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♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2022年10月号

2022-09-24 03:17:19 | 随想


好久(ハオジュウ)不(ブ)見(ジェン)


ここのところ、数日おきに懐かしい人との会合がありました。一人目は、年賀状で毎年のように今年こそおしゃべりしようねと言い合う隣町の友人。改装してから一遍行ってみたいと私が希望した**食堂に車で連れってくれました。

もう20年近くも前のこと、広報で知った中国語講座の二人だけの生徒同士でした。ハウジュウブージエン!(お久しぶり)留学生の先生のお話がとても優しくて興味深いものでした。少年野球チームの交流に付き添って、一緒にオリンピック前の北京に出かけたのも貴重な体験でした。

二人目は弟。小物入れを探っていたら、亡き母の手あかのついたがま口が出てきて、中に五百円玉などで2631円入っていました。9月は母の誕生月。今年は生誕百年になるので弟を駅前のうどん屋さんに誘いました。同じ町内に住んでいるのにここんとこいつ会ったのかも思い出せないほどです。祖母に抱かれた2歳くらいの母の写真を前に、懐かしのアルバムを開いて語り合いました。どの母の写真も、今の私たちよりもずっと若いものでした。

三人目は、この2年逢えていない高校時代のグループの一人。先般、彼女の住む滋賀県長浜に避難指示が出た時、大きな旧家に一人住まいなので皆で心配したものです。たまたま、私が伊吹山に登る帰りに顔を見てくるわと言ったら、彼女だけがグループラインに入ってないので、ラインに入れてきてとのミッションを帯びました。お泊りの夜に、恐る恐るその話を持ち出したら、「今はいいわ」と軽くいなされ、それ以上は言うこともできず撃沈。翌朝、畑の草取りを手伝いました。

自然にお互いの健康問題に話は及び、私は腎臓の数値が悪いこと、彼女は股関節が痛んで思うように作業が出来ないでいることを言い合いました。そのうちやっぱり話はお連れ合いのことになります。

「青春ジャーニー」とよんでる私たちの恒例の一泊二日のお楽しみは、3年前の2019年5月末の鳥羽方面が最後です。その年末に、彼女からの年始の欠礼ハガキがいきなり来たものだから、エライ騒ぎになったのでした。年が明けて1月の終わりに、ライン組3人でお弔いに出かけ、近くにとった宿に彼女も来て皆でお泊まりしました。 

5月には何もなかったお連れ合いは、7月になって「疲れた」と言うことが多くなり、8月に黄疸が出る事態になって受診。肝臓に悪性腫瘍があるのが分かって、余命半年と宣告されたのが8月半ば。あっけにとられているうちに事態は進み、9月1日に往生。行年68歳。

今回初めて聞いたことです。亡くなる少し前、失明に至る目の病気も抱えていて、将来に不安もあったのでしょう、「ここで終わるのも悪くない。」とつぶやかれたそうです。強がって言ってるのかと思って確かめると、本心からそう思っていることが伝わってきたそうです。そして彼女は何度も何度も繰り返しました。「ここで終わるのも悪くない。」 きっとこの言葉に彼女自身も救われたに違いありません。

  能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
  凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味

阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は、煩悩を断ち切らないまま悟りを得ることができる。本願海に入れば、どの川の水も海に入ると一つの味になるように、等しく救われる。

                              南無阿弥陀仏 合掌
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慶聞抄2022年9月号

2022-08-26 14:11:06 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)



9・18を記憶する

猛暑・大雨・コロナの3重苦。どれもが過去最高と、想像を超える「人新世」を証明するお盆でした。特にコロナについては、3年ぶりの高知でお盆をと期待していたのが、第7波の感染者数が激増、8月初めには毎日20万人前後の高止まりとなるに至って「自粛」を決断しました。しかし若いもんは修正がきかず帰省決行。

という訳で、今年はまれにみる一人お盆、ではなくて高校生と中学生の兄弟週末里子と一緒の5日間でした❣(オヨメが用意してくれた割引券を握りしめ市民プールへ! 猛暑に外出を控えれば、テキは寝るかゲームを始めるだけなので、宿題タイムを新設したりお手伝いさせたり。その段取りにけっこう疲れました。)

プーチンが始めた戦争も半年になろうとしています。ホンマ、始めるのは簡単やけど、終わらすのは難しい。同じように岸田さん、国葬って言わんかったらよかったと後悔したはるやろなぁ。(したはるかなぁ?)「世界平和統一家庭連合」‥何のことはないあの旧統一教会。人の弱みに付け込み宗教の顔をした集金組織。いや詐欺カルト。安倍元首相の祖父、岸信介が源流という。 

例のムッスメが中学生のころ、父親に聞いたそうです。「戦争はいつ始まったん?」
お盆のど真ん中、8月15日に「全国戦没者追悼式」がNHKで中継されるので、(日本でいう)終戦(敗戦)記念日は先刻承知。ムッスメの質問は真っ当で、この戦争の始まりをすっと言える日本人はどれだけいるでしょう?   

1941年12月8日? これは英米を奇襲した太平洋戦争の始まり。でも、その前に中国と始めていてそれは、1937年7月7日の北京郊外で偶発的に始まった盧溝橋事件。でも、何で日本軍が中国にいたのか?前にさかのぼると、1931年9月18日の柳条湖事件にたどり着きます。南満州鉄道の線路爆破を中国軍がやった、邦人の安全を守るためという口実で満州(中国東北部)を占領、翌年、「満州国」をでっち上げます。これが満州事変。当時の国際連盟はリットン調査団を派遣して、関東軍の自作自演であることを明らかにし、この国を認めませんでした。1933年、孤立を深めた日本は連盟を脱退します。どこかの国のしていることと重なります。プーチンは軍事作戦とは言うけれど決して戦争とは言いません。
 
問題は、いつ始まったかをはっきり言わない記憶のされ方です。アメリカに負けたのは言うけれど、中国に負けたとは思っていない。中国、東南アジアへの侵略は「大東亜戦争」と呼び、欧米からこれらの国を「解放」して天皇の善政を広めるのだと多くの日本人は信じていた。今のロシアの人々がそうであるように。先の戦争を侵略との反省に立つなら「十五年戦争」ということができます。

BSスペシャルで「戦禍のなかの僧侶たち~浄土真宗本願寺派と戦争」を観ました。戦争に協力したことを宗門として反省・表明できたのは、半世紀後の1995年のことでした。

「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御心に善しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、善きを知りたるにてもあらめ、如来の悪しと思し召すほどに知りとおしたらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめ」*「歎異抄」後序

人間はそう強くない。現実に流され、状況次第で何でもする。如来の光(智慧)に照らされて、自分を深く省みるのみ。 合掌
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慶聞抄2022年8月号

2022-07-21 12:46:06 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)


     今年も咲いてくれたTさんの蓮

先輩を送る

安倍元首相の銃撃事件には驚きました。7月8日の正午のニュース。しかも、懐かしの近鉄西大寺駅前とは!そして、運ばれたのも親族一同大いにお世話になった奈良県立医大。(そういうことはこの際関係なし)

参議院選真っ只中でもあるし、テロか!と思いきや、なんか容疑者の母親が全財産を入れあげた宗教団体への恨みが動機とか。まだよくは分かってないけれど、子どものころの母親との関係や、父親の自死、兄弟の病気など過酷な状況にまたびっくり。寄る辺ない41歳男の「死なばもろとも」殺戮のもようです。

その10日後は、京都アニメーション放火殺人事件から3年目でした。自分も大やけどを負い逮捕された男も当時41歳。孔子さんの言では、とっくに「不惑」です。ですが、現代社会の40男は迷いに迷い、かつてあったであろう夢も果たせず、その孤独と絶望の深さを想像すると、起こした事件とは別に胸が痛くなってくるのです。

教員仲間の先輩で友人でもあった人が、安倍さんの前の6日に亡くなりました。お連れ合いの介護が始まった頃、その介護生活の愚痴を聞く友人のランチ会(グチラン)に誘われ、グループラインもあったりでけっこう楽しんでいました。お連れ合いが亡くなって数年後、今度は本人が病に倒れたのです。子どもさんがいないので、猫だけが同居。近くに住むグチラン仲間ら3人のお助け隊がローテーションを組んで、闘病生活と猫のお世話を支えました。

一旦退院して容態もいけそうと聞いたある日、お助け隊と私の分も入れてプリン5個をお土産に電車に乗ったら、緊急入院と。虚しくUターンして帰った日から13日目の訃報です。本人の意向通りお葬式はしませんとのメール。

病院から移され、24時間はここにと教えられたセレモニー会館は、梅田から阪急電車の急行で20分ほどの駅近くにありました。年の近い仲間数人とスマホの地図を頼りに訪ねてみると、小さな飲食店が連なる路地の先に、それらしい建物がありました。グチランの友人とも合流、入口すぐの「霊安室」のドアを開けると、白いお棺が壁際にあって、あとはお棺の幅だけのスペースのみ。

仲間の気持ちを込めたお花をお棺の上に置き、小窓から覗くと、少し小さくなったようだけど、穏やかないつものお顔が見られました。頭の方の小机に蝋燭と香炉が置かれていて、持ってきたお衣を羽織り「阿弥陀経」さんをあげ、移動もままならないスペースでしたが、順番にお焼香をしてもらいました。

「なごりおしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしておはるときに、かの土へはまいるべきなり。」*「歎異抄 第9条」

先輩は、お念仏のご縁はなかったものの淡々と自分の老(死)を受け入れられました。私たちは、貴女と同じ時代に一緒に仕事が出来て幸いでした。名残惜しく思える友人に恵まれ、力なくなるくらいの年まで生きられて、貴女も私も何と幸運なことでしょう。いいことばかりではなかったけれど、しんどいことも山盛りあったけれど、生きる気力と喜びをともにしていただいてありがとうございました。

因みに、国葬には反対です。今この時も、孤独と絶望の淵でギリギリ踏ん張っているすべての人の名において。第一、死んでからも忖度するわけ? ねぇ、赤木雅子さん・・。                                       合掌
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慶聞抄2022年7月号

2022-06-20 18:39:54 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)



生命還流

6月初め、本堂外陣の隅っこに大きな足場が出現しました。向かって左の余間の天井から、何かが走り回る物音が聞こえたからです。それはもうびっくりするような大きいもので、恐ろしくてお経さんもあげられないほど。すぐさま早朝にもかかわらず総代さんに電話したことでした。

市役所に紹介された「防疫研究所」の人が天井裏を調べてくださったのですが、足跡もフンも、それから臭いも残ってないとのことで様子をみるしかないのですが、私は目撃したのです。音がした数日後、境内をのそのそ本堂に向かって歩く生き物を。振り向いたその顔には白い筋が。その時浮かんだ名前をスマホで検索したら、やっぱり思ったとおりハクビシン!

その1回限りで物の気配は(猫と鳥以外は)トンと絶えましたが、自然との共生は言うほどた易いものではないことを痛感しました。防疫の人の言うには、土の壁など伝統的な建物では、数センチの隙間があればどこからでも入れるのだと。また、数年前には近くの複数のお家でイタチ騒動もあったことも聞きました。しようがありません、彼らの嫌がる臭いのもとでも研究することにしますか。

   この心も身も全部
   如来からの
   いただきもの
          * 大峰 顕 師(法語カレンダー:7月の言葉)

親鸞聖人の750回大遠忌の時でしたか、お東のキャッチコピーに「今、いのちがあなたを生きている」というのがありました。私が私を意識する以前からこの命はあったのだから、気が付いたらもう始まっていたのです。私は、私の始まりには何の関与もしていません。ずうっと前から続いていたのを、ある時から、それも何時か分からない時から私は始まったのです。大きな「無量寿」という命の流れの一つのアブクみたいに。

「安楽浄土にいたるひと
  五濁悪世にかへりては
  釈迦牟尼仏のごとくにて
  利益衆生はきはもなし (浄土和讃20)
 
南無阿弥陀仏を信じてこの一生を終わった人は、必ずお浄土に生まれますが、往生したら浄土にとどまっていないで、この五濁悪世にすぐに還ってくるのです。(中略)お釈迦さまは肉体をもった人間としては娑婆世界に生まれられた方ですが、覚りを開いた方としてはお浄土から来られた方なのです。弥陀の本願海から娑婆世界に現れた人です。時空を超えた永遠の世界から現れて、この時空的な人間存在の姿を取った方です。お釈迦さまはお浄土を覚られた人だから、現世で衆生利益をなさることができたのです。このお釈迦さまと同じ還相回向を、阿弥陀さまを信じ往生したすべての人びとがさせていただくというのです。そうしますと、私たちのこの命というものは、実はそういう無限の生命還流のなかにおいて営まれているのだということがわかりますね。凡夫の目には見えませんが、阿弥陀さまを信じたら、その無限がふと感じられるのです。」 
                                                    * 同 師:「永遠と今」

 あのハクビシン、何処でどうしているのやら。お前もいのちをいただいた仲間。如来さまの話は通じなくても。      合掌
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慶聞抄2022年6月号

2022-05-20 20:39:27 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)


    修復された阿弥陀堂のお内陣(報道写真より)

願生浄土

5月12・13日、3年ぶりの石川南組念仏奉仕団にOさんと参加しました。と言っても、その朝大型バスに乗り込んだのは、係の住職さんたちや寺族を入れても20人足らず。何の制限もないゴールデンウィークの直後とあっては、参加したくても家族が心配して反対にあったのではと推測しました。おかげで2シート独占して荷物も置き放題の贅沢さ。

奉仕団の集会場、安穏殿3階の畳のお部屋も、いつもならびっしり人で埋まるところですが、うちを入れてこじんまりと4団体。この4月から奉仕団再開したところですと、前に立ったのは、前のガンちゃんの後継者・としちゃんでした。

2017年から行われていた阿弥陀堂内陣修復が3月末に完了したばかり。お浄土もかくやあらんと、まばゆい金箔の輝きに見とれました。(座るときは、ディスタンシングを取って一畳に一人。)畳や廊下の拭き掃除の後、対面所でのお菓子とお茶のお接待もゆったり。時折、音を立てて降る雨も、記念すべきこの期のご奉仕ぞと喜んでいてくれるように感じました。

「久遠劫(くおんごう)よりいままで流転せる苦悩の旧里は捨てがたく、いまだ生まれざる安養浄土(あんにょうじょうど)はこひしからず候ふ」『歎異抄』第9条

・・永遠の昔から今まで過ごしてきたなかでの苦しみや悩みはどうしても捨てることができず、まだ生まれたことのない安らぎの世界であるお浄土を恋しいとは思えません・・
 
現代では「浄土」よりは「天国」がよく聞かれます。キリスト教の影響でしょうか。お空のもっと上のイメージとか。地獄や極楽とか言っても「そんなものが本当にあるのなら見せてください」などと言われそうです。何でも「エビデンス(証拠・根拠)」を要求される風潮ですから。でも「ある」とか「ない」とか、そういう話ではないのです。
 
「浄土とは、完全に浄化された感性が感受した世界です。それは『水』なら『水』に無限の豊かさを感ずることのできる心の描く世です。それとは対照的に経済的価値としてのみ感ずる感性の描き出す状況を餓鬼といいます。さらに、本来恵まれた『もの』に憎悪をいだくならば、それを地獄とあらわします。地獄は最も悲しい感受の世界です。それは感謝も恩恵も愛をも感ずることのない、憎悪と孤独が描きだした現実の世界なのです。  実は、浄土を知る事によって、自身の現実世界が穢土(えど)であることを知らされます。穢土を知るとは、自己の感性の劣悪さを知らされることです。・・穢土を自覚し、浄土を目的として生きることを願生浄土(がんしょうじょうど)といいます。苦悩の旧里(穢土)といわれても捨てがたく、浄土が恋しくないとは、この浄土のはたらきに触れたからこそ、欲望の現実に身を沈めている自身を深く反省した言葉といえるでしょう」*本願寺出版社「65歳からの仏教」より

 本堂でのご法話のご講師を見てびっくり。何とうちの去年の報恩講に来ていただいた長谷川先生でした❣ ご挨拶にOさんと一緒に駆け寄ると、話を短くするように言われるので難儀やと吐露されていました。スミマセン!その節も私、そう言いました!また、7月にも組の仏婦でお世話になります、短めに宜しくお願いします‼      合掌
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