♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして8年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄 6月号

2016-05-27 13:03:47 | 随想
慶(きょう)聞(もん)抄(しょう)  2016(平成28)年6月号
(NO・31) 了雲寺 釈幸華


   国道下で

ものみな金色に耀く

5月の第一土曜日、中之島の中央公会堂で行われる仏教講演会に出かけました。始まる前にバラを鑑賞するのも楽しみの一つ。前日までの雨でたっぷりうるおい、鮮やかな色合いを競っているようでした。
いつもどおり3人のご講師でしたが、一番印象的だったのが、京都女子大学名誉教授、徳永道雄先生のこの表題のご法話でした。先生は、ハーバード大学の神学部での講義もなさってて、必然的に専門用語を使わない、日常用語でいかにご法義を伝えるか、にご苦労されてきました。・・ただ、「女子大生にも分かる」のキャッチフレーズの連発は、あまりいい気もちがしませんでした。「大学生にも分かる」とは言わないでしょう・・ずいぶん昔に「女子大生亡国論」というのもありましたっけ。

仏教を初めての人に教えてほしいと請われてお話したのが、48願の第3願、悉皆金色(しっかいこんじき)の願。「わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々がすべて金色に輝く身となることがないようなら、わたしは決してさとりを開きません。」 金色、つまり尊さの表現ですね。阿弥陀さまの価値判断では、すべてのものが尊い。ゴキブリも!アメリカでこう言ったら1回目、どっと笑いましたよ、みんな。でも、2回3回くりかえし、4回目になるとシーンとしてくるんです。その意味を考え始めるんですね。
ゴキブリは別だと考えてはダメ。飛んでる虫、地面を這ってる虫、ウジ虫も、ピョンピョン跳ねている虫も。わたしの父は、富山の念仏者でした。蚊もハエも殺さなかった。「やれ打つな ハエが手をする足をする」(小林一茶)ですよ。
女子大生、18歳の女の子にも悩みがあります。中には、命を捨ててしまうほどの。そんなとき、一番理解されやすい願ですね。あらゆるものが金色に輝く。この世でムダなものは一つもない。私の人生で、どの瞬間もムダなものはない。どれだけ絶望のふちにあっても、お前は尊い存在だと言ってくださるものがある。そういう見方ができる。阿弥陀さまの見方はそうです。これがお慈悲のはたらき。

人生の始まりにこんな素敵な言葉に出会えたら、どんなにか励みになるでしょう。先生はこの後、出会った学生、卒業生のお話をしてくださいました。そして最後にもう一つ、おまけしてくださったのが、第4願。「無有好醜之願」 好を美とした方が分かりやすい。美しいとか醜いとか、容貌に悩む私たち。仏さまの世界は、常に私たちの価値判断をひっくり返してくださるものですね。

ものみな金色に見えるとき

お話を聞いて、すぐに思い出したのが「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という手記です。若い医師・井村和清さんが、自らの寿命があと6カ月と知ったあと、「世の中の全てが輝いて見えた」という記述が出てきます。青木新門さんの「納棺夫日記」にも「ウジが光って見える」というのがあります。(ここに感動して映画化を思いついたのがモックンこと本木雅弘さんでした。映画「おくりびと」の表現するところが違うので青木さんは原作者の名前を外させましたが・・)



   あるお家の玄関で

青木さんは言います。「この医師が生きていながら死を百パーセント受け入れ、生と死が限りなく近づいて境目が消えそうになった時、輝いて見える世界に出遇っている。」
生死(しょうじ)を超える。まさに親鸞聖人のおっしゃる世界ですね。             合掌

*次回お寺カフェ、6/8(水)、7/20(水)
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