写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

「平等」と「公正」

2017年02月12日 | 随想

 

「平等」と「公正」の大きな違いが1秒で納得できる画像というサイトがある。

Equalityが平等」、Equityが「公正」を表している。

 

1票の格差」と騒いでいる人たちは、憲法が保障する法の下の平等に反するとしているが、選挙権が誰にでも与えられている、ということで「平等」は確保されているのではないか?

図で言えば、全員に踏み台が与えられている時点で「平等」は達成されているのであって、フェンス越えで見えるか見えないかは、見る側の背丈で違っているだけだ。皆がフェンス越えで見えるような結果にするのが「公正」な措置とのことだが、これ、100m競争を一緒に手をつないでゴールするという、「平等」の拡大解釈みたいな姿を思い浮かべてしまった。

1票の格差」を平等にしろとという議論は、背丈のほうを同じにしろ!と騒いでいる、ということになるようだが?と、すれば・・・現実を理解しないアホどもや。

因みに、後半部分で、平等は同一、公正はフェアネスと言い換えられている、という解説もあるが、日本語には「公平」という、それらを足して2で割ったような言葉もある。研究社 新和英中辞典によれば、英訳では「フェアネス」「ジャスティス」となるようだ。(「公明」は「ジャスト」。政党名の一部にもつかわれているが「名は体を表す」ことにはなっていないようで。)

 

少ない投票数で当選した議員もいれば、多くの票を獲得しても当選できなかった者もいる、ということが不「公平」だというのなら、「平等」を標榜せずに「公平」をこそ訴求すべきであろう。しかし・・・、お手本とする2016年アメリカ大統領選挙では、得票数ではクリントン6420万票、トランプ6220万票だったが、獲得した選挙人はクリントン232人、トランプ306人ということでトランプ勝利となったとのこと。制度上の欠陥という気もするが、米国民の間では特段、そのことを問題視して騒ぐということもないようで、「それがアメリカだ」という矜持も感じられるところだ。

 

格差、格差と騒ぐ前に、まずは「投票率」を上げる努力をすべき、とも思われるのだが・・・・選挙権を有しているヒトの中には認知症患者も入っていたり、精薄施設では「○○と書くのですよ」と「指導」するという、選挙違反としか考えられないようなこともあったり、認知症の人の投票をどう考えるかはもっときちんと議論されるべきなのだ。加えて、投票率が過半数に満たなかった選挙は無効とする、いうのが筋ではないのか?と思うのだが、これはたぶん、費用の問題も絡むのでムリだろうな。

政務活動費の不正告発ということで鬼の首を取ったようにはしゃいでいる鄙のマスコミを見る毎に、巨悪や左翼反日運動とかには黙して語らないくせに、些細なトカゲの尻尾事件では自分達こそが正義だといわんばかりのパフォーマンスにはほとほと辟易している。