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自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
4年半スナックを営んだ
変な男の人生色々日記

「乙巳の変(いっしのへん)」!!「蘇我氏」滅亡」!!

2020-07-10 13:37:44 | 地域
「7月10日(金)」

「乙巳の変(いっしのへん)」

「645年7月10日」
(皇極天皇4年6月12日)

乙巳の変で蘇我入鹿が暗殺される。

乙巳の変(いっしのへん、いつしのへん、おっしのへん)

中大兄皇子・中臣鎌足らが
蘇我入鹿を宮中にて暗殺して
蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした飛鳥時代の政変。

その後、
中大兄皇子は体制を刷新して
大化の改新と呼ばれる改革を断行した。

蘇我入鹿が殺害された事件を
「大化の改新」と言う場合もあるが、
厳密にはクーデター「乙巳の変」に始まる
一連の政治制度改革が「大化の改新」であり
「乙巳の変」は「大化の改新」の第一段階である。

このクーデターには
色んな説がありますが
皇極王権否定説が
一番しっくり来るかなと思います。

皇極王権否定説

乙巳の変は
これまでの大王(天皇)の終身性を否定し、
皇極天皇による譲位を引き起こした。

その意義について
佐藤長門は乙巳の変は蘇我氏のみならず、
蘇我氏にそれだけの権力を与えてきた
皇極天皇の王権そのものに対する異議申し立てであり、
実質上の「王殺し」に匹敵するものであったとする。

ただし、
首謀者の中大兄皇子は皇極天皇の実子であり
実際には大臣の蘇我氏を討つことで異議申し立てを行い、

皇極天皇は殺害される代わりに
強制的に退位を選ばざるを得ない状況に追い込まれた。

ところが、
次代の孝徳天皇(軽皇子)の皇太子となった
中大兄皇子は最終的には天皇と決別してしまった。

孝徳天皇の王権を否定したことで
後継者としての正統性を喪失した中大兄皇子は、
自己の皇位継承者としての正統性を
確保する必要に迫られて
乙巳の変において否定した筈の
皇極天皇の重祚(斉明天皇)に踏み切った。

だが、
排除した筈の大王(天皇)の復帰には
内外から激しい反発を受け、
重祚した天皇による失政もあり、
重祚を進めた中大兄皇子の威信も傷つけられた。

斉明天皇の崩御後に
群臣の支持を得られなかった中大兄皇子は
百済救援を優先させるとともに
群臣の信頼を回復させるための時間が必要であったため、
自身の即位を遅らせたというのである。


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