自転車屋男 2

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変な男の人生色々日記

「清水寺」建立された日」!!「坂上田村麻呂」!!

2021-08-17 13:43:59 | 地域
「8月17日(火)」

「清水寺」が建立された日」

「798年8月17日」
(延暦17年7月2日)

坂上田村麻呂が清水寺を建立。

清水寺(きよみずでら)は、
京都市東山区清水にある北法相宗の大本山。

山号は音羽山。

正式には音羽山清水寺
(おんわさんきよみずでら)と号する。

本尊は十一面千手観世音菩薩。

もとは法相宗に属していたが、
現在は独立して北法相宗を名乗る。

西国三十三所第16番札所。

宝亀9年(778年)に、
大和国の興福寺の僧で当時
子島寺(奈良県高市郡高取町に現存)で修行していた
賢心(後に延鎮と改名)は、
夢のお告げで北へ向かい、
山城国愛宕郡八坂郷の東山、
今の清水寺の地である音羽山に至った。

金色の水流を見出した賢心が
その源をたどっていくと、
そこにはこの山に篭って滝行を行い、
千手観音を念じ続けている
行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。

年齢200歳になるという
行叡居士は賢心に
「私はあなたが来るのを長年待っていた。
自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」
といい残して去っていった。

行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、
行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、
行叡の旧庵に安置した。

これが清水寺の始まりであるという。

2年後の宝亀11年(780年)

鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ
坂上田村麻呂(758年 - 811年)は、
修行中の賢心に出会った。

田村麻呂は妻の高子の病気平癒の為、
薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、
延鎮より殺生の罪を説かれ、
観音に帰依して観音像を祀るために
自邸を本堂として寄進したという。

後に征夷大将軍となり、
東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、
自身が建立した清水寺に平定参拝をしたという。

その後、
若武者と老僧(観音の使者である
毘沙門天と地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、
無事に都に帰ることができた。

延暦17年(798年)

田村麻呂は延鎮(御賢心改め)と協力して
本堂を大規模に改築し、
観音像の脇侍として毘沙門天と地蔵菩薩の像を造り、
共に祀ったという。

以上の縁起により、
清水寺では
行叡を元祖、
延鎮を開山、
田村麻呂を本願と位置づけている。


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