毎日編みもの、時々読書、たまぁに懸賞。

そろそろ身辺整理ですかね・・・。

僕が9歳だった頃

2006-02-06 10:59:15 | トラックバック
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9歳。小学3年生。その年の運動会が1番思い出に残ってます。
私の通っていた小学校は全校生徒1000名近くのマンモス校。
その運動会でのメインイベントが、「地区対抗リレー」。
自分の住んでいる地域の小学2年生から6年生までの5人が、
熱戦を繰り広げます。
私は3年生のとき選手に選ばれました。
近所の6年生のお姉さんが校内でも1,2の俊足で
私のチームは優勝候補。そんなに足の速くない私はプレッシャー満点で
予選に臨みました。
2年、3年はトラック半周。無難に走れば、順位はそうは入れ替わりません。
2年生からバトンをもらい、無我夢中で走ったのを覚えています。
無事決勝に進み、予想通り本命だった私のチームは見事優勝!
甲子園なみの優勝旗が6年生のお姉さんの手にわたりました。
私の父は自分1人で遊ぶのが好きな人で
子煩悩とはほど遠く、子どもの行事より、自分の趣味優先でした。
当然、運動会も見にきてくれることはなく、お弁当の時だけ
食事をしにくる有様。ま、それがうちの父だと思うようにしていましたが
少し寂しかったのも事実です。
その父がこの時ばかりは応援にきてくれ、我が家に優勝旗が来たときも
叔父からカメラを借りてきて、写真をたくさん撮ってくれました。
父なりの精一杯の子どもとのふれあいだったのでしょう。
1つ心残りなのが、休日の朝早くたたき起こされ、
半ば寝ぼけ状態で、優勝旗を持つ私の写真が残っていること。
撮った父も父で、カメラの扱いに不慣れ。逆光の写真が多数。
せっかくの記念写真が、超不機嫌な私の顔。
あの時、満面の笑みを浮かべたかったなぁ。
という後悔も思い出の1つです。

41歳 女性

私の「腐れ縁」

2006-02-06 08:43:27 | トラックバック
ウォーク・ザ・ライン/君につづく道


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私の腐れ縁。。。ロマンチックでも何でもないけど

小学4年生からのつきあいのSちゃん。

そろばん塾で知り合い、それからお互いの家を行き来する仲に。

中学、高校も進路は同じ。毎日一緒に通学してるのに

家に帰ってまた長電話。。。

よく母に「毎日会ってるのに、何でそんなに長話するのっ!?」と

叱られました。

高校卒業後、Sちゃんは大学、私は就職、と道は2つに分かれましたが

つきあいは変わらず。

もう親の知らないことも、何でも知ってる間柄デシタ。

よくお互いにややこしい相手と遊びに行くときは

「サクラ」に使用するほど

「Sちゃんと出かけてくる~~」と言うと

何のお咎めもなく外出可能

今考えると、裏切ることもできない「運命共同体!?」だったのかも

あれから4半世紀をゆうに超え、もう30年以上。。。

以前のように頻繁に連絡することはなくなりましたが

ふとしたことで、メールや電話で連絡する1番の相手。

今でも実家に帰省する時には必ず会って、相変わらずの「バカ話」に

花を咲かせます

オットに言わせると、「アンタとSちゃんはきっと、オレ達ダンナが

なくなったら、一緒に老人ホームにまで入るんだろうねぇ。。。」と

半ばあきれ、半ば感心しています。

もうすでに「腐りきった縁」になりつつある私たちなのです