数字、読み方
OCRソフトを使って仕事をしていると、手書き文字というのは
「なんちゅう ええかげんに書いとんねん !!」
(怒りの言葉は関西弁に限る・・・) と思うことがしばしばある。
と、同時に、書いたヒトの知能を疑いたくもなる。保育園児でさえ
もう少し ましな文字 書くぞ、と [ 真剣に ] 思ったりする。
ゼロやら6やらわからなかったり、1なのか7なのかわからない、と
いうのは序の口で、6を4と誤認識させたり、8を4と誤認識させるとか、
ありえないような数字をお書きになる御仁がいたりする。
で、
そもそも、である。
なぜ「1」が「1つ」を、
「2」が「2つ」を、「3」が「3つ」を示すのかというと、
実は、“初期”のアラビア数字の形を見ることで、
この由来がすぐにわかる。
つまり、読み方と同じだけ「角」が存在する、という訳である。
(ソースは↓)
1 なら「角」も1つ、2 なら「角」が2つ、3 なら「角」が3つ...。
(「“初期”のアラビア数字」である。今と少し形が違う。)
んで、
「角」が“無”のときが「0」!
インドの「0」の概念は “無”ではなく、どちらかと言えば、“空”であり、
“無”といえば、「無為自然」の老荘思想を指すのが一般的で、
“空”のほうが、「色即是空」とかの概念に合っている。
このあたりは漢字の表現力の限界だろう。
「0」が“空”・・・
ということで、「0の発見」というのは、仏教とも深い関係がありそうである。
近年、国境を無視した「イスラム国」の台頭などもあり、宗教が世界を
動かしている、などと今さら気付いたような記事を、週刊ダイヤモンドが
特集している。(買ってしまったが・・・)
まぁ、大仰なタイトルの割には、ページ数と同じくらいに内容も薄っぺらい
ので、参考になることは少ない・・・・無い、と言っておこう。
「国境が・・・」なんて言ってるが、英仏で勝手に決めただけだし・・・
OCRでは、数字の書き方へのいちゃもんだったが、
数字の読み方となると、
これは、「日本語」の簡便さ・明瞭性・わかりやすさが群を抜いている。
フランス語で、70から数字を数えようとすれば、
「70」が 「60」+「10」、「71」が 「60」+「11」、「79」が 「60」+「19」、
「80」が 「4」×「20」、「81」が 「4」×「20」+「1」、「89」が 「4」×「20」+「9」、
「90」が 「4」×「20」+「10」、「91」が 「4」×「20」+「11」・・・
石原慎太郎ではないが、これじゃあ おつりの計算もできねぇなぁと思うし、
何故こんな複雑な数え方をするかと言えば・・・・「習慣」、としか言いようがない。
ドイツ語だって、「152」の読み方は 「100」と「2」+「50」 だし・・・。
なんで? と言えば、そういう「習慣」だから。
「357021」の読み方は、日本語では、「35」万「7」千「21」だが、
英語では、「357」×「1000」+「21」 (three hundred (and)
fifty-seven thousand twenty-one) であり、ドイツ語では、
「dreihundertsiebenundfünfzigtausendeinundzwanzig」
(ドライ / フンダート / ズィーベン / ウント / ヒュンフツィッヒ / タウゼント / アイン / ウント / ツヴァンツィッヒ)
と読む。
(「300」と「7」+「50」)×「1000」+「1」と「20」、という意味である (>_<)。
単に3ケタずつのコンマで区切って読む、という単純なものではない・・・
まぁ、ここまで来ると 笑ってしまいそうになるくらいである。
数字と言えばインド、ということで、インドではどう読みかというと、
「3」ラーク「57」ハザール「21」。
(100の位があれば、そこだけ「△ソウ」と呼ぶ。)
1000までは英語とかと同じく3ケタ区切りだが、その上は、
2ケタずつを限りなく続けていく。(インドの数の数え方)
「すぐに話せる! ヒンディー語」とかによると、
ヒンディー語の数詞は基本的には10進法なのだが、不規則な発音が多く
まるで百進法のように 1 から 100 まで全てを暗記する必要がある、という。
世界の中では、日本人として
「数字が苦手・・・」 なんて言っておられませぬぞ。