富士山にハマって2ヶ月が過ぎました。
今年に入って一度だけ富士山の見えるスポットへお出かけしましたが、その後色々あって、思うように富士山を拝めていません。
今日は、過去の画像の中で富士山を意識していなかった頃の画像をご披露します。
画像は、昨年の2月に、甲府城の天守台の跡から撮影したものです。
富士山の語源は諸説あるようですが、『竹取物語』の最後の章で、かぐや姫から不老不死の薬を授けられた帝が、家臣に命じて不老不死の薬を駿河国にある天に一番近い日本で一番高い山の山頂で焼くという描写があります。
その最後の記述には、「以来、その山のことを『ふしの山(ふじの山)』 と呼ぶようになった」とあります。
これは日本最高峰の並ぶものの無い「不二」の山という意味とされています。
その後、鎌倉時代以降に表記が転じて「富士」となったそうです。
これは「士が富む」として武士好みの表記であったという事です。
また『フジ』という長い山の斜面を表す倭語から転じて『富士山』と称されたという説もあり、この説は有力視されているそうです。
今年も県内からの富士山の見えるスポットを攻めて行きたいと思います。
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いつも応援に感謝しています。ありがとうございます。
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富士山の語源は諸説あるようですが、『竹取物語』の最後の章で、かぐや姫から不老不死の薬を授けられた帝が、家臣に命じて不老不死の薬を駿河国にある天に一番近い日本で一番高い山の山頂で焼くという描写があります。
その最後の記述には、「以来、その山のことを『ふしの山(ふじの山)』 と呼ぶようになった」とあります。
これは日本最高峰の並ぶものの無い「不二」の山という意味とされています。
その後、鎌倉時代以降に表記が転じて「富士」となったそうです。
これは「士が富む」として武士好みの表記であったという事です。
また『フジ』という長い山の斜面を表す倭語から転じて『富士山』と称されたという説もあり、この説は有力視されているそうです。
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