地図のない旅

地図を持たない行き当たりばったりの旅日記です。旅先で触れたこと、感じたことを写真を織り交ぜて綴っていきます。

名古屋城

2010-12-26 23:17:21 | ☆攻城戦
岐阜城犬山城と続いた今回の攻城戦の最後の締め括りは、ベタではありますが、「名古屋城」にしました。
もう少し時間があれば、「清洲城」まで足を伸ばしたのですが...。
まあ、今回の旅の締め括りとしては、有名な名古屋城は充分過ぎるものです。


2010.11.14 


さすがは天下の名城です。
とても多くの観光客で賑わっています。

一部がのため、立入が出来ない状態でしたので、天守閣が中心の撮影となりました。

ベタな名古屋城の歴史を簡単に説明すると、

徳川家康は、豊臣方との緊張が高まる中、尾張国を東海道の一大防衛線として整備を進めました。
まず、1608年に家康が伊那忠次に命じて木曽川東岸に約50kmにわたり築いた堤防「御囲堤」は、尾張領内の治水だけでなく、大坂から攻め寄せる敵に備える防塁となるものでした。

次いで、尾張国の中心である清洲城が問題となりました。清洲城は大軍を収容できる規模がなく、五条川に臨む低地にあるため、しばしば水害にも見舞われていました。
このため、家康は清洲城に代わる新城造営地を調査し、名古屋(那古野)、古渡、小牧の三候補地の中から名古屋を選びました。
そして、1609 年11月16日に駿府において家康は名古屋新城の築城・名古屋遷府を正式に発令しました。

名古屋城を築く場所は、名古屋台地の西北端で、台地の西面と北面は高さ10メートルの断崖になっていました。
そして、断崖の下には泥沼が広がり、その向こうには庄内川、そして木曽三川が流れる天然の要害でした。
一方、南と東には大規模な城下町の建設が可能な広がりがあり、その先は東海道と熱田湊となっています。名古屋城築城は、軍事面だけでなく文化や交易の栄える新しい都市の誕生を予感させるものでした。
年が明けて、1610年1月14日、将軍徳川秀忠が、西国の20大名に名古屋城普請の助役を命じました。












堀は、空堀でした。












天守閣からの、名古屋市内の眺望です。







一部紅葉が残っていました。











今回撮影して感じましたが、名古屋城は見る角度によって、全く違った顔を見せます。
当然ですが、裏と表そして横。











近づいた時と離れた時。







違う城かと思う程に違った雰囲気を出します。







たくさん城を見てきましたが、こんなのは初めてです。








西北隅櫓は期間限定の公開をしていました。







二の丸には、「二の丸茶亭」があります。
綺麗に整備されていて、なかなか風情があります。
















名古屋城の周辺には、色々遺構がありますが、これもその一つです。







今回は、一時間程しか観覧する時間を取れなかったため、ちょっと中途半端な感じでした。
次回は充分時間を取って再訪したいと思います。




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (SevenFifty)
2010-12-28 22:02:57
こんばんは。
SevenFiftyと申します。

>地図を持たない行き当たりばったりの旅日記です
このサブタイトルに惹かれました。

わたしも地図なしツーリングをする街派ライダーです。
厳密には地図はありますが目的地がありません。
おおよその場所だけ決めてそこで目的となるものを見つけ出すツーリングです。
返信する
☆SevenFiftyさん (礼次郎)
2010-12-28 22:22:00
初めまして。
訪問&コメありがとうございました。

「おおよその場所だけ決めて...」徒歩とバイクの違いはありますが、似たり寄ったりの旅の仕方ですね

また遊びに来てくださいね。
返信する

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