キリストのあかしびと 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。

『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、20

2022-08-19 15:04:29 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、20

◆3、教皇首位権のために戦った人

 18年間も、こうして模範的な主任司祭の任務を果たし続けたウゴ神父に目をかけたものがいました。それは、ローマの教会関係者たちです。あれほどの天才を地方に埋もれさせるのは、もったいないと、1953年、彼をローマに呼びよせました。新しく任命された職務は、ローマ・ラテラン大学神学部の部長です。
 そして、まもなく、教皇ヨハネ23世によって、第二次ヴァティカン公会議が開かれると、彼は、教皇立神学委員会のメンバーとして選ばれることになりました。

 ウゴ神父の仕事は、教会憲章の作成に協力することです。その頃、公会議では、教皇の首位権と、司教たちの権利について、大変な議論がありました。

 こうして、準備されたのが、憲章の下ごしらえともいうべき、一つの案です。これは、大勢の司教たちの要求によってできたものでしたが、ウゴ神父は、それを見ると、みるみる蒼白になり、眉をひそめました。彼は、非常に憂えていました、「この案がそのまま通ると、聖ペトロと、その跡継ぎであるローマの司教、教皇さまの首位権が危い」と。

 なぜなら、そこには、第一次ヴァティカン公会議で信仰箇条として宣言されていたこの首位権と、教皇の不可謬権をとり消した方がいい、という意見が強くうち出されていたからです。

 中でも、北部ヨーロッパのエキスパートたちにこの声があがりました。彼らは、プロテスタントの要求に劣等感を持っていたので、この説を強く宣伝しました。そのため、公会議に参加した、少なからぬ司教たちが、これに賛成する傾きをみせはじめたのです。これを放っておいたら、いったい、どうなるのでしょう。そうなれは、もはや教皇さまは、司教たちの「スピーカー」でしかないことになります。それどころか、信仰の大切な教義も、歴史的な時代の要求が変化するにつれて、不変的なその特長を失うことになるのです。事実、この説から出された結論は、次のようになっていたのです。

「救い主キリストは、信仰がでっちあげた神話でしかない。したがって、キリスト教の道徳上の教義も、時代によって変化する。そして、この説の行きつく先として、最近のマルクス王義の思想も、キリスト教の思想に劣らない真理として認めるべきである」という結論まで、既に提出されていたのです。

 また、こうも言われていました、すなわち、「福音書に記されているイエズスの幼年時代の物語は、単なる作り話であり、歴史的な根拠が認められない」と。

 この説は、形こそ変わっていますが、今もなお残っています。とにかくあの当時、有名な司教でさえ、この立場を支持していたのです。

 大変な危険をはらんだこの案に気づいたラッタンツィ神父は、自分の委員会仲問とともに、正しい立場を守ることにしました。



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