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♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2024年1月号

2023-12-23 14:37:27 | 随想

2024(令和6)年

1月号(No.122)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

   <テンプル食堂よしざき>に集まる親子

み仏のお心にそうように・・

「如来さまに」と言って、お布施を差し出してくださった方がいました。兄弟2人きりでお父さんの一周忌のお勤めが終わった時のことです。十数年前にお母さんが亡くなって、お父さんと兄弟が残されたお家でした。弟さんは結婚して出ておられるので、普段は、お兄さんが一人お家でお仏壇を守っておられるのです。私は、胸がいっぱいになって「お預かりいたします」とお布施を頂いたことです。

お正月。家族が集まって笑顔と笑い声があふれる、そんな光景を願いますが、現実はどうでしょうか? お年寄りでなくても一人暮らしが、あるいは家族と住んでいても寂しい思いをかかえている人がおられるのでは? 

「コロナで旅行が思うようにできない」とのちまたの報道があふれていたころ、ママ友の「うちらコロナでなくても旅行なんかしたことないなぁ」とのつぶやきに反応したお寺の娘さんがいました。みんなが集まって安心できる場所がないものか? なければ自分が作っちゃえ! と始まったのが「テンプル食堂」だそうです。
 

 ビハーラ大阪の現地研修は、11月の末8人で参加。福井県・吉崎別院で取り組みの「テンプル食堂よしざき(3年たって沖縄などあちこちで展開)」代表の八幡真衣さんは、笑顔の素敵な2児のシングルマザーでした。子育ての中で地域に支えられ守られ、決して一人ではできなかったと気づき、我が子と共に笑いながら過ごせる場所が欲しいとの願いだったそうです。

毎月最終日曜日に、寄付されたお米やおやつなど多くの食品がお供えされます。その日も近隣から集まった300人ほどの大人や子どもたちで本堂は埋め尽くされました。讃仏偈のお勤めのあと、子どもにも分かるご法話。「なんでごはん食べる前にいただきますって言うの?」そしてお待ちかねのお下がり配布タイム。私はトイレットペーパーの係。またそのあとは子どもたちのお楽しみゲームタイムで輪投げコーナーのお手伝いをしました。

素晴らしいのは、スタッフたちの笑顔と温かい声かけでした。どの子にも丁寧に対応、否定的な言い方は一切なし。「誰ひとり取り残さない」SDGs(=み仏のお心)そのままの実践がここにはありました。

前の晩、スタッフの交流会で聞いたMさんの話を思い出します。彼のお母さんはいわゆる「毒親」。タバコの火を押し付ける、お茶碗を投げつけるなどの虐待にあったそうです。お兄ちゃんと二人、雪の降る夜に家から追い出され、どこかの駐車場で寝ているところを警察に保護されたことも。15歳で家を飛び出し母とは絶縁、一人で職を転々として、ようよう20代半ばになって許せる気持ちなったので、今は一緒に暮らしているとのことでした。「きっと、母さんの一番しんどいピークがあれやったんやなぁと思えるようになりました。」

厳しい生活の中でふんばっている母子(父子も!)。少しでもそれに寄添いたいと集まってくる若者(だけではなく高齢者も!)。人々が去ったあとのスタッフたちの昼食会は、疲れたけれどとても居心地のいいものでした。

で、なんでいただきます、言うの? 言わんかったら犬や猫といっしょやんか。それはエサっちゅうの! 

                              合掌 

   

学校行くの⁈ 行かないの⁈ 9

 

こんにちは、坊守の由美です。

 

子どもが不登校になると、これは「怠け」なのか「ズル休み」なのか、病名がつかないだけに不安になることが多いです。

何かのきっかけで元気を取り戻せないかと焦るばかり。外へ連れ出したりして無理をさせてしまいがちです。そうした「一発逆転狙い」は本人にとっては、苦痛以外の何ものでもないのです。

自分の意志だけではどうすることもできない「病的状態」だということを認識することが大切です。病気ではないから‼ という親の思いはすなわち、「本人の病的な苦しみ」を理解してもらえないという無力感を増加させます。

受け入れることは難しいですが、大切なことですね。

  

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慶聞抄2023年12月号

2023-12-09 22:24:09 | 随想

2023(令和5)年

12月号(No.121)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

 

歴史の真実

ガザからの報道動画が知人からラインに転送されてきて、「目を覆わずにはいられない凄惨な場面も含まれています。ですのでどうぞ無理をなさらないでください。」とあります。だから気にはなりながらもずうっと見ることが出来ていません。米国の情報サイトIMEUは、アラブ系米国人の弁護士やジャーナリスト、学者、活動家らが中心になり、正確な情報を提供するために立ち上げたものだそうです。

ガザの内部でどんなことが起きているのか、本当のこと(イスラエルによる虐殺ではないのか)は、主流メディアでは報道されないと考える方が当たっているのでしょうが、真実を正視するのはキツイ。TVでどれだけ悲惨な状況であったとしても、現実は常にそれ以上のものだということを認識しているべきだと思います。

そしてニュース画面はすぐ変わって、季節の催しやスポーツの話題になり、私はわたしでご飯をいただき次の準備にかかります。どれだけ薄められようが、殺戮(さつりく)です。その様子がいきなりお茶の間に飛び込んでくるわけで、それはそれ、これはこれ・・と思考を器用に転換することを強いられます。この毎日の繰り返しがヒトの心身に影響しないはずはない。私たちの感性は日々こうして削がれ潰されガサガサにやつれ果てていくのです。

 

NHK大河ドラマ「どうする家康」も、関ヶ原の戦いも済んで終盤に近づいてきました。その中で三河の一向宗(浄土真宗)の寺内町の様子が描かれていて興味深い場面もあったのですが、「戦なき世をつくる」とのテーマがどうだかなぁ・・と突っ込み続けです。戦国ものも維新ものも、主人公は知名度の高い権力者がほとんどなので、殺される側でなく殺す方であることを肝に銘じることが必要です。

報恩講にお参りしてくれた法友からもらった本の中にこんなことが書かれてありました。

「本願寺合戦(石山合戦。本願寺が織田信長と闘う)は、1570(元亀元)年から1580(天正8)年まで続いて、最後には正親町(おおぎまち)天皇による勅命講和によって終わった。大坂寺内町という宗教的自治都市の自治の生命は終わったが、これに反対して紀州太田城に籠城して戦った人びとがいた。

『末々の門徒』と言われる人びとで、籠城は1585(天正13)年3月21日から4月23日まで続いた。大阪府下の真宗寺院で発見された書状には、わずか3千名の一揆勢を十万の大軍で取り囲んだ秀吉が威信をかけて水攻めにしたことと、その土手を秀吉が『鹿垣・ししがき』と呼んでいることが記されている。立てこもった雑賀(さいか)門徒や末々の門徒を人間ではなく『けだもの』と呼んでいるのだ。

・・本願寺の記録である『宇野主水日記』には、太田城が開城し門徒の首謀者53人が殺され『天王寺あべの』でさらし首にされたこと、太田村で女房23人が磔(はりつけ)になったこと、貝塚にて教如、顕如、顕尊の3人が凱旋する秀吉の軍勢をお茶所を設けてもてなしていることが記されている。」

本願寺は後に、境内に「渡辺ノ在所」を置くとあります。徹底抗戦の後生き残った門徒を、自ら監視することを秀吉に申し入れたのです。「渡辺」とはのちの「役人村」、つまり徳川時代の被差別部落です。

歴史の真実。これも正視するのはきびしいなぁ!               合掌  

 

 

学校行くの⁈ 行かないの⁈ 8

 

こんにちは、坊守の由美です。

 

我が子が学校を休むようになって、朝からたたき起こしてみたりなだめてみたりを経て、親はあきらめ我が子を受け入れるようになります。

 

そして、学校の代わりとなるような習い事やフリースクールに通わせることになるのですが、そこでも休みがちになるということは多いのです。

 

習い事、塾、サークル、バイトなどもいつの間にか居場所がなくなって、結局やめてしまう場合は、コミュニケーションが苦手なタイプかもしれません。

 

空気を読むのが苦手、人の気持ちを察するのが苦手などの発達障害が隠れているかもしれません。その性質を無視して集団の活動に参加させると、結局は挫折し、自信をなくす子どもも多いのです。

 

親の希望や願望よりも、子どもの性格や性質に合ったものを見つけることも必要ですね。

   

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慶聞抄2023年11月号

2023-10-24 15:21:46 | 随想

2023(令和5)年

11月号(No.120)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

      石川の河川敷にて

 

亡き人を偲ぶ

ウクライナの戦争状況が変わらない中で、10月7日パレスチナの軍事組織ハマスによるイスラエル攻撃が始まりました。

30年前、クリントン米大統領のホワイトハウスで、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長が握手して、両者は翌年のノーベル平和賞をもらったはずでした。

でも、そのまた翌年にラビンは暗殺され元の木阿弥に。イスラエルのネタニヤフ首相(なんとこの人の生年月日がうちの連れ合いと一緒!)の強硬な政策が、ガザ地区を実力支配するハマスの今回の行動の背景となっています。

戦闘の「中断」を求めた国連の安保理決議案に、今度は米国が拒否権を行使しました。これだから9.11と一向に変わらないアラブの反発があります。ガザ市民への人道支援が最優先されるべきだし、どれだけの死者が出ると考えているのでしょうか。

西俣稔という人の毎日新聞の連載「わが町にも歴史あり・知られざる大阪」というのがありました。

未だ現役時代に、同僚Sを誘ってその人の街歩きに参加しました。土曜・日曜の開催なので退職してからは足が遠のき、続けているSから時折報告はありましたが、去年病を得て亡くなられました。

驚いたことに、一緒に歩いた人たちが本人不在のまま、未だに歩いているというのです。毎回担当者を決めて。

「一周忌がしたい。」Sから相談を受けたのはいつ頃だったでしょうか。そんならうちでやったらと言ったら、入院中の病院にもう一人仲間を連れて打ち合わせにやってきました。(面会は家族のみ。しかも一人しかあかんのに! いや、ちゃんと言わんかった私が悪い。)

第二土曜日の午後、鶴橋で集合した20人ほどの集団がやってきました。「仏説阿弥陀経」を皆でお勤めの後、円になって一人ひとり西俣さんの思い出を話しました。

その時の最寄りの駅に集合。道々、その地名の由来や出来事は勿論、古地図を手に街の変貌を、ある時は主役の人柄を熱く語るのです。聞く側は、見慣れた街の知らなかった側面を面白く感じ、初めての土地の興味深さに驚くのです。

時には怪しげな西俣説に首を傾けながらも引き込まれたり・・。そして最後はお決まりの食堂か居酒屋で打ち上げ。これがあるから参加しているという人も少なからず。(Sなんかその代表。この日病気でまさかの欠席)

参加者の誰もが口にしたのが、西俣さんのお人柄です。目線は、あくまでもその土地に生きた人々のもの。

街を愛し、人を愛し、酒を愛した一人のおっちゃんでした。未だ高校の事務員さんであった頃、給食費を取立てに行かなならんのがツライと言わはったのを覚えています。

 

亡くなられて760年。私たちはご開山のご命日を記憶します。その生き方を尊く偲びます。覚如上人の「報恩講私記」にはこうあります。

「まことにこれ仏意相応の化導、そもそもまた勝利広大の知識なり。悪事悪世界の今、常没常流転の族(やから)もし聖人の勧化を受けたてまつらずんば、いかでか無上大利を悟らん」

阿弥陀仏のお心にかなったご教化であり、広大で勝れた善知識さま(仏法に導いてくださった方)です。五濁悪世の中で迷いに沈み流されている私たちは、親鸞聖人のご教化なくしては、この上ないさとりの利益を得ることなどできません」

祖師信仰だけに終わることなく、一人ひとりが真の念仏者になることを望まれています。聖人の伝道者としてのご尽力を知っています。

 *本願寺新報10月20日号より         

                                                                                         合掌 

 

学校行くの⁈ 行かないの⁈ 7

 

こんにちは、坊守の由美です。

 

10月の朝日新聞に「不登校2割増最多29万人、小中4割相談せず」と、1面に載っていました。

 

不登校の人数の増加は、コロナの影響が多いそうです。コロナ禍による家庭の経済不安によって、子どもにストレスがかかり、いじめや不登校につながるのではないかと言われています。

 

子どもの社会は大人の社会の縮図です。子どもたちを救う社会の改革も必要だけど、苦しい父親母親を救う社会をつくることが最も必要だと思いました。

 

お釈迦さまのおっしゃられる知恵が必要な世の中ですね。

 

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慶聞抄2023年10月号

2023-09-26 20:11:47 | 随想

2023(令和5)年

10月号(No.119)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

病室からの朝の眺め。大阪歴史博物館が周りのビルの中で光ってる。何故か。他のビルは四角の箱型に対して、この壁だけは緩やかに曲面を描く。お日さまの光を真っ先に浴びることができる!

 

かくも長き不在

ご心配をおかけしました。1週間の予定が2週間に延び、その分病院からお参りできないお家に連絡をするという事態になりました。腎臓の数値がとんでもなく悪くなってしまって、原因究明のための生体検査を断り切れない破目になったのです。

念のため、腎生検とは。うつ伏せになり、背中から超音波をあてて(私の場合は左の)腎臓の位置を探す。医師の動作に呼吸を合わせる練習。局所麻酔の後、医師が針を刺し、組織を採取。(私の場合、2か所)検査終了後、止血のため背中を圧迫。全部で約1時間。

病室は、14階の4人部屋。淡い色のカーテンで仕切られた北向きの窓側。眼下に天王寺公園の緑、一心寺の大きな屋根、その奥に建ち並ぶビルの林の中に、大阪歴史博物館の丸みを帯びた壁面を見つけた時は嬉しかったです。けど、半月も同じ景色を見ることになろうとは・・。

入院二日目の午後のこと。午前中に生検が終わり、お部屋に戻ってしばらくした後、定期の血圧を測ってもらっているときでした。背中の痛みがだんだんに強まってきて、我慢の限界を超え声をあげたかと記憶しています。

多くの看護師さんらにベッドごと運び出され,廊下、エレベーター,違う階の特別な部屋へ。そこで経験したことのない激烈な下腹部の痛みが襲ってきました。

が、それもそのうち治まり、いろんな管に繋がれ処置を受けた効果と理解できました。聞き覚えのある主治医や医師、多くの看護師さんの声が交錯する中、定まった手順で進められる治療。

ただ、「造影剤」を使うとかで書類にサインを求められ、えっ、こんな時に? と思いました。どんな場合にもしっかりせにゃならんのかい、他にどんな選択肢が私にあるというのか、と。 

後になって知らされたことは、あの部屋がHCUと呼ばれる2番目に重篤な患者用の施設であったこと、血圧が57まで下がったこと、ままあることだが患部から出血し、適切に止血できたことなどでした。

終始気は確かで、目をつむって楽になりたいと思っても「和田さん、大丈夫ですか」と話しかけられ、オチオチ寝てられない状況でした。その夜はその部屋で、時計の針の動きを目で追っていました。

翌日のお昼前に元の病室に戻ることが出来ましたが、また別の苦難が待ち受けていたのです。3日間の「安静という名のはりつけ地獄」。寝返りが打てない、特に左足を曲げてはいけない。宇宙遊泳を夢見ましたよ。

それが過ぎて、車椅子、廊下歩きが許されたときの解放感。寝ても座ってもどこか痛くなって、長時間同じ姿勢は保てない。ところが、歩いている時は(膝が痛い、腰が痛いというのは別にして)どこも痛くならないという真理を発見しました。人は、歩くようにできている!

入院中、毎日7~8回はしたこと。おしっこを必ず紙コップに採り、記名ボタンを押してタンクに入れる。

ビールお茶リンゴジュースにウーロン茶これから当分グラスで飲むワ

 

以下、入院点描

カーテンの開き放たるときはなし4人の人生交わることも

大都会午前3時のしじまにもテールランプの絶えることなく

看護師は男も女も孫のよう皆うつくしきこの世の菩薩

この歳で初めての入院我が人生感謝感謝ありがとありがと           

               合掌 

 

学校行くの⁈ 行かないの⁈ 6

 

こんにちは、坊守の由美です。

 

更年期真っ只中のお母さん。子どもは中学校を行ったり行かなかったりで、毎日イライラをつのらせていました。

 

なんせ、朝はしんどそうにするのに、昼からは楽しそうにゲームやスマホ三昧なのです。

 

お母さんの体調の悪さもあり、怒りをバクハツさせることも多いのです。

 

そんな日々の中、とうとう疲れがたまってしまって、どうにもこうにも体が動かなくなってしまったお母さん。たまった洗濯物、散らかった部屋がますます自分を追い込みます。

 

気晴らしにTVを見てくつろいでいたら、家族の冷ややかな態度・・・

 

まるでTVを見られるんだったら家事をしろ・・とでも言われているようで・・。

 

その時、ハッと気づいたそうです。お子さんがどんな気持ちで過ごしているのか、どんなにツライ思いをしているのか。

 

これからはお子さんの気持ちに寄添いたいとおっしゃっていました。

 

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慶聞抄2023年9月号

2023-08-26 16:41:09 | 随想

 

耳に聞き口に誦(じゅ)す

8月は、坊守・由美一家のコロナ罹患で幕開けでした。3日間食糧宅配係に精を出しました。妙なもんで、自分一人の食事は作るのも面倒なのに、朝から2時間費やして魚やお肉の調理、スーパーへ氷菓や果物などのリクエスト品買い出しと、我ながらよく頑張りました。4日目に「冷蔵庫がパンパンでもういいです」と言われて、急にヘナヘナとなりました。「我が家の救世主です」とも言われたのですが、ちょっと宗旨が違うんですけど・・・。

お盆に予定していた週末里親4泊5日は、台風7号がまともに襲来、そうでなくても連日36度、37度では外にもうかうか出ていけないので、話題になっている「はだしのゲン」7巻を買い込んで臨みました。ところが、一べつしただけで、ビニールをはがすことも手に取ることもせず、今時の高校生兄弟はスマホ三昧。結局、その傍らで私が3巻まで読みふけりました。

そんな中、ある女性からショートメールが入りました。ネットで私の電話番号を知ったそうで「あみださまの話を聞きたい」と。「あみださまは、いつもそばにいてくださると言われますが、私には見えないのでどういうふうに存在を感じたらよいか知りたいです。」

阿弥陀さまを求めておいでなのだと感じてこうお答えしました。「目に見えたり声が聞こえたりするわけではありませんが、名前を呼ぶことで仏さまに包まれているような感じがします。阿弥陀さまは、わたしの名前をお呼び、そうすればわたしの国に生まれさせるよと、常に私に呼び掛けておられます。はい、分かりましたとお応えするのも、ナモアミダブです。」

母や叔母たちが、朝起きても、台所にいても、お掃除していても、そして休む時もお念仏をしていたことを思い出してそうお伝えすると、「声が響いて生きてきているのだと思います。」と言われて、その日の交換は終わりました。

以下は、月刊誌「大乗」8月号の「親鸞聖人いまさずは」のコラムから。

お念仏を称えるところに阿弥陀仏はいらっしゃるのです。よそを探す必要はないのです。南無阿弥陀仏は如来さまご自身の名のりなので、お名号は阿弥陀如来そのものです。お名号の不思議でたすかるのです。お念仏を申しておたすけの実感をえられないのは、南無阿弥陀仏を人間がつけたように思っているからです。

親鸞聖人は、中国の元照律師の言葉を引いて

「いはんやわが弥陀は名をもって物を接したまふ。ここをもって耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心にらん入す」と。名号を耳に聞き、口に称えると、限りない尊い功徳が心に入りこみ、長く成仏の因となって、つくり続けてきた重い罪が除かれ、この上ない仏のさとりを得ることができる。如来さまの名を称えることは阿弥陀如来のお徳をいただくということなのです。

「はだしのゲン」は、倒れた自宅の下敷きになった父と姉と弟を助け出すことが出来ないまま、目の前に迫った火から逃れるしかありませんでした。坊さんが唱える「正信偈」や「白骨の御文章」を耳で聞いて覚え、お経の出前をして稼ぎを得ます。この世の地獄を生き抜いたゲンは、作者・中沢啓治の分身です。彼は、戦争責任を厳しく問い、被害者ぶるのでなく、他の国で日本人が何をしたのかも知っておく必要があると言える人でした。原爆投下の地・広島が安芸門徒の地であったことで「はだしのゲン」が生まれたのだと思います。

*9月18日、「平和の鐘」を撞きます。

                                                                            合掌

 

学校行くの⁈ 行かないの⁈ 5

 

こんにちは、坊守の由美です。

 

 皆さん、お盆はどう過ごされたでしょうか。

お孫さんたちが集まって賑やかに過ごされた方もあったのでは。

 

楽しいはずのお盆でも、不登校の子どもや親御さんには、親戚が集まる場所はツライのです。

 

「受験はどうするの?」

「学校に行けてるの?」

「就職は?」

「結婚は?」

 

何気ない会話にも、プレッシャーを感じてしまいます。

 

結果、ブスッと不機嫌になって、お母さんとしては、「その態度は何だ」と、イライラすることも多いですが、子どもは小さなプライドを守るために、小さな抵抗をしているのです。

 

お母さんは、自分のメンツより子どものメンツを守ってあげてくださいね。

 

                                             水族館で

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