偶然通りかかった「太閤堤発掘現場」です。
以前からだいたいの場所は知っていたのですが、実際訪れたのは初めてでした。
下の案内板にもあるように、『文禄3年(1594年)、伏見城を築いた秀吉は、伏見城下を水陸交通の拠点にするために、前田利家や徳川家康ら諸大名に命じて宇治川と巨椋池に堤をつくらせました。槇島堤と小倉堤です。槇島堤は、ほぼ現在の宇治川左岸堤防にあたりますこの堤が築かれたことで、それまで巨椋池に流れ込んでいた宇治川が池から切り離され、伏見・向島を流れ淀川につながる現在の宇治川がつくられました。小倉堤は、小倉村から伏見をつなぐ堤で、大和街道として利用されました。』宇治市HPより
平成十九年に発見され、二十四年十一月に調査が終了しました。今は碑も建てられ埋め戻されています。
発掘調査された箇所は、右下の吹き出し「宇治川太閤堤」と赤字で記されたところです。
今現場には写真で現された案内板が設置されています。
その案内板より写真を拡大して掲載させてもらっています。
左はその写真で発掘現場上空を北より南を写されたものです。 右は発掘調査測量図で、これも同じ場所を北から南を見たところとなっています。斜めに青い線が描かれているのが、堤跡です。ポコンと膨らんでいるのが撮影箇所です。
左の写真の左下の緑の森は「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)墓」で、右の下真ん中の前方後円墳がそれになります。
そして左右とも上方に宇治橋が見えます。
北より南へ発掘時の写真と埋め戻された今の写真を並べて対比してみました。
これは北のものです。左に発掘時の写真を・・・・・ 右に今の写真を・・・・・・
真ん中です。中の写真に石らしいのが写っていますが、これは立体模型となったレプリカで、石積みが再現されています。
そして南のものです。
解り辛いでしたが、ちょっと気になりましたのでUPしました。