我が家の少し斜め前に「丁字路」(道路交通法第2条5)がある。
あくまでも「てい字路(丁字路)」であって、「ティー字路(T字路)」でははないんだそうだが、「丁」という字は普通、「包丁」とか「一丁目」という具合に「ちょう」とは読んでも、「てい」という読み方にはあまりお目にかからないぞ、と思っていたところ、そう言えば、戦前では順序を表していたり、契約書などでは今でも当事者を指す「甲乙丙丁」などでよく使われていることを再認識し、まぁここは「てい字路(丁字路)」ということで、事を荒立てないこととした。
で、その「てい字路(丁字路)」なんだが、一時停止側の道路にはセンターラインが引いてあるが、直線道路側は真ん中に線を引くほど広くはない。そして、一時停止側の左側には建物が迫っているので、あまり見通しが良くない。見通しが良くないので、ギリギリところまで行ってから左右を確認するしかない。
そして、昔っから、ここの直線道路を右折するクルマのほとんどがショートカットで曲がろうとするもんだから、よく衝突事故を起こすことが多かった。事故には至らなくとも、ヒヤリハット案件は数えきれないほど多くあったものだった。
しかも、この直線道路には制限速度が設けれれておらず、生活道路なので時速30km程度にするよう公安委員会とかに働きかける必要があるのではないかという声も、良識ある一部の人たちの間にはあるにはあったのだが、その当時の町会議員が「地元の住民が速度違反して切符を切られ、その責任を議員のせいにされたらたまらん。」などと訳の分からん理屈をこね出して、結局、今でも制限速度は設定されておらず、そのため、時折、爆音を立てながら猛スピードで走ってゆくクルマもちょいちょい出没(熊かよ・・・)したりしている有様だ。夏場は気温や湿度の上昇とともに真夜中に走るクルマやバイクの速度も上がる一方のようで、排気音や風切り音から推察するに、まぁ、ゆうに100km/hは超えているだろうと思われる。
もしも警察から移動式オービス(自動速度違反取締装置)の設置を依頼されたとしたら、これは快く積極的に場所を提供する用意がある。ちッ、爆音を聞かされる者の迷惑も考えてみろってもんだ。
そうこうしているうちに、この近くに中学校が建設されたのを機会に、この道が、なんと!「通学路」に指定されることとなった。とは言っても、生徒さんたちが歩いていいのは道路両側の路側帯だけ。車道を走る自転車通学の生徒さんたち、危険に晒されてホントにかわいそう。
通学路になる、ということで白線が引き直され、従来よりも10cm、道路両側の路側帯が広くなって約50cmほどになった。そして、その結果、もともと7m程しかない道幅の車道は6mあるかないかという狭さになった。自転車通学の生徒さん、ますます危険度が増し増し。・・・ここを、真夏の夜には暴走車が爆音を鳴らして爆走したりする訳である。真夏でなくとも、時折、血気盛んな爆音のバイクや暴走車がつっ走ったりしている。
通学路になったということで、ここの「てい字路(丁字路)」に横断歩道も設置されて、ようやく、人影があるときにはクルマも一旦停止をするようになった。
中学生たちは交通規則をよく守っていて、徒歩の生徒さんたちは道路右側の「路側帯という歩道」を歩いてきて、あるいは、自転車通学の者たちは左側を通行してきて、それぞれ「てい字路(丁字路)」に到達することとなる。
歩行者には横断歩道が用意されているため、「てい字路(丁字路)」に中学生たちが立ち止まっていると、走ってきたクルマも一時停止をしているようだが、「てい字路(丁字路)」で一旦停止している自転車通学の中学生がどれだけいても、気に留めるクルマなんか一台もいない。何も見なかったように通り過ぎるだけである。
なので、自転車通学の中学生たちは、クルマの流れを見極め、すべてのクルマが走り去ったことを確認してから、ようやく直線道路側の左側へと移動してゆくこととなる。自転車通学の生徒さんたち、ホントにかわいそう。
狭い通学路と多くの交通量という環境では、保護者も安心できないのだろう。通学手段はあらかじめ決められているようなのだが、何のことはない、多くの保護者たちはマイカーで校門前まで送迎しているのが現実である。そして、そのために狭い通学路は多くのクルマが行き来していて、ますます危なっかしくなっている。雨の日は特に危ないし、それは自転車も自動車も同じ。
昨冬は雪が少なかったとはいえ雪道は雪道。多くのクルマも歩行者も難儀していたことは間違いない。
中学校が開校したのが令和4年4月のことであり、この地に建設が決まったのがほぼ10年も前のことである。当時、学校の建設に合わせて周辺の道路や文教地域としての周辺環境の整備計画を策定する必要性を訴えた心ある人たちもいたのだが、地元農業関係者からことごとく潰されてしまった。ときには脅迫めいたこともあったとのこと。
ために、行政も何ら手を打たず、通学路の安全性などにも全て目を瞑ってきた。情けな・・・。
そんなこともあって、開校したといっても、できたのは建物と横断歩道の線引きだけで、通学路になるはずの道路にかかる橋梁の架け替えはについて開校後1年以上経ってからようやく「工事が始まった」、というお粗末さである。この橋が開通するまでの保護者の苦労と負担、如何ばかりかと。
そういえば、学校自体の建設工事も始まってから長い間放置されっぱなしの状態が続き、予定されている開校時期に間に合うのかいな、と気をもんでいたこともあったが、開校半年前になってようやく尻に火が付いたように突貫工事が毎日続き、雪道の中、深夜にまで及ぶ工事が何日も続いた甲斐あって、開校直前には「どうだ!」と言わんばかりに全容を現した。「どっか手抜きとかねぇだろぅな」と心配したのは一人だけということを祈るばかりだ。
何か事が起きてから慌てて準備を始めることのたとえに「泥棒を捕らえて縄を綯う」ということわざがある。中学校建設後のとりとめもない各種工事を見ていると、この諺が想起された。
そして、このデジャヴュは何なんだろうと考えてみたら、どうも、新幹線が開通してからの富山駅周辺の整備工事が出てきた。ここも、ルートが確定してから開通するまで何ら手をつけず、開通してからあれやこれやともたついている。金沢駅や福井駅とは大違いだ。
諺はものごとをよく掴んでいる。泥棒に都合がいい世の中では困るのである。