キリストのあかしびと 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。

地獄について この無視された真理 ◆9、亡くなった人のために祈ること

2017-03-02 05:27:56 | 地獄について
『地獄について この無視された真理』アロイジオ・デルコル神父、9

◆9、亡くなった人のために祈ること

 では、うらぎりのユダの他に地獄におちた人は誰であるかということは、この世に生きているあいだ、わたしたちには正確にわからない。すると、ある人が、たとえ悪い生活をおくりつづけていても、それだけで地獄におちたと断言はできない。その人が最後の瞬間に悔い改めて神の許しを願ったとも考えられるからである。それで教会は、亡くなったすべての人のために祈るようにとくりかえしている。聖人たちの伝記にも、そのようなことが教えられている。

 一例だけを述べよう、ある聖人は、大きな罪人の改心のためにしきりに祈っていた。そしてキリストご自身もζの聖人にそれを約束しておられた。しかし間もなくその罪人は、悔い改めのしるしを示さないで、橋から川にとびこんで自殺した。あの聖人がそのことを知ったときイエズスに、「なぜ約束を守ってくださいませんでしたか?」となげいたとき、イエズスはお答えになった、「橋と水との間に、どれほどの距離があるかを、あなたは知っていますか?」と。つまり、川にとびこんだその人はまだ川の水に届かないうちに後悔して、不完全な方法であるにしても、神のゆるしを願ったというのである。それで亡くなったすべての人のために祈ってあげるのは、あわれみ深い愛のしるしである。もしその人が最後まで改心しないで地獄に行ったとしても、その人のための祈りは無駄ではない。神はその祈りを他の人の救いのためにひきうけられるからである。

 このために教会は、ミサ聖祭において死者のために祈り、信者にも、この目的のために祈るようにはげましている。

 ミサの第三奉献文には、このことばがある、「み旨に従って生活し、今はこの世を去ったすべての人をあなたの国に受け入れてください」と。

 また第一奉献文には、「キリストのうちにいこうすべての人に喜びと光と平安を与えてください」と。

 また第四奉献文には、「キリストの平和のうちに亡くなった人々、あなただけがその信仰を知っておられるすべての死者を心にとめてください」と。

 これによって、はっきりした信仰のうちに亡くなった人だけでなく、「み旨に従って生活した」すべての人のためにも教会は大きな希望をあらわしている。

 「み旨に従って生活した」ということばの中に救いの条件が明らかに示されている。自分の責任なしで信仰の道に入らなかった人も、悪をさけて善をおこなったなら、不完全な方法であるにしても神のみ旨を守ったことになるから、これらの人々が救われるのを希望しているのである。

 しかし、すべての人が自然に知るようになる善と悪の道(つまり悪をさけて善を行う道)にそむいて、悪に悪を重ねる最後まで神にそむいた人を待つ運命は、なんと恐ろしいことだろう。

 地獄におちる危険が確実な危険であるからこそ、救われるために神の道を忠実に歩むことは、どれほど大切であろう。もちろん、神の道は十字架の道である。十字架をたえしのぶのは大変つらいが、しかし地獄におちたら比較にならないほど恐ろしいことである。殉教者たちは亡びることをさけて救われるために、どれほど大きな苦しみをたえしのんだことだろう。またキリストも、人間を地獄の永遠の罰から救うために、十字架上でどれほどの恐ろしい苦しみをたえしのばれたことだろう。キリストの十字架こそ、わたしたちの救いの希望と保証である。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。