『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 5
心の秘密は知るよしもありませんが、その頃学校のそはのキリスト信者の助けなる聖マリアの大聖堂で宣教師の送別会がありました。祭壇の上からドン・ボスコのあとをついだルア神父の話がひびきます。これに全員参加した生徒たちの間から、ヴェルシリア少年の熱い視線が宣教師たちの中のひじょうに若いひとりに注がれていました。
『ぼくもサレジオ会の神父さまになりたい』と、ヴェルシリアの心が思わず熱い決意を叫ばずにいられなかったほど、その人の態度は深い印象を与えました。やっぱり、そのとき、ドン・ボスコが、かれの心に叫びかけていたのです。かれは、以前から信仰に対して熱心でしたが、それからは、ますます燃えていきました。
あれから、神学生になり、司祭になっても、かれは、イエズスと聖母マリアのみ心に対する信心を大切にしました。
ローマに留学を命じられ、哲学博士号を得たヴェルシリアは、もうサレジオ神学校の先生です。22才になったばかりなのに、1895年12月21日、司祭に叙階されました。
聖ドン・ボスコのあの有名な夢のなかで、サレジオ会の宣教師は中国に入ったのです。でも、生存中は実現しませんでした。それがこの世紀になった今、実現されようとしています。
1905年、最初のグループが選はれました。その団長に選はれたものの、出発がのびるのをみたコネルリ神父は、ある日ヴェルシリア神父を訪れました。
「わたしは団長にされたのに、どうしてたか分りませんが、目上があちらに行かせないような気がしてなりません。ああ、そうだ、神父さま、中国にはあなたが行きますよ、そして殉教者になるでしょう」。
そんなこと、あるはずがないと思っていった冗談でしたが、その冗談が実現しようとは!・・・まもなく、コネルリ神父は病気になり、その代わりは、ヴェルシリア神父に決まったのです。しかし、乗船した一行に教皇の祝福をもって行き、その額を渡す役目をしたのは、コネルリ神父でした。
心の秘密は知るよしもありませんが、その頃学校のそはのキリスト信者の助けなる聖マリアの大聖堂で宣教師の送別会がありました。祭壇の上からドン・ボスコのあとをついだルア神父の話がひびきます。これに全員参加した生徒たちの間から、ヴェルシリア少年の熱い視線が宣教師たちの中のひじょうに若いひとりに注がれていました。
『ぼくもサレジオ会の神父さまになりたい』と、ヴェルシリアの心が思わず熱い決意を叫ばずにいられなかったほど、その人の態度は深い印象を与えました。やっぱり、そのとき、ドン・ボスコが、かれの心に叫びかけていたのです。かれは、以前から信仰に対して熱心でしたが、それからは、ますます燃えていきました。
あれから、神学生になり、司祭になっても、かれは、イエズスと聖母マリアのみ心に対する信心を大切にしました。
ローマに留学を命じられ、哲学博士号を得たヴェルシリアは、もうサレジオ神学校の先生です。22才になったばかりなのに、1895年12月21日、司祭に叙階されました。
聖ドン・ボスコのあの有名な夢のなかで、サレジオ会の宣教師は中国に入ったのです。でも、生存中は実現しませんでした。それがこの世紀になった今、実現されようとしています。
1905年、最初のグループが選はれました。その団長に選はれたものの、出発がのびるのをみたコネルリ神父は、ある日ヴェルシリア神父を訪れました。
「わたしは団長にされたのに、どうしてたか分りませんが、目上があちらに行かせないような気がしてなりません。ああ、そうだ、神父さま、中国にはあなたが行きますよ、そして殉教者になるでしょう」。
そんなこと、あるはずがないと思っていった冗談でしたが、その冗談が実現しようとは!・・・まもなく、コネルリ神父は病気になり、その代わりは、ヴェルシリア神父に決まったのです。しかし、乗船した一行に教皇の祝福をもって行き、その額を渡す役目をしたのは、コネルリ神父でした。