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つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

道 徳

2013年09月15日 | 日記

 

道徳教育?!

 

ローマ法王ピオ11世 の最後部でルサンチマンのリンク先を間違えた。

こちら が紹介すべきサイトで、意味としては、「強者に対する弱者の憎悪や

復讐衝動などの感情が内攻的に屈折している状態。怨恨。遺恨。」というもの。

 

 

「カでは相手にかなわない弱者がせめて『道徳的』には優位に立って、

相手を見下そうとする心理から善悪の基準が発生する」、ということだが、

執拗に「正しい歴史観」とか、何とかの一つ覚えを言い張る様を見れば

その屈折した心理状態が よーく 判るというものだ。

 

隠したい歴史がある上に、異常に強いコンプレックスが絡み合い、

ウソにウソを塗り重ねた歴史を「正しい」と思い込んでいる・・・。

 

 

 

ところで、

「嫉妬」という言葉は、嫉み(そねみ)と妬み(ねたみ)を合わせているが、

「ねたみ」と「そねみ」は どう違うのだろう?

 

「そねみ」って、どういう意味ですか? というサイトによれば、

  「そねみ」の意味は、基本的に「ねたみ」と同じです。

  ただ、「そねみ」の方が「ねたみ」に比べて、憎みうらむ気持ちが強いようです。

  もともと、「そねむ」は、古語「な…そねに由来しています。

 

とのこと。

 

   ちなみに・・・古語「な…そね」についてはこちら

   「雨降りそね」(雨が降らないでほしい。)など。

 

 

「ひがみ」「そねみ」「ねたみ」「つらみ」の違いを一括して解説しているのが

こちら のサイト。

 

それによれば、

  「ひがみ」・・・ひねくれた考えや気持ち。

  「そねみ」・・・悔しいと感じ、憎んでしまう感情。

  「ねたみ」・・・羨ましく思い、憎んでしまう感情。

  「つらみ」・・・つらい気持ち (恨み辛み・・・)

だ、そうな。 【あの国の形容詞にピッタリ!】

 

 

翻って、日本には武士道の心として「惻隠の情」 がある。

他者の悲しみを自分のこととして受け止め、共に悲しみを分かち合える心。

そして、他者の喜びを自分のこととして受け止め、共に喜びを分かち合える心。

と解説されている。

 

「ねたみ」などとは対極に位置する。

 

 

武士道といえば右翼、と受けとられがちだが、

 「道徳心」「公徳心」「惻隠の情」などが

武士道に適合する言葉である。

 

いつの世でも、本当に強い者は 『逞しく』『潔く』『清い心』を持って

生きているからこそ、大切な命を懸けて仕事に従事できる。

一言で表すなら、『一所懸命』(ひとところに いのちを かける)。

この強い心を育むのが武士道精神(道徳教育)なのである。

 

 

道徳教育という言葉も、敬遠されがちだが、

実は、とても大切なことである。

 

悪の権化のような扱いを受けてきた「教育勅語」は、

70歳台後半以上の日本人なら誰でもそらんじるといわれているが、

大切なこととして、12の項目をまとめた珠玉の文章である。

 

(教育勅語)

 

 

明治神宮から、本文と意訳 が出されているが、

ごく当たり前の内容ばかりであり、なぜ敬遠されたり、

拒否反応が出ていたりするのか、さっぱり わからない。

 

もとは文語体で格調高いが、理解しにくい・・・。

明治神宮発行の口語文 が読みやすいので、是非、ご一読を。

 

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教育とは知育・体育・徳育といわれる。

 

知育偏重といわれる一方、知育軽視の体育のみで進路が

保証されるという実態もある。・・・・徳育がない。

 

 

徳育は点数をつけられないので・・・というのが教員たちの声だとか。

教育とは点数なのか? 阿呆ですか?

 

教育勅語を読ませりゃ すむことだろ。