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マハロ船長の航海日誌2

マハロ船長は
ミニチュア・シュナウザーの船乗り犬です。
毎日たべものの匂いをたよりに
大海原を航海しています。

ドッグラン巡りの旅に伊豆高原へ

2022-05-31 11:27:15 | 日記
5/27から3泊4日の旅行に行って来ました。
宿泊先は伊豆高原のわんこ連れOKのペンション
愛犬と一緒に過ごせるペンションで、部屋も料理もお酒も申し分のないレベルで、オマケに天気も最高で、楽しい旅行になりました。

向かって右側は看板犬のエビスちゃん。アロハのお姉さん的存在シュナでした。

お料理を楽しみに待つマハロとアロハ・・・というのはウソです。

でも、美味しい料理を楽しみながら、宿のオーナー夫妻や、同宿の愛犬家の方達と話に花が咲くひとときは、このうえもなく大切な時間に思えました。


ところで、今回の旅のテーマは「ドッグラン巡り」なんです。
伊豆半島を訪れたのは、それこそ数知れずなんですが、ワンコ達のエネルギー発散のために必要なのがドッグラン。探せばいくつもありますので、そこを訪れてみました。

湯河原海辺公園ドッグラン
海沿いの施設で、格安料金なので、ドライブの途中のひと休みにオススメです。
https://goo.gl/maps/eG3TrCneSTw9ryQQ8
日陰が涼しい。


六仙の里公園は、無料で、家族連れで過ごせる場所です。
https://goo.gl/maps/kVpEisVJcNRxhDjM6


伊豆ドッグランドは、ちょっと分かりにくい場所ですが、庭が広く、静かにのんびりとすごせます。
https://goo.gl/maps/QnKsPa8c3LLjDM3i8


下田にある、ドッグガーデン びわの木は、芝生のガーデンが美しく、グッズも豊富。カフェもあるので休憩にオススメです。
https://goo.gl/maps/YvssJseh28UQRqsL7


帰りに寄った、足柄上郡松田町の寄七つ星ドッグランは規模も大きくワンコにはとても楽しい施設でした。
http://dogrun-yadoriki.jp/



今回は寄りませんでしたが、
愛犬の駅伊豆高原は、常にたくさんのワンコが居て、ドライブに疲れた時に休憩がてら寄るにはオススメです。
https://www.welovedogs.jp/station/


それから、27日午前中に降った雨のおかげで、迫力ある滝を見ることが出来ました。
石川さゆりの歌で有名な「浄蓮の滝」は落札25mの迫力ある滝です。

滝壺には女郎蜘蛛の精が住むという幽玄な滝ですが、


こんなことや


こんなことをしてふざけてはいけませんね。


前日は
萬城の滝を見学しましたが、なかなか迫力ある滝です。

リピートありの予感の宿です!


「新しい生活様式」というネーミング

2022-05-25 08:05:37 | 日記
コロナ禍が始まった当初、マスクをして、外出を控え、人との会話を控える毎日を強いる行動を「新しい生活様式」と宣伝してました。
なんでこんな呼び方にしたのか知りませんが、「新しい」という語感は、「コロナ禍の緊急避難的措置」というニュアンスではなく、「これからずっと続けなさい」という印象を受け、私は暗い気持ちになったものです。
コロナ禍はせいぜい半年、長くても一年以内と思っていたのですが、専門家のセンセー達は、相当期間続く事を予想していたから、この「新しい生活様式」という陳腐なネーミングを不自然だとは考えなかったのでしょう。あるいは、アベノマスクに何百億も使ってしまった手前、そんなのおかしい!と声をあげることができなかったのでしょうか?いわゆる"忖度"というやつですね。


ここまで書いてきて、はたと気づいたのですが、昭和30年代生まれのオジサンにとって「新しい」ものは常に「より良いもの」なんですが、バブル崩壊後このかた「新しい」ものは必ずしも「良い」ものではなく、むしろ高いもの、粗悪なもの、ケチ臭いもの、無用なもの、矮小なもの、であることが少なくないのです。
だから「新しい生活様式」とは、国民に不自由さを強いて、不便を我慢させ、おかしな事をおかしいと言わせない、お国のやることに唯々諾々と従う我慢強い国民になりなさい。という生活様式なのかもしれません。


中原中也の「汚れっちまった悲しみに……」の詩の一節に、
>汚れっちまった悲しみに
>いたいたしくも怖気(おじけ)づき
>汚れっちまった悲しみに
>なすところもなく日は暮れる……

とあります。

コロナ禍にすっかり怖気づきなすすべを知らない日本人の姿が重なって見えます。やるせないです。


アロハの3姉妹

2022-05-06 21:53:45 | 日記
2022/5/4 久しぶりの夢の島マリーナ。


GW中だからなのか、ハワイアンフェスタをやってました。


しかし、今日の夢の島マリーナは、ヨットでもなく、ハワイフェスでもありません。隣接する施設の「イーノの森Dog Garden」に陸路遊びに来たのです。
わが家の末娘「アロハ(ミニチュアシュナウザー9か月)」の姉妹犬3頭が久しぶりに会ったのです。

春の1日を思う存分遊んだアロハもマハロも、帰りの車内では死んだように眠りこんでいたのでした。



再掲 『アンクルジョージが教えてくれたこと』

2022-04-27 10:09:57 | 日記
1964年に現在まで続くフラの祭典メリー・モナーク・フェスティバルを創設し、ハワイでは「フラの神様」とされ、「アンクル・ジョージ」の呼び名で親しまれている
ジョージ・ナオペ(George Naʻope、1928年2月25日 - 2009年10月26日)は、ハワイの歌手、ウクレレ奏者、クム・フラ(フラの師匠)です。
(Wikipediaより借用)

このアンクル・ジョージから直接聞いた言葉をまとめ、一冊の本としたのが松本大学 総合経営学部観光ホスピタリティ学科教授の山根宏文さん

山根氏に許可をいただき、私のブログ「マハロ船長の航海日誌」に抜粋して転載させていただいたのが2012年のことでした。
ブログはFC2ブログからgooブログに変わり、転載からすでに10年経過してしまいましたので、まとめて再掲載しようと思います。

私はフラを踊るわけではない者ですが、アンクル・ジョージの言葉があったから、ハワイの文化が大好きになり、下手くそでもウクレレでハワイアン・ソングを歌っているのです。

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「アロハとは」
アロハとは愛
まず自分自身がアロハの心を持つこと
自分のまわりのすべての人とアロハを分かち合うこと
自分自身を尊敬し
まわりのすべての人を尊敬すること
これがアロハ
そしてアロハは与えるものである
これがハワイでありフラである

「アロハのあるところに生まれて幸せだ」
ハワイは、金もダイヤモンドも石油も
何も豊かな資源が無かったから幸運だった。
そのために、争いごとがなかった。
ハワイアンは皆、平等だった。
助け合って生きろと
神が与えてくれたのはアロハだった。
アロハのあるところに生まれて幸せだ。

「愛の言葉をそっとささやくように」
ハワイでは挨拶時にアロハと言う。
アロハとは愛。
なぜ大きな声で「アローハ!!」と
言わなければならないのか。
愛の言葉をそっとささやくように
アロハと言うべきだ。

「フラをする人達に守られている」
学校でもアロハを教えなければ
ならないのだけれども
あまり教えていない。
しかし、アロハはフラをする人達に
守られている。
フラをする人たちは
アロハの心を持ち続けてほしい。

「その人はハワイアンになる」
一つの花を見ても感じる人の心は様々だ。
その心を表現すれば、その人だけのフラになる。
その人が誰であろうと
どこの国籍であろうと関係ない。
フラを踊るとき、その人はハワイアンになる。

「内面の感情を表現すること」
フラは感情を表現し、分けあい
人を心地よくするものだ、
フラを踊るということは
人間の最も内面の感情を
表現することである。

これが殻の中の実のすべてである。
殻だけ見て
このハーラウが間違っているとか
あのハーラウが正しいとか
言うことは出来ない。

「アロハが毎日帰ってくる」
フラをやって一番良かったことは
アロハを分かち合ってきたこと。
だから、今はそれが毎日返ってくる。
それが楽しい。
先生からフラを習っていなかったら
今の自分はない。

「いつも愛する心を持ちなさい」
アロハの気持ちを
持ち続けるために
いつも
愛する心を
持ちなさい。

「心と感性を磨くことが大切」
フラは基本を学び、後は感性で踊るもの。
踊りはその人の個性。
だから、フラが上手くなりたかったら
心と感性を磨くことが大切である。
感性は教えられない。
自分で学ばなければならない。
イライラせず、腹を立てることなく
他のことは考えず、すべて忘れて
集中しなければならない。

「海辺は皆のもの」
ハワイの法律では
土地は地主のものだけれど
太平洋は皆のもの
個人がビーチを所有することはありえない
海辺は皆のものである。

「文化を売り物にしてはいけない」
ハワイ文化(フラ)を売り物にしてはいけない。
売り物にすれば文化は衰退する。
文化は伝えなければいけない。
指導する人が文化を売り物にするのは悪い。
指導する人がお金儲けだけでやることはよくない。
お金が先ではなく、文化が先だ。
アロハや文化を教えて
この先生に習って良かったと思われたなら
お金をもらったら良い。

「神からもらった自然だから」
ハワイアンは自然を愛している。
神からもらった自然だから
壊してはいけない。
自然がなかったら
人はいない。
自然を尊敬し
大切にしなければならない。

「笑顔の表現」
赤ちゃんに接するとき
恋人に接するとき
親に接するとき
自然を眺めているとき
笑顔の表現はいくつもある。

「怒っていても怒り方がある」
怒っていても怒り方がある。
だめっ!といっても笑って言うと
受けた方も腹が立たず
素直な気持ちで受け止めてくれる。

「文化の大切さを伝えなければならない」
私たちは、子供たちに
文化を学び守り続けることの大切さを
伝えなければならない。
そうすれば
彼らの子供たちや、その子供たちに
私たちの文化が永遠に生き続けるであろう。

「自分を尊重することである」
フラを踊る上で大切なことは
自分を尊重することである。
自分を尊ばないものは
他人を尊重することが出来ない。
他人を批判せずに
誰かが間違いを犯しても批判せずに
沈黙して自分の間違いを正す。

『フラは心の言葉』
「フラは心の言葉であり
それゆえハワイの人々の心臓の鼓動である」
というカラカウア王の心情から
メリー・モナーク・フェスティバルは生まれた。

我々の目的は
できる限り伝統を永続させることだった。

『理解してくれる人が増えたことが良かった』
フェスティバルを開催して良かった事は
フラを理解してくれる人が増えたことだ。
もし、このフェスティバルがなければ
フラは、島々でクムフラが細々と
教え続けていっただろう。
メリー・モナーク・フェスティバルが
フラの中で、最も重要な大会になるとは
思わなかった。

『文化が生き返って息づいていった』
当時、すべてのショーは儲けるものだった。
だが、メリー・モナーク・フェスティバルは
余分なお金は取らなかった。
それでも、心は豊かだった。
歴史から文化が埋もれていたが
生き返って、息づいてきたからである。
それまではフラを復活させるような
フェスティバルはなかった。
当時、カヒコを踊れるハーラウは
参加26のうち3ハーラウだけであった。
私の仕事は、伝統的なハワイ文化としてのフラを
復興させることだった。
そして最も重要なのは
ハワイの人々がお互いに共有し合えることだった。

「歌の意味を理解してフラを踊って欲しい」
フラを学ぶ人がフラ教室に来て
基本を身につけず、規則も知らないまま
フラを踊って帰っていくことだけしか、しなかったら
伝統を変え始めることになってしまう。
ハワイ語を勉強して、心から歌の意味を理解して、
フラを踊るようになれば
ハワイのクム(フラの先生)たちはもっと喜ぶと思う。

「心を想像してくれる能力そのものである」
フラはハワイである。
フラは私たちの国の歴史である。
フラはハワイの心であり
それが私自身の人生の基盤になっている。
フラは私達に生き方や
自分自身がどうあるべきか
教えてくれるものであり
うそやいつわりのない本当の心を
想像してくれる能力そのものである。

「フラとアロハは同じである」
フラがアロハと同じであると言うのは
どちらも、自分が感じることを
自分自身の感性で気持ちを伝えること
あるいは、表現することだからである。

「フラは一つの物語」
フラはアロハ。
フラは心の言葉。
フラはハワイの歴史。
フラはハワイそのもの。

フラが正しく踊られていたら
それ自身が一つの物語である。
だから、フラは素晴らしい。
教える側も、学ぶ側も
フラはただの踊りではないことを
理解して欲しい。

「場所に行って始めてその意味がわかる」
歌われている場所に行って
始めてその歌詞の意味がわかることが多い。
例えば 踊りのなかで月の出を表現するものがある。
実際、ハワイの月を見ていればその動きがわかる。

「心がより重要になってくる」
フラは、一人ひとりの感情
気持ちを創造する能力が
その踊りに現われる。
歌にこめられた感情を理解できなければ
本物のフラとは言えない。
フラは自分の感情を表現して
感情を分け合い
人を心地よくさせるものである。
だから、技も大切だが
心がより重要になってくる。

「他人の悪口を言わない」
フラを学ぶ人が多いけれど
守ってもらいたいのは
「他人の悪口は言わないで
お互いに分かち合いなさい。」
と言うことである。
ハワイには
「言を慎め 手が物語る」
ということわざがある。

「伝える気持ちが心にないと意味がない」
フラは歌に込められた意味を真剣に理解して
心に留めて表現することが大切である。
花が見えるように
恋人に恋しさを伝えるように。
自分の心は
この花のようにきれいなのだと。
ただ働くだけでなく
自分自身の気持ちを表し
身体全体でみんなに伝える気持ちが
心にないと意味がない。

「正確に聞いて自分で学ぶ」
私のフラの先生は
習い終えたらメモするように言われた。
フラを学んでいる人にとって大切なことは
習うときはしっかり聞かないと覚えられない。
先生から教えられたことを正確に聞いて
自分で学ぶことである。

「フラに接したときは嫌いだった」
最初にフラに接した時は嫌いだった。
1週間に6日、1日4時間
あるいはそれ以上学ばされた。
子供だから海水浴や遊びをしたかった。
ウクレレを弾くのは楽しかったけど、
フラは家族がやっているから仕方がなかった。
でも今は、3歳の時から多くの先生に
学んだことに感謝している。
どの先生も独自の教え方だった。
それぞれの先生が、他の先生にないものを持っており
それを教わったことが今思えば
私にとって素晴らしいことであった。

「愛をあげるが、教えるときは厳しく」
フラを教える先生に大切なことは
生徒を尊敬し、アロハの気持ちを持って教えないと
生徒はついてこないと言うことである。
愛を持って厳しく教えなさい。
愛をあげるが、教えるときは厳しく
そして、生徒を愛している姿を見せなさい。

「感じたことを創造して教えることが楽しい」
自分が教える立場になったことが嬉しい
先生の真似をするのではなく
自分の心で感じたことを創造して
教えることが楽しい。
他の先生に習った事とは違うかもしれないが
これが私のフラであると
教えられることが嬉しい。

「先生によることが大きい」
フラが上手くなるのは先生によることが大きい。
先生がしっかり理解して教えなくてはならない。
昔から伝わっていることを
謝って教えたり、都合のよいように
変えてしまってはいけない。

「フラが先生を創る」
生徒が先生をつくる。
生徒が良かったら、先生は良い先生。
フラがあったから先生が出来た。
フラがなかったら先生はいない。
先生がフラを創るのではなく
フラが先生を創る。

「心からフラを伝えていって欲しい」
フラを愛する人が増えて嬉しい。
しかし、何故だかわからない。
フラを見た人が興味を持って習いに来るのであるが
フラは愛であり、分かち合うことである。
先生が心をこめて教えるから
その気持ちを生徒が受け止めて
フラをする人が増えていったのであろう。
しかし、お金儲けだけを考えたり
生徒を増やすことだけを考えたり
自分のところの踊りが優れていると言って
謙虚な気持ちを持たなかったら
決してフラを愛する人は増えていかない。
心からフラを教えて、伝えていって欲しい。

「隠された意味がたくさんある」
歌詞によっては表向きではなく
隠された意味がたくさんある。
それを先生がどう理解するかである。
先生がしっかり意味を理解するなら
先生の思いで創ってもかまわない。

「世界中の人々と分かち合っている」
ハワイ文化とは
アロハの精神と同じで
お互いに愛し合い
お互いに尊敬し合い
お互いに分かち合うもの。
私の文化は、人々を尊重しなさいというものである。
私の文化は私のものでもあり
皆と分かち合うことも出来る。
私は、ハワイ文化を
世界中の人々と分かち合っている。
これがハワイ文化の素晴らしいところである。

「私達で復活させなければならなかった」
メリー・モナーク・フェスティバルは
ハワイアンが主宰するハーラウしか参加できない。
日本人は練習熱心だから
参加したら入賞するかも知れない。
しかし、フラはハワイの伝統文化である。
ハワイの人間しかハワイの舞台を造れない。
私たちの文化は
私達で復活させなければならなかった。

「カヒコを見てもらいたかった」
女性は神からもらった身体が美しいから
そのまま(上半身裸)にして表現したが
白人たちが変な目で見るようになって
フラが変わっていった
メリー・モナーク・フェスティバルで
違いを見てもらいたかった。
本当のカヒコを見てもらいたかった。

「自然を見ることがフラの上達には役立つ」
ハワイに来たら素晴らしい自然を楽しんでもらいたい。
椰子の木が風で揺れているけど揺れ方を見るのだって
踊りには参考になる。
海辺に出たら、波の音を聞くことが出来る。
波の色々なリズムは、フラの様々なステップを学ぶには
最適である。
こんな波はこんなステップ
こんな波はこんなステップ。
ハワイの素晴らしい自然を見ることが
フラの上達には役立つ。

「文化も大切にしてほしい」
ハワイの文化を
世界中で
学んでくれるのは嬉しいが
自国の文化も
大切にしてほしい

ハワイは
失ったものが多かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:『フラの神様 アンクルジョージが教えてくれたこと』
著者:山根宏文(松本大学 山根研究室)2009
この本は著者がフラの神様ジョージ・ナオペ氏から教わったことをまとめられたも
のです。著者の了解を得て一節を掲載させていただきました。




初ダイヤモンド富士

2022-04-17 16:49:27 | 日記
ダイヤモンド富士」とは、太陽が富士山の頂上にかかり、まるでダイヤの指環のようだということで名付けられたようです。
我が家の近辺では、4月頃と8〜9月頃に見られるのですが、天気次第で、ちょっとでも雲がかかっていたら見ることはできません。
何時どこで見られるかを調べられるサイトもあって、過去にも期待してその瞬間を待ったこともあるのですが、何時も雲がかかっていて、まだ生でダイヤモンド富士を見たことがなかったのです。
しかし、ついに2022年4月16日18時00分、湘南サニーサイドマリーナの横で、今まさに富士山に夕陽がかかった瞬間に車で通りかかったのです!
すぐに車を停めて撮った写真がこれ!


そ 三浦半島在住32年目にして初のダイヤモンド富士の撮影は、呆気ないほど簡単にできました。


でも、画面左上に見えている雲がタイミングよく移動してくれたから撮れたものの、タイミングが悪ければ見ることはできなかったでしょう。


次はパール富士だ! (月が富士山の頂上にかかる現象。夜だから撮影も難しくなります。)