静岡文化芸術大学 室内楽演奏会

静岡文化芸術大学で学生が中心になって企画・運営を行う室内楽演奏会のブログ

悲しい音楽~ブンドゥ・スアラ

2013年06月15日 | バリ島のガムランコンサート情報
 今回のガムランのコンサート「青銅の響き」では、器楽曲(踊りが伴わない)が3曲演奏されます。そのうち古典曲である《ブンドゥ・スアラ》は、死者の魂を天界に導くために演奏される作品で、この曲は各地で演奏されるレパートリーのようですが、地域によって異名同曲が多いそうです。この曲を《ブンドゥ・スアラ》と命名してくれたのは、今回、サリ・メカールのメンバーとして浜松で演奏してくださるプトゥ・スティアワンさん。「ブンドゥ」は悲しいという意味、スアラは、音や声という意味ですから、「悲しい音楽」となります。プトゥさんは、名前の通り、生粋のバリ人です。彼の村ではこの曲を《ブンドゥ・スアラ》と呼ぶそうです。ゆっくりとした、バリ人にはとても切なく、悲しく響く曲なのです。
 ところで、今回の写真、日本で発売されている「bronze BLOSSOMS」と題されたバリのガムランのCD(ビクター VICG60410)にも、この曲が4曲目に収録されています。タイトルは《アンクルンAmgklung》となっています。こちらのCDの解説は皆川厚一さん。彼も今回、サリ・メカールの公演に演奏者として参加します。

上演演目~マルガパティ

2013年06月14日 | バリ島のガムランコンサート情報
 《マルガパティMargapati》は、1942年にイ・ニャマン・カレルとよばれる当時ひじょうに有名な芸術家によって創作された舞踊です。20世紀初頭は、この時代に新たに誕生したゴング・クビャルgong kebyarとよばれるガムラン編成のための舞踊作品がたくさん作られた時期で、この曲もそうした一連の作品です。創作年の1942年といえば、すでにバリ島は日本軍の占領下にあった時代です。
 この舞踊は「獅子の王」を象徴的に表現する女性舞踊です。ただその舞踊の型は、女性舞踊の「荒型」に分類されます。曲の構成がそれほど複雑ではないことから、ガムラン音楽の初心者が習得する曲の一つで、バリだけでなく、ガムランが普及した世界各地で演奏される作品となりました。今回の演奏メンバーもこの4月からガムランを始めた静岡文化芸術大学の学生が中心になり、それにサリ・メカールの演奏者たちに加わっていただき上演します。
 なおこの写真は、山形県でのサリ・メカールの野外公演の様子です。

上演演目~パニャンブラマ

2013年06月14日 | バリ島のガムランコンサート情報
 これまでも今回の上演演目を紹介してきましたが、今回は《パニャンブラマ Panyembrama》です。この踊りは、公演を観に来てくださった観客を歓迎するための舞踊です。1967年にイ・グスティ・グデ・ラカ氏により原型が創作され、その後、1970年には当時、国立芸術高等学校の教員であったイ・ワヤン・ブラタ氏が改作して今に至っています。
 もともとバリ舞踊には「歓迎の舞踊」はありましたが、それは神々を歓迎する舞踊であり、人々を歓迎する舞踊というのはなかったのです。ところがバリの観光化が進む中で、観光客やイベントなどでの歓迎のための舞踊が必要になってきました。この舞踊が創作される前は、神々に対して上演される歓迎舞踊が、そのまま観光客の歓迎に使われることで、宗教機関からそうした事実を問題視する声があがっていたのです。それに対応するために創作されたのがこの舞踊です。バリの文化観光政策の一環として誕生した舞踊といえるでしょう。
 この舞踊の特徴の一つは、舞踊の後半に踊り手が、花を蒔きます。ですからガムラン演奏者の世界では、「花蒔き」などとも呼ばれています。今ではこのパニャンブラマ以外にもさまざまな歓迎舞踊が作られています。
 なおこの写真は、山形県でのサリ・メカールの野外公演の様子です。

サリ・メカールの練習風景~チェンドラワシ

2013年06月11日 | バリ島のガムランコンサート情報進捗日記
 先週の稽古では、チェンドラワシの踊り合わせがありました。チェンドラワシCendrawasihは、1988年に創作された二匹の番いの極楽鳥を表現した舞踊。作曲はバリの大作曲家イ・ワヤン・ブラタI Wayan Berathaと芸術大学の当時は若き作曲家イ・ニョマン・ウィンダ I Nyoman Windhaの合作、コレオグラファーは、大学教員のスワスティ・ウィジャヤ・バンダムSwasthi Wijaya Bademというものすごい顔ぶれの作品。当時は教育関係者がつくった実験的な作品でした。
 この舞踊がバリで初めて披露されたのは1988年の2月のことで、とにかくバリで大センセーショナルを巻き起こした当時の問題作でした。私はちょうど、芸術大学に留学中で、バリのアートセンターにおいてこの初演を見ています。バリ舞踊の基本的な型はかなり変形して、「これがバリの舞踊か?」といわれるほどの現代作だったのです。しかもその衣装もそれまでみたことのないものでした。
 今では、もう誰もがバリ舞踊の一つとして踊るチェンドラワシ。20年以上が経過したことで、それだけバリ舞踊も大きく変化し、チェンドラワシはもはや「バリ伝統舞踊」の域に達しようとしています。
 今回の浜松公演では、舞踊界の若きホープの一人で、バリの芸術大学に留学経験のある安田冴さんと、なんと2年の留学を終えて7月半ばに帰国する大野里美さんの二人が踊ります。大野さん、まだバリなんですね。写真は、ジャウック・マニスを踊る荒内さんが、大野さんのかわりを務めています。

サリ・メカールの練習風景~ジャウック・マニス

2013年06月10日 | バリ島のガムランコンサート情報進捗日記
 昨日、今回7月20日の室内楽演奏会で演奏していただくサリ・メカールの活動拠点「音の森ガムラン・スタジオ」に行ってきました。
 今回は舞踊曲だけで全5演目。器楽曲3曲と盛りだくさんの舞台。練習している舞踊は、後半の最後の演目に予定している仮面舞踊《ジャウック・マニス Jauk Manis》です。踊り手は東京を中心に活躍するバリ舞踊家の荒内琴江さん。練習ではお面はつけませんが、舞台当日には、ちょっぴりニヤけた白いお面を被ります。
 ジャウクは、トペンという仮面舞踊と違い、人間や崇高な神を演じる舞踊ではなく、爪が長く、髪も伸び放題といった「鬼」を象徴しています。しかし、その存在は絶対悪ではなく、とても「おちゃめ」で「やんちゃ」、かつ「遊び心満載」のかわいらしさをのぞかせます。
 「何分踊りますか?20分でも大丈夫です」
 と荒内さんは言ってくれましたが、時間の関係上、「15分程度」ということにしました。それだけこの舞踊は《ジャウク・マニス》特有のフリや規則を用いながらも、その構成は踊り手次第なのです。ガムラン奏者も当日の舞台まで全くわかりません。そうした舞踊家と演奏者のスリリングな緊張感が、きっとご覧いただく方々にも伝わるはずです。