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ジャーナリストはやはり放送禁止用語を考慮すべきか?

2011年01月09日 07時11分10秒 | 映・文・経・社・放送
「蛇行社通信」「辛卯(しんぼう)」の年;

吉田智弥氏記 -へのコメント

K.Ishikawa URL

2011/01/03 (Mon) 05:29:52⇒http://journalist-net.bbs.fc2.com/
*.kcn.ne.jp

なるほど、私はカムイ伝は60年代に読んだきりで詳しくは知りません。

 ”被差別”はどうしても被差別問題、同和問題につながるでしょう。

 日本では他のアジア人を差別してきた傾向があり、それが現存もしています。

 先住民のアイヌ差別、最近まで”土人”という言葉で差別してきた面もあります。

 言葉の問題では 「癩」病のことをハンセン氏病といってぼかす傾向も同じだと思います。 

 トルコというと いわゆるトルコ嬢がもてなす風俗店であったが、 トルコ人はたまらなくいやだろうということからソープ(ランド)と名前が変わりました。

 足を踏まれたものが痛いとおもう。これが真実なら、その気持ちを尊重したいとも思います。

 被差別のことでよくある誤解はバラバラに住めば問題は解決するという安易な考えですが、共同体的に同じところに住む権利はあるのは云うまでもありません。

 放送禁止用語も時代とともに変わります。学者の立場と運動家・活動家と大分違うだろうとも思う。

 学問という真実追求の立場も尊重すべきでしょう。

 要するに真摯に追求する”こころがけ”が大事だと思います。

ジャーナリストはやはり放送禁止用語を頭に入れてはおくべきでしょう。

 一方学者・研究者は自由であっていいのではと思うのです。朝鮮・韓国人を”鮮人”というケースもありでしょう。



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