2014年5月28日のコラム「時鐘」は下記で始まった。
能登半島から富山湾越しに見る立山は美しい。では、白山を
海越しで見る最適地はどこか。京都の丹後半島先端にある
経ケ岬付近だろう。天橋立の北にある岬で、若狭湾越しで
海上に白山が見える。古代、朝鮮半島と日本を行き来した船は
この岬と白山を目印にしたという。
能登半島の珠洲から初めて立山連峰が見えたとき、
「雲」かと思って凝視した記憶がある。
それが海を越えた山々の姿だとわかったときの感動が忘れられない。
「日本海に浮かぶ立山連峰」で紹介されているのは、
望遠レンズで写した写真だと思われ、凄い迫力になっている。
経ケ岬から見た白山を紹介しているサイトが、「山陰ジオパーク」。
後半部分に、若狭湾越しの白山が紹介してある。
写真を紹介する前には、
「白山(左手)、立山連峰(右)まで見える」
との解説があるが・・・、「ん?」
立山は、もしも見えるとすれば、白山の左側だろ?、と咄嗟に思った。
右側の山は、姿、カタチから見て、どうも「乗鞍連峰」のような・・・
図の下半分の左側「経ケ岬」と、右側「立山」を結んだ線が、
図の上半分だが、やはり、立山は白山の左側になるようだ。
同じように、「経ケ岬」と「乗鞍」を結ぶと、写真のような位置に
「乗鞍連峰」が見えると思われる。
「経ケ岬」からの「白山」は、「珠洲」からの「立山」と同じような
感動があるだろうな、と思うとソワソワしてくる。
白山は、日本海の西側から見れば最大の山であり、古来より、
海上からの指標となっていたため、航海と漁労の守護神と敬われていた。
(「ぐるっと白山」)
それが、全国2,700社余りにもなる白山社のもとになっているのだろう。
かたや、立山と言えば、明治になったときに、その信仰だった
「立山権現」が廃止されたり、芦峅寺・岩峅寺が廃寺になったりした。
この違いを生んだのは何だったのだろう?
また、「白山火山帯」といえば、西日本を貫く一大火山群である。
ところで、
「経ケ岬」の近くには、「浦島太郎」の話のもとになった「浦嶋神社」がある。
「浦島太郎」の話 は、日本古代史の「何か」を暗示しているらしく、
近くの天橋立にある「籠神社 (このじんじゃ)」が、「元伊勢」とか
「内宮元宮」と言われていることからも、古代史のロマンを漂わせている。
籠神社には、古代に、この地から一人の日本人が新羅に渡って
王様になったという伝説が残されているそうであり、たぶん、
第4代の「脱解尼師今」であろうとされており、当時の日本海側と
大陸との活発な交流も窺わさせる。
白山周辺からは多くの恐竜の化石も出ており、
悠久の昔から いろんな舞台となった地であることは間違いない。