散歩と云っては時間も距離も気にせず
行く先もなく、ただふらふらと
ひたすら城陽から南へと向かって
歩くのみでした
元々が街道歩きが趣味のようなものですので
目に触れた街道の趣や、古民家などを求めて歩いていました
どんな景色を目にしたのでしょうか?
ご覧ください
木津川を跨ぐ「京奈和道路」の100円橋を渡り南へと京田辺市へと来ていました
府道22号線を、西に向かう一休寺道の南に、以前から車では通り掛っていました
「棚倉孫(たなくらひこ)神社」が見えてきました
文政十年の常夜灯です
社務所の屋根には今は使われてはいないであろう「煙だし」がのっかています
野菜の瑞饋で屋根を葺いた神輿です
神社の由来とその瑞饋神輿の説明がされています
「五社殿」
お伊勢さんや、八幡さん、春日社(素戔嗚尊)と云ったそうそうたる神様がお祀りされています
普通遙拝所と云えばお伊勢さんを指すようですが、ここは西を向いているから、恐らく八幡の「八幡宮」さんの遙拝所ではないでしょうか?
絵馬堂に武将の絵馬が掛けられています
八幡大菩薩の旗印を持った武将です。武運を祈願されて奉納されたものでしょうか
こちらのご神体は神武天皇を救ったといわれる「天香古山命(あめのかぐやまのみこと)別名・高倉下命(たかくらじのみこと)」だそうで、強くなるように祈願されたのでしょうね
この神社は道より高いところにあり、その傍を川が流れ道路を跨ぐ天井川となっていました
西念寺の門前にそれぞれ格式のある美しい古民家二軒を通り過ぎると・・・
左手に料亭の善哉に「綴喜郡役役所跡」石碑が建っています。古代の役所跡だったようです
その向かい(西)に「2月堂」と彫られた石碑がありましたが一体何なんでしょう
裏側は丸くえぐられておりました。この南の方に普賢寺地区があり、そこにある観音寺(旧普賢寺)より奈良東大寺二月堂のお水取り行事の大たいまつにされる竹をこの辺りで送られるという行事があるにですが、何か関係があるのでしょうか?
この府道22号線沿いは多くの古民家が残され古を忍ぶことができ目を楽しませてくれます
また美しく保存されてられ大切にされているようです
国道307号線の京田辺市役所東の交差点に「鉾立之松」碑
朝鮮半島に出兵する神功皇后の軍勢が通られたの際、この「鉾立の松」と高木村の「鉾立の杉」の間に整列されたと伝えられているそうです
この交差点を越えた先の三差路に、これまた神功皇后ゆかりの「不違(たがわず)の池」
この左手の府道22号線は奈良から太宰府へと通じる古代の山陽道に重なるそうです
この右手に約700mにある「酒屋神社」縁起に神功皇后が行きに髪を洗い清め、帰りも必ず通ると約束をたがえなかったところからこう呼ばれるようになったそうです
古代へも思いがつながる街道風情です
古さの中にも新しさも入り込んで調和を保っているのでしょうか
日本建築の直線の美しさと、白黒のコントラストがキリリとした秩序を感じます
いつの間にかJR片町線の興戸駅近くやって来てしまっていました
ここは「防賀川」が上を跨ぐトンネルです。しかもこの川は天井川になっています。先に出てきました「棚倉孫神社」の天井川と同じです
線路の東にはお地蔵さまと事故で亡くなられたのか供養塔が数基お祀りされていました
興戸と云えば名門同志社大学田辺キャンパスがあり、雨の中今日は卒業式なのか振り袖姿の女子大生が足元を気にして足早に駅に向かっていました
静かな佇まいの街並みです
ぽつんと一つ不釣り合いな塀の傍に常夜灯が見えました。どこの神社の常夜灯かな?
こじんまりとしたそれでいて凛としたお寺が片田舎の街並みにも存在していました
三山木郵便局前の交差点に祠と何かの石碑が立っていましたが、どちらも詳細は解かりません
でも蔵と祠と石碑はなかなか趣のある取り合わせでした
さて、JR三山木駅前に出てきました。右手、西側は少し盛り上がった地形をしています。この辺りに古民家が集中して並んでおりました
その先三山木小学校手前に西へ入る道脇に「慈(?)ぼ観音 従是西一丁」と読める道標に従い行ってみましたが見当たらず
後で調べてみるとそれらしいところまで来ているのですが、ちょっと目線をあげれば見えたお堂らしき建物を見落としていました
直ぐ先に「佐牙神社」が見えました
創建は573年といわれ、酒造り発祥に関係があるとも云われます
朱に塗られた二の鳥居です。六脚になっていますね
境内には神社なのに「恵日寺跡」というお寺もあったようです。明治に廃仏毀釈により神社が残りお寺は無くなったたようです
佐牙彌豆男(さがやずつ)神(北殿)・佐牙彌豆女(さがずめ)神(南殿)をお祀りされます
本殿は左右両殿同形式の二社あり重要文化財に指定されているようです
飛鳥時代から平安時代に建てられた大寺院があったようで地名より「三山木廃寺」として知られているようです
古代の山陽道沿いの交通の要所だったようです
椿の花が咲くいかにも日本の原風景といった風情です
どうやら愛宕山?常夜灯のようです。何やら上にしめ縄状の輪になった藁が載せられておりますが、どんな意味があるのでしょうか?
まー見事にアスファルトの間から芽を出した土筆ん坊です
JR片町線に沿って南に下ると右手に灌漑用ため池が少し高いところにありました。古代よりずっと守られてきたようです
その先の小さな川に行き当たると、そこには鉄橋の遺跡が見つかりました
「煤(すす)谷川鉄橋跡」の案内板が立っておりました
太平洋戦争開戦当時に架けられた軍用鉄道だったそうです。戦争と平和を考える上での歴史的に遺産といえるのでしょうか
古い家並みはそこかしこに点在して風情を残していました
鞍岡山若王寺という地元のお寺もあり・・
白と黒のコントラストが美しい虫籠窓の古民家や・・
なまこ壁の長屋門を構えた立派なお屋敷もある、この辺りは下狛と呼ばれる山里です
小高い山となっております
そこに「鞍岡神社」が見えました
先程、鞍岡山若王寺がありましたが、この山を鞍岡というのでしょうか
この石段を登ってゆきましょう。小高いと思っていたが意外と高いようです
二の鳥居と拝殿も見えてきました
おがたまの木と云って一円硬貨の図案になっているようです。あまり聞かない木ですね
割拝殿になっています
飛梅のように紅梅が美しく咲き誇っています
末社は多くありますがこちらには「道祖神社・猿田彦命」等がお祀りされております
この燈籠だけに「天満宮」と彫られていたので何故かと思っていたら、京都の北野天満宮より勧請された古来「鞍岡山天満宮」と呼ばれていた菅原道真をお祀りする神社と云うので納得
左の牛は解かりますが、右の馬は何を祈願されたのでしょうか?
菅原道真は学問の神様で、武士とどのつながりがあるのでしょう
神社の前の通りはさながら古き時代の趣そのものです
電柱がなければもっと素晴らしい風情ですね
いつの間にかかなり南に来ていたようで、山手幹線を歩いていました
相楽郡精華町役場に出てきました。この町は近年急速に都市化が進み、町の発展し近代的な街並みなっておりました
その前を伸びる都市道路は都市計画により新設され、ショッピングモールも進出し新興都市化しておりました
JR,近鉄の二つの交通機関も一体化した橋上駅となり、ターミナルの機能を果たしておりました
帰りは私鉄に乗り散歩はここでお終いです