糖尿病です。」とはっきり言われてしまいました。いよいよ来たか、母もそうだったので仕方ない、おやつは食べません、朝だけでなく夕方も散歩するようにします!
この夏2つの映画を観ました。1つは「HARBIN」ハルビン。韓国併合の前年、1909年、旧満州のハルビン駅で伊藤博文を銃殺した安重根(アン・ジュングン)の歴史を再現。アン・ジュングンには、「愛の不時着」で韓国を代表する人気俳優ヒョンビン。新聞の紹介記事で、こんな重要人物を自分が演じていいのだろうかと、逡巡したことを吐露していました。アンを尊敬する気持ちとその謙虚な姿勢が、主人公の重厚で気品ある人間性と重なり、悲劇でありながら見終わった後も、一抹の爽やかさに包まれました。伊藤博文役のリリー・フランキーの好演も記しておきます。
2つ目は「黒川の女たち」。旧満州という舞台は同じでも、どれだけの人がこの事実を知っているでしょうか。いや、ないことにされてしまうところを映画化できたは、快挙です!
満州「開拓」は国策でした。ソ連防衛の兵站前線として送りこまれ、「開拓」ではなく中国の人々の農地を取り上げたのが実態です。広島に原爆が落とされた3日後、突如としてソ連が満州に侵攻しました。守ってくれるはずの関東軍はとうに姿がなく、集団自決を選択した開拓団もあれば、逃げ続けた末死んでいった人も多かったのです。そんな中で、岐阜県から入植の黒川開拓団(560人余り)は、生きて帰るためにソ連軍と取引しました。護衛してもらう代わりに、18歳以上の未婚女性15人が性の「接待」ということで差し出されたのです。
敗戦から1年後、黒川開拓団の人々は帰国を果たしますが、彼女らを待っていたのは差別と偏見でした。「満州にいるときより帰国してからの方が悲しかった」。故郷を離れるもの、口をとざすもの、夜も寝られない思いを抱えて互いに集まったり、手紙のやり取りをする中、2013年、「満蒙開拓記念館」で行われた講演会で2人が公にしたのです。戦後70余年にして、ついに戦時性暴力は鎮守の森に碑文が建てられ、村の歴史として刻まれました。
彼女たちにも変化が現れます。家族に一度も話したことがなかったのに、告白したことを理解し労わる孫からの手紙を受け取り、笑顔が戻ったのです。人間としての尊厳の回復。
*性暴力とは奇妙な犯罪である。圧倒的に女性が被害者なのに、「穢れた存在」として扱われる。上野千鶴子
*正見・正思・正語(正しい見解を持つ・正しい思考をする・正しい言葉を使う:八正道から)
今年も、9月18日(満州事変勃発の日・1931年)、千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要に合わせて平和の鐘を撞きます。
合掌
エライ! 2
釈明和の
明かる~く和む今月の一言
9月と言えばお彼岸なのに、まだまだ暑い日が続きますね。
さて、我が家は、子ども達が巣立ち、今年は、花火もプールもない初めての夏休みとなりました。(高校生でも花火とプールしとったんかい?!)
友人や姉妹たちに、子どもが出ていったら、寂しくなるねー。と言われておりましたが、それが全然寂しくない。毎日楽チンで嬉しい😃😃
楽ちん>寂しい
と言う図式が出来上がりました。
とはいえ、毎日、小忙しいのです。
なせがといいますと、、、以前は座る間もなく、バタバタと過ごしていたのですが、今は急ぐ用事もなく、何かするたびに座る、寝転ぶ、テレビをつける、スマホを見る‥‥という感じで、すべき事が、後ろへ後ろへズレこんで、後から、わぁぁ〜時間が無い(汗)と、めちゃくちゃバタバタするんです。
暇な人=時間ない
という図式が出来上がりました。
夫婦+犬1匹の暮らしぶりはこんなものですが、我が家の子どもたちは、帰ってくる度にキラキラの別人になっています。ヘアースタイルとファッションも食べ物の好き嫌いも、しゃべり方までも親以外の影響を受けて成長をしています。
お母さんたちもアップデートしなアカンでーなどと言われています。
そう言われちゃぁ、こちらも負けてられない。早速、子ども部屋を解体して、ゲストルームを作りました。
ということで、今では子ども達が帰ってくると、自分の家じゃないみたい、、と嘆いています(笑)