自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
4年半スナックを営んだ
変な男の人生色々日記

「中華そば丸高」神戸二宮店」!!「ねぎラーメン」!!

2009-12-14 15:58:24 | Weblog
「滋賀」からの帰り
「JR朝霧駅」と「明石駅の間」で
「人身事故」があり

「自転車屋男」が乗った
「新快速「播州赤穂行き」は

「尼崎」で
「20分」ほど「停車」した後
「西宮」でも
「40分」ほど「停車」し
「1時間遅れ」で
「三宮」に着いた。

「自転車屋男」が気に入っている
「本場「和歌山ラーメン」の「お店」

「中華そば丸高」神戸二宮店」で

「ねぎラーメン」
「ライス」
「ビール」

「電車の中」で
「1時間」も待たされ

「お腹」がすいていて
「特に美味しかった!!」

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「日帰り電車の旅」!!「比叡山・坂本」!!その14

2009-12-14 15:42:42 | Weblog
「坂本城址」

「石碑」と
「明智光秀像」と

「低い石垣」に囲まれた
「公園」があるだけである。

「比叡山坂本駅」には
「案内」もなく
「地元の人「数人」に「場所」を聞いたが
「あまり良く知らない」

「警察官」に聞いて
「やっと「場所が分かった」ぐらいだ。

「あの「有名な「戦国武将」
「天下」の「明智光秀」にしては
「ずいぶん「寂しい扱い」だ。

「坂本」の「人々」にとっては
「良い領主」だったはずだ。

「天下人「織田信長」に
「謀反」を起こした「逆賊」だからか!?」

「名君」なのに
「あまりにも「扱い」が「ひどい」

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「日帰り電車の旅」!!「比叡山・坂本」!!その13

2009-12-14 15:36:16 | Weblog
「明智光秀像」

「明智 光秀」(あけち みつひで)は
「戦国時代「安土桃山時代」の「武将」

「本姓」は「源氏」
「家系」は「清和源氏」の「摂津源氏系」で
「美濃源氏「土岐氏支流」である「明智氏」

「通称」は「十兵衛」
「雅号」は「咲庵」(しょうあん)
「惟任光秀」

「妻」は「妻木煕子」
「その間」には
「嫡男・光慶」(十五郎)
「織田信澄室」
「細川忠興室「明智珠」(洗礼名:ガラシャ)がいる。

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「日帰り電車の旅」!!「比叡山・坂本」!!その12

2009-12-14 15:29:06 | Weblog
「坂本城址」

「坂本城」は「琵琶湖」の
「南湖西側」にあり
「大津市」の「北郊」に「位置」する。

「西側」には「比叡山」の「山脈」があり
「東側」は「琵琶湖」に「面」している事から
「天然」の「要害」を「具えた地」であった。

「比叡山」は
「近江国」と「山城国」にまたがっており
「白鳥道」と「山中道」の「2つの道」は
「両国」を結ぶ「道路」が通じており
「中世、近世」において
「頻繁」に「利用」され
「比叡山」の「物資輸送のため」に
「港町」として「坂本」は
「交通の要所」として「繁栄」していた。

「現在城郭」の
「大半」は「宅地化」され
「推定地」の「中央」には
「国道161号」が「貫通」している。

「1571年」(元亀2年)
「比叡山焼き討ち」の後
「明智光秀」に「近江国滋賀郡」が与えられ
「織田信長」の「命」によって
「京」と「比叡山」の
「抑え」として「築城」した。

「宣教師」の「ルイス・フロイス」は
「著書『日本史』にて
「豪壮華麗」で
「安土城」に「次ぐ「名城」と記している。

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「日帰り電車の旅」!!「比叡山・坂本」!!その11

2009-12-14 15:06:05 | Weblog
「大講堂」(重文)

「寛永11年」(1634年)の「建築」

「もと」は「東麓「坂本」の
「東照宮」の「讃仏堂」であったものを
「1964年」に「移築」した。

「重要文化財」だった
「旧大講堂」は「1856年」に
「火災」で「焼失」している。

「本尊」は「大日如来」

「本尊」の「両脇」には
「向かって「左」から
「日蓮・道元・栄西・円珍・法然
・親鸞・良忍・真盛・一遍」の
「像」が「安置」されている。

「いずれも「若い頃」
「延暦寺」で「修行」した「高僧」で
「これら」の「肖像」は
「関係各宗派」から「寄進」されたものである。

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「日帰り電車の旅」!!「比叡山・坂本」!!その10

2009-12-14 14:56:50 | Weblog
「根本中堂」

「比叡山「延暦寺」の
「総本堂」である。

「伝教大師「最澄」が
「788年」(延暦7年)に
「一乗止観院」という
「草庵」を建てたのが「始まり」とされる。

「本尊」は「最澄」が
「一刀三礼」して刻んだ
「薬師瑠璃光如来」と伝えられており(秘仏)
「その「宝前」に「灯明」をかかげて以来
「最澄」のともした「灯火」は
「1200年間「一度」も消えることなく輝き続けているので
「不滅の法灯」と呼ばれる
(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)

「中堂」という
「呼称の由来」は
「最澄創建」の「三堂」(薬師堂・文殊堂・経蔵)の
「中心」に「位置」することから
「薬師堂」を「中堂」と呼ぶようになり
「後」に「この三堂」は
「一つの伽藍」にまとめられ
「中堂」という「名前」が「残った」とされる。

「比叡山「延暦寺」の「中心」であることから
「根本中堂」といい
「比叡山」では「東塔」という「区域」の
「中心的建築物」である。

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「日帰り電車の旅」!!「比叡山・坂本」!!その9

2009-12-14 14:43:55 | Weblog
「比叡山「延暦寺」の
「境内入り口」です。

「延暦寺」(えんりゃくじ)は
「滋賀県大津市坂本本町」にあり
「標高848m」の
「比叡山全域」を「境内」とする「寺院」

「延暦寺」の「名」より
「比叡山」また「叡山」(えいざん)と呼ばれる事が多い。

「平安京」(京都)の「北」にあったので
「北嶺」(ほくれい)とも称された。

「平安時代初期」の
「僧侶「最澄」(767年 - 822年)により
「開かれた「日本天台宗」の「本山寺院」である。

「住職」(貫主)は
「天台座主」(てんだいざす)と呼ばれ
「末寺」を「統括」する。

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「日帰り電車の旅」!!「比叡山・坂本」!!その8

2009-12-14 11:11:45 | Weblog
「ケーブル延暦寺駅前」の
「展望台」から見下ろした
「琵琶湖」の「風景」です。

「対岸」には「草津市」
「伊吹山」が見えます。

「天気の良い空気の澄んだ日」には
「木曽」(岐阜県)の「御嶽山」
「加賀」(石川県)の「白山」が望める事もあるようです。

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