いつか また 韓国?

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メキシコ旅行(1)

2019-06-16 11:05:12 | 旅行

娘が新婚旅行に行ったのがメキシコだったし、テレビのイッテQでデビ夫人が行っているのを見た時から

昨年のウユニ塩湖の弾丸ツアーの時に 半日観光した時も、めっちゃ気に入っていて。

ああ、そうだ、小学生の時に、マヤの文化の冒険談の本が凄く好きだったこととか・・・ メキシコに行ってみたい~~と。

 

そして、今年、三月、後輩が誘ってくれた桜の花見の宴会で、色んな話が出た後、

「誰か、メキシコいく人いる?」って勇気を奮い起して言ってみたら、すぐに後輩のトコチャンが手をあげてくれて、

その2,3日後には、では、このツアーで行こう!と決まったのでした。ありがとう!!トコチャン。

 

雨季が始まっているかもしれない~~40度もあるっていう情報を添乗員さんから伝えられ、

全天候型に日焼け対策して出発。

 

飛行機は、エアロメヒコ、直行便ですが、 とはいえ、14時間。 長いです。

14時半を過ぎて離陸。 機内食2回は、私には、まずまずの美味しさ。エコノミーで頂いたワインも美味しかったです。

眠れるような眠れないような、2時間ぐらいのうとうとで。配られるアイマスクがやはり役に立ちます。

座席は3-3-3で、エコノミーにしては、ゆったりでした。

空港の荷物のピックアップや入国もスムーズで

メキシコ人のガイドさん、シサールさんに会いました。

 

お顔はばっちり現地の型ですが、流暢な日本語。 しかも、日本が大好きだとお聞きして、嬉しくなります。

メキシコ人に人気のある国は、イタリア、フランス、スペイン、ドイツですが、最近は、アジアも若者に人気があるそうです。 400年前、アメリカ大陸で最初に出来た国がメキシコ

支倉常長が伊達正宗の命を受けて、慶長遣欧使としてローマまで往復する間に、立ち寄ったのがメキシコで、ここからは、陸路で大西洋側からまた船旅だったと言うから、昔の冒険は、スケールが違う。 

彼らがメキシコで立ち寄った建物がこちら。

青いタイルがついた家です。

 中華街。

今は、ファミレスとして使われているとか。 車窓からちらっと見ました。

そして、日本とメキシコの友好関係の開始ということで、2014年に、400年のお祭りがあったそうです。

街をあるくとすぐに気がつく、日本車。

数年前から 日本の日産、ホンダ、トヨタと車の組み立ての会社や工場がやって来ているそうで、嬉しくなります。

メキシコには、13000人の日本人が住んでいて、そのうち3000人はメキシコシティー、6000人は、バヒヨという、車関係の街だそうです。

さて、土曜日の沢山の人が出ている中心部に到着。

まずは、トイレからというわけで、街の中には、WCと看板がある場所がいくつかありました。

トイレチップ、6ペソは40円くらいでしょうか。

  レンタルサイクルもあちらこちらで見ました。 渋滞を避けようとこういう運動をしているようです。 サボテンです。

こちら出発の観光バスが何台も集まっていました。 こんなに派手。

歩いて、テンプロマヨール、 アステカ帝国の中央神殿跡です。     今はCGで作成された神殿をこうやって教えてくれます。

1913年にカテドラルの裏側で、アステカ遺跡の階段が発見されたで、発掘がすすめられて出てきました。

もともとはテスココ湖に 浮かぶ水上国家で、それをスペイン人たちが埋めて作り上げたのがメキシコシティーなので、地盤沈下であちらこちらで、道路がうねったり、建物が曲がったりしています。   上の模型の神殿部分だけ寄って見ると。

そして、ここから銀の道が伸びています。カミノ・レアル・ティエラ・アデンドロ スペイン植民地時代のメキシコで鉱山の採掘が進み、銀の採掘で莫大な富を得た人は、教会の建設に資金を投入し、その輸送ルートとなったのが、銀の道と呼ばれています。

ソカロ広場では、羽をつけて、舞いを見せる人達がいました。 おみくじのようなものを買ったりしていました。 なかなか 興味深いです。 

メトロポリタン・カテドラルへ入ります。 

バロック様式ですが、ガイドさん曰く、やりすぎ・・とか。 メキシコ人というのが、また器用に、細かい細工を埋めていくので、派手になって行くそうです。 

中には、黒いマリア様にあったという、そのマリア様とか、その時を再現したものとか飾られていました。 

 黒いキリスト。 

 

パイプオルガン  もともとは大理石は海を越えてヨーロッパから運んできたそうですが、この部分は、メキシコから採掘されたもの。

 この右のほう、ちょんまげの聖人がいるとか説明を受けましたが、やっぱり、分からなかったなあ。 と、拡大してみると・・・・確認できました。

もともとは、アステカの聖なる地に、スペイン人がやって来て、現地の人を改宗させ、その神殿を壊し、それを 使って、こういう教会を作ったと言うことなのですね。

16世紀に、スペイン人がやってきて戦争もあったけど、彼らが持ってきたサルモネラ、チフス、天然痘などの病気で当時の90%の人が亡くなったそうです。

だから、今のメキシコ人は、75%が混血、10%がスペイン人、純粋な原住民もいらっしゃるそうで、仲良くやっているけれど、貧富の差がとても激しいと言われていました。  教会を出れば、個性的な像です。これは、鍵を溶かして作られたそうです。 後ろをみれば、

そして、バスに乗って、本日のホテル。ガレリア・プラザ・レフォルマへ

7時からの夕食に、時間が少しあるため。

我らは、街に出てみます。ホテルは、王様が、后と散歩するために作らせたフランスのシャンゼリゼ通りを模したと言われるストリートが近くで、 地理が分かりやすいのですが・・・

まずは、独立記念塔へ

 道路を渡る時に左からやってくる車に気をつけながらの横断。 これが、この日の最大のスリルか~~

塔では、なにやら、ディズニーの姫の衣装を着た娘ちゃんが何人か。 おばちゃん、気になりました。  中の一人に「ウェディング?」と聞くと、そうだというので、思いきり、「Congraturations!」と私たちも撮影。

翌日のバスの中で、ガイドさんが教えてくれました。 15歳になる女の子の祝いということ。海外旅行かパーティが選べるそうです。キンセアニエーラだそうです。大きなパーティをするそうで。お父さんのメッセージというのが決まりで。 もしもお父さんがテキーラ飲み過ぎて、言えない場合は、お母さんがとか。 ダンスの好きなお国柄で、皆の前でダンスするそうですが、恥ずかしがり屋さんもいるので、そういう時は、パーティでは無く、旅行を選ぶんだそうです。

男子の徴兵は、18歳。 抽選で10%が選ばれるそうです。一年間ですが、割と自由なようです。

 

さて、簡単だと思われていたルート。

私が、一本間違えたようです。 道行く人にホテルの名前を言って、聞いてみると、スマホで検索して、教えてくれました。

予定時間を5分過ぎて、最後に着席。 ごめんなさい。

 

夕食が始まりました。

この日は、素敵なホテルだからか、お洒落なコース料理。

選んだお酒は、バスの中でガイドさんが挙げていた人気のビールを    

 

食後、食べ過ぎ解消の為、チャブルテペック公園へ。

資料も何も持たない2人は、ひたすら歩いて 到達せず、 近いところまで来ていたらしいのですが。  あたりは、暗くなり。 帰ってまいりました。

さて、最初の夜。 土曜日の夜  ディスコの爆音が我らの部屋には、ずっと聞こえており、 やっと、消えたと時計を見たのは、朝、5時を過ぎていました。

 

 

 

 

 

 

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